今日の人58.堀 永乃さん [2012年09月27日(Thu)]
今日の人は、一般社団法人グローバル人財サポート浜松代表理事の堀 永乃(ほりひさの)さんです。
グローバル人財サポート浜松は、グローバル化が進む地域社会に貢献する人材の育成と活動の支援を行うこと、及び浜松市における共生社会の構築に寄与することを目的としています。そして在住外国人の社会的自立と高度人財化のために日本語教育や資格取得のための学習・就労サポートや企業内研修を行い、地域の多文化共生づくりのために担う手である人材の育成に努めています。 堀さんはとにかくパワフル。そのパワフルさとアニマル柄が好きな所から着いた呼び名はライオン姫。命名者は多文化共生マネージャーのボスと言えばおなじみのあの方… 一見、どこで雑魚寝しようが平気そうに見える堀さんですが、実は潔癖症。幼稚園の椅子に座れない。お砂場遊びなんてとんでもない。毎日、机の上にホコリがたまっていないかチェックする、という保母さん泣かせの園児でした。 そして、小さい頃は身体も弱く、小学1年の2学期から小学2年の1学期末まで溶連菌感染症で、ずっと入院生活を送っていました。まだ院内学級のない時代です。学校に戻った最初の日に、いきなり九九のテストを受けることになった堀さん。「3バツ3って、いったい何?」そう。ずっと入院していた少女には「×(かける)」の概念がありませんでした。答えの欄全てに「わかりません」と書いて提出した堀さん。それを見た担任の伊藤さとみ先生は強いショックを受けました。「ああ、配慮が足りなかった。」と気づいてくれたのです。こうして担任の先生と友達たちとの夏休みの猛特訓が始まりました。でも、この「わからない」経験が、いま堀さんが外国人支援をするルーツになったといえるでしょう。 退院したとはいえ、体調はそんなによくなく休みがちでした。堀さんは幼い頃お菓子はお母さんの手作り、服は全部オーダーメイドが当たり前の生活でした。既成品って何?という感覚だったので、その態度が鼻についたのでしょう。よくいじめられました。特に5年生の1年間はひどかった。そんな娘にお母さんは言いました。「人間の心には白い心と黒い心があるの。今、あなたをいじめている子は、黒い心が勝っているけれど、その子にも白い心はあるの。だから、あなたはその子のことを絶対にうらんじゃいけないのよ。」いじめっ子のリーダーの女の子は、母子家庭でとても寂しい思いをしていたようです。その妬みから堀さんをいじめてしまっていたのです。その後、その彼女とは互いの家を行き来するほど仲良くなりました。彼女にもちゃんと白い心があったのです。 中高一貫校の名門女子学園に入学後堀さんは、いまの堀さんの原点を作り上げる様々な経験をしました。持ち前の本領を見事に発揮し、いきいきとした学園生活を過ごすようになりました。旅行会社と組んで学生ツアー旅行を企画したり、学年縦割り大運動会を企画したり、その頃から企画力は抜群だったようです。 但し、遊んでばかりいると怒られるので、勉強もしっかりやりました。特に高2、高3の時の乾初江先生が負けん気を引き出してくれました。学年トップになったとしても「たかが83点、えらそうに言うな!」そう言われたので、あと17点をどうやってあげられるだろう、そういう風に考えるようになりました。戦略的に考える癖がついたのは、この先生のおかげだったのかもしれません。 こうして東京の女子大に進学した堀さんは、大学でメルティング・ポットやサラダボウルという考えに触れて衝撃を受けました。一番興味を持ちだしたのが、ジェンダーについて、そして違いについてでした。 20歳には、ニュージーランドに短期留学します。しかし英語ができると思って留学したのに、全く話せないし、聞き取れず、テストで30点をとってしまい、泣きながら帰ってきました。すると、ホストファミリーのママは、「すばらしいじゃない、あと70点じゃない」とにっこり。そうか、こんな風に考えればいいのね!…本当のママといい、ホストファミリーのママといい、堀さんの周りには素敵な言葉をくれる素敵な人たちがたくさんいらっしゃるのです。異文化も体験し、交流の楽しさも学びました。 大学時代アルバイトもいろいろ経験します。赤坂の料亭、塾の先生、本屋…。どれもあまり長続きはしませんでしたが、塾の先生のバイトでは教え方がうまく、特に出来の悪い子に人気がありました。 一番長く続いたのは羽田空港のチェックインカウンターでのバイトでした。いろんな事件もありました。