今日の人43. 杉森道也さん [2012年06月24日(Sun)]
今日の人は、富山大学医学部医学科統合神経科学助教、医学薬学研究部助教の杉森道也さんです。
杉谷ドリプラ2012で学生さんたちのメンターとして、全面的に学生を支えた先生といった方が、わかりやすいかもしれません。 (杉谷ドリプラ2012って何?という方、こちらをご覧ください⇒http://www.drepla.com/magazine/articles/000439.shtml ) 杉森さんは一見、えらい先生には全く見えません。どう見ても大学院生といった感じなのです。ですから、初対面の学生にはたいてい驚かれる、知っている学生にもすれ違った後に気付かれるとか。 3人兄弟の末っ子として育った杉森さん。医師を志したのは、高校生の時、ハンドボール部の活動中にボールが目に当たって失明しかけた経験があったからでした。そこから医療の世界に入ります。当時の富山医科薬科大学に入学、卒業してしばらく病院で勤めた後は、東京大学大学院医学系研究科博士課程で学び、アメリカでも4年間学ぶなど、本当に華やかなキャリアをお持ちなのでした。 杉森さんは脳外科の当直の時に、しばしば患者さんひとりひとりとじっくり時間をかけて向き合います。例えば頭が痛いといってやってくる患者さんとの対話も、カルテに一字一句を書き込んでいきます。休日に頭痛を訴えてくる患者さんの多くは、自分の心に隠している部分を持っています。自分の心に向き合ってもらい、「私つらいんです」という言葉を得るまでにも数時間を要することもあります。つらいと思っている人は、とにかく休ませることが大切と杉森さん。いつも張りつめて緊張している人の話を数時間聞いたり、特に頭痛薬を用いなくても点滴で5時間休ませると、うちに帰る頃には頭痛が消えているというケースも少なくありません。 杉森さんは東日本大震災の時に、医療支援で気仙沼に入りました。震災の直後は、みなアドレナリンが出続けて、一見笑顔で元気なのです。でも、そういうエネルギーは一か月もすると切れてしまう。震災でベースが相当落ちている人々にとって、一度落ちた心の力はなかなか回復していかないのです。実際、診療中に二人の看護師が倒れてしまいます。みんなギリギリの所で踏ん張っている。頑張り続けて壊れかけている人ばかりでした。その状態を放っておくと、頑張りきれなくなった時に総倒れになってしまうのは、目に見えていました。 杉森さんは、同時に派遣された研修医の奥村麻衣子Okumura Emily Maiko先生と、残された2日間合計12時間かけて、その病院で働くすべての看護師・事務員・技師の話を聞きました。皆、心の中がボロボロの状態でした。不安が取り去られないと破たんしてしまう! 杉森さんは気仙沼の医療支援セントラルミーティングで訴えます。その提案は東京の本部で取り上げられることになりましたが、でも、心が壊れかけているのは、医療支援者に限ったことではありませんでした。市役所の職員も、土建屋さんもみんな、ギリギリのところで戦っていたのです。杉森さんは、このときに医療支援セントラル、気仙沼災害対策本部の両方に行ってレポートしました。医療の現場で感情がこみ上げて来て話をできなくなったのは後にも先にもこの2回のレポートの時だけでした。 家を失い、家族を失い、瓦礫の後始末、ランダムに亡くなっている人の仕事の手伝い、そして自分の仕事、さらに復興プロジェクト…。 こういう人たちを救うためには、例えば富山県が気仙沼市を丸抱えすればいい、と杉森さんは考えます。 いろんな業種に携わる住人をこちらから一ヵ月、三か月単位で派遣し、逆に気仙沼からは、同じ期間で富山に人を受け入れるのです。そうして、常に人の交流を起こし、それを末端に行きわたらせる。目的は2つ。まず震災後のつらい時期を過ごしてこられた被災者の方達の話を富山においていってもらい、また被災していない地域で働いてもらう事で瓦礫などの情景から離れてもらう事を通して、彼らのつらさをすこし抜いてあげること。また被災地に派遣された富山の人は、被災していない分、集中して復興プロジェクトに取り組める事、また彼らの置かれた状況を共有し、「被災地に生活している人たちを見守っています」というメッセージを発信する事。それは、防災意識の低い富山県民の意識に変化をもたらすこともできるでしょう。この丸抱えプロジェクトを、杉森さんは本気で考えていました。 