今日の人213.布村義成さん [2021年09月14日(Tue)]
今日の人は、成和造園【 Slow life garden-NARUWA 】 代表、庭猿 【 Garden Monkey 】 初代、TREE MIND 【tree climbing club】 キャプテンの布村義成さんです。海猿ならぬ庭猿としても最近有名で、ツリークライミングや石積でも活躍している今とってもホットな庭師さんなのです。
布村さんは昭和54年2月13日、バレンタインデーの1日前に生まれました。 小さい頃は川でカメをとったり、原っぱで虫を取ったり、秘密基地を作ったり、とにかく外で遊ぶのが大好きでした。勉強は嫌いで宿題もしませんでしたが、運動と美術は小さい時から大好きでした。家は兼業農家だったので、休みの日に農作業の手伝いをさせられるのは当たり前でした。文句を言いながらもちゃんと手伝っていた義成少年です。 小学生の時はヘリコプターの操縦士に憧れていました。世界を上から見られるのはいいなぁと思っていたからです。今、ツリークライミングで高い木の上から街を一望している布村さんですが、高い所好きはもうこの頃から始まっていたのですね。 中学生になるとバレー部に入り副キャプテンでした。中高校生の頃はよく家の窓から外に脱出して遊んでいました。トラック野郎がかっこいいなぁと思っていたのもこの頃です。 高校ではラグビー部に入り、全国大会で花園まで行きました。ポジションは花形のフルバック!(五郎丸と一緒ですね)ただ、足首、鎖骨、肋骨…合わせて10か所以上は骨折して常に満身創痍といった感じでした。部活中にまだ水も飲めない時代で、練習は本当にきつかった。ただ、よかったなと思うのは、栄養はしっかり自然物から摂れと言われ、安易にプロテイン等に頼らなかったことです。そしてラガーマンらしく、この頃からシャツは襟を立てて着るようになった布村さんなのでした。 高校の土木科を卒業した後は、専門学校で測量について学びました。自分の欲しいものはちゃんと自分で買うのが当たり前と思っていたので、とび職のバイトをしたり、スポーツ用品店や焼き鳥屋、いろいろなアルバイトをしました。そうして稼いだお金は車に使って、夜は車で走るのが日課のようになっていました。カークラブを発足させて数人で走っていたこともあります。何かをするというよりは、皆と集まるのが好きだったのです。 専門学校を卒業後は建設会社に就職し、利賀ダムや飛騨トンネルの施工にも携わりました。そして、20歳の時に結婚。お相手は小学校時代からの同級生でした。 建設会社の現場で5年くらい働きましたが、会社が傾きつつあったこともあり、友人が経営するスクラップ運送業に転職します。ここで、子どもの時になりたかったトラック野郎も経験しました。大型トラックに乗っていましたが、この仕事は年を取ってからは無理だなぁと感じたのもこの頃です。その頃、祖父の家に庭師が来て庭の手入れをしているのを見て、これなら俺でもできるんじゃないか、そう安易に思った布村さん。なにか手に職をつけたいと考えていたのと相まって、1年足らずで運送業を辞めて、造園屋に弟子入りしたのです。 布村さんが弟子入りした造園屋は富山県で一番古く、厳しいけれど技術は超一流の親方がいるところでした。最初は昔ながらのトイレ掃除からのスタートで、すぐ音を上げる人