手荷物検査のX線に恐竜らしき物体が写り、開けてみたらイグアナが入っていたり、芸能人が来た時はダミーで走らされたり、しかし、ここで堀さんはチームワークの大切さを肌で学ぶことができたのでした。そしてこの時、自分も世界に羽ばたく仕事がしたい、と日本語教育の勉強を始めました。 大学卒業後はイギリスで半年間日本語を教えました。そこは、日本語だけではなく、いろいろな言語を教える語学学校だったのですが、そこで堀さんは英国人スタッフに向けて日本語を教えていました。ある日「これ、それ、あれ」を教えていると、あっという間に理解してしまい、3分で授業が終わってしまいました。その時に言われます。「もっと楽しく授業することを考えなよ。」ここで堀さんは、楽しく勉強することの大切さに気づきます。 こうして日本に戻ってきた堀さん。企業勤務の傍ら企業内日本語教室や地域のボランティア教室で日本語を教えていました。その時、ブラジル人の交通事故がとても多いこと、また彼らは日本語がわからないため不利な状況に立たされることが多いことを知り、彼らが日本語を知らないと自分の権利を守れないことを実感します。そんなとき、浜松国際交流協会から日本語コーディネーター就任の依頼を受けます。これまで見てきた外国人の状況を私が変えたる!そう決意して、浜松国際交流協会に入りました。 当時OPIも勉強していた堀さんは、どうやったら「使える日本語」を教えられるのだろうと考えました。ふと目にした2006年に浜松市の外国人就労生活実態調査の結果で、日本語を習いたいと思いつつも日本語を勉強していない人が8割近くもいたということがわかって愕然とします。それまでの日本語教室が、ニーズに合っていないことの裏返しだと思った堀さん。「場面で使える日本語会話」を目指して、スーパーに実際に行って買い物をするなどのサバイバルジャパニーズを実践しました。 企業内日本語教室を立ち上げたいと企業に日参し、やっとの思いで開講した日本語教室でも、「堀さん、こんなことをやっていて何が得られるの?」と。そんな痛烈な言葉をくれた人は、その後の堀さんに大きな力を与えてくれることになったヤマハ発動機の石岡修部長(当時)でした。そして、その言葉で堀さんは発奮します。それからというもの消防士、警察官、企業の人、お店の人…いろんな人を巻き込んだ日本語教室を展開していくようになりました。すると、評判が評判を呼び、企業内日本語教室は外国人労働者のみならず日本人従業員との人間関係構築の場となっていきました。 大事なのは、出口デザイン。何のための日本語教育かという視点を決して忘れてはならない。人間関係が作られる日本語教育をしていかなければならない。それは堀さんが常に抱いている想いです。 その想いを形にしていくためには、自らが社会起業家になろうと決意し、グローバル人財サポート浜松を設立しました。そして、堀さんの取り組みは次々と成果を上げています。 地域に暮らす外国人にこそ、ずっと日本で活躍していけるための資格を、という視点で日本語の勉強と同時に介護ヘルパー2級の資格が取れる仕組みを作ったり、大学生と一緒に地域作りに取り組んだり、次世代を育成することをとても大切にしています。 堀さんたちの取り組みについて、詳しくはHPをご覧ください。 http://www.globaljinzai.or.jp/company/ 今彼女が考えているのは、日本語教育の社会起業家を作って行かなければ、ということ。グローバル化の進む中、地域でも多文化共生社会の構築への努力が続けられていますが、その課題解決に日本語教育が大きく関わっているとの思いで、社会の取り組みとして地域課題の解決を目指す人材を育成しよう!というのが堀さんの思いです。そこでCRIATIVA(クリアチバ)という団体を立ち上げます。 いよいよその地域日本語教育「起業家」育成講座が、9月29日から開講します。 講師陣も素敵な方ばかり。 お申込み、お問い合せはこちらへどうぞ http://criativa.blog.fc2.com/blog-entry-18.html 自分は常に声をあげ続けて、みんなが求める最高の社会にしていきたい!きっぱりと言い切るところが実に凛々しくまさにライオン姫!その生き方に惚れる女子がいっぱいいそうです。 でも、堀さんは、実はとてもデリケートな乙女の部分を持ちあわせています。たまにはライオンじゃなくて、姫に戻る時間も大切にしてくださいね。 多文化共生社会の実現のために、声なき人の声を拾うために、これからも走り続ける 堀 永乃さん。浜松を、そして地域社会の日本語教育を引っ張る、素敵女子なのでした。 |