杉森さんが常に利他を本願においていることは、学生たちへの支援の姿勢を見ていると本当によくわかります。 富山大学を夢の持てるキャンパスにしたい、関わっている人が夢を持てるようにしたい。学生たちにとって、医療者としての、医師としての基礎はここで作られるのです。「富山大学医学部で勉強しました!」と堂々と言ってほしい、今後自分のブランドを形成して行く礎を築く、そんな場所であってほしい。けれど、現実は、富山大学の医学部にしか入れなかった、と思っている学生がとても多いのです。 それを変えたい! 杉谷ドリプラ2012を作っていく過程で、たくさんの学生たちが日々刻々と成長していくのを間近で見て、こんなに嬉しいことはなかった、と杉森さん。 学生が自己肯定感を高めて、自分ブランドを持てば、たとえ世界中のどこへ行ったって、活躍できると信じています。そしてそれぞれが世界一のブランドを築いて行けるとも信じています。 そういう意味でもドリプラは試金石。学生たちが自らの力を伸び伸び発揮できるように、どうイノベーションを起こしていくか、そしてどのように学生のイノベーションを寛容に育んでいくか、実はこれからが大事なのだと。 杉森さんは、おっしゃいます。 全ての人間はちがうのです。人にはすべて偏りがあります。 才能の偏り、時間の偏り、お金の偏り、感情の偏り、場所の偏り… 全て偏っている。そしてすなわちそれは、その人自身の特徴でもあるのです。 しかし、偏っているものは壊れやすくもあります。それを特長として見られるかは、寛容があるかないかで変わってきます。 できないことにこそ、ひとを特徴づける何かがあり、多様性の重要な要素になります。 だれもがひとりで、すべてを完璧にこなせないわけですから、全ての人間が能力に障害を抱えているという極端な見方をすることができます。また一方で、未だできていないことにこそ、人の能力の可塑性(かそせい)が包含されていて、未来のリスクが分散されています。ならば、多くのひとの能力を引き出しながら、多様性を維持しながら、社会のリスクを分散させようとするために、私たちの弱点をそれぞれが認め合い、社会全体としての可塑性(変わりうる能力、今できていないこと)を維持しながら、それぞれが得意なことを特長(できないことに特徴づけられた、裏付けられた、非常に特異な能力)として活かす方策をそれぞれが考え・実践していくことが大切だと思います。と…。 多様なものの集団では、自然な現象として、徐々に最適化が起こってきます。最適な論理を構築して、最適な結果を望むようになります。そして自己組織化が起こります。 しかし、様々な事実の中で、いつか対応できない事実がやってくることがあります。その時、その事実を受け入れられるか否かでその組織・社会が変わってくると言えます。 事実を受容した場合は、組織の論理を変えられる可能性があります。それがイノベーションです。 事実を受け容れなかった場合は、大事なものが無視されるわけですから、いつか破たんが起こるのです。 受容するためには、いままで構築して来た自己の論理を否定できる力が必要です。そして、新たな論理を生み出す力、是と出来るものを生み出す力が必要です。 過度に最適化されず、また最適化後にもそれを否定し新たな論理を構築できるという変化できる状態(可塑性)を保ちえるのは、すなわち、組織や社会が大きいリスクを避けることになるのです。 …杉森さんと話していると、なんだか私はいつも適当なことしか考えていないなぁと反省させられます。 自分と深く向き合うという行為は、きっと孤独な作業です。その孤独な作業を淡々と続け、そしてその作業から紡ぎ出されたものを、学生たちに惜しみなく与えている杉森さん。ですから、杉森さんの研究室には、杉森さんを慕ってやってくる学生が後を絶ちません。 富山大学医学部、こんな素敵な先生がいらっしゃる大学ですもの。杉森さんが望まれるように、学生たちが富山大学医学部出身ということにアイデンティティが見いだせる場所になると私は信じています。 最後にひと言。杉森さん、いつもいつも誰かのために一生懸命で、いつもご自分の身を削っていらっしゃいますので、たまには自分のこともいたわってくださいね。杉森さんが道半ばで倒れたら、元も子もありませんもの。 杉谷キャンパスが伝説のキャンパスになっていく道のりが、富山にダイバーシティが広まっていく道のりと重なっていくよう、私もがんばります。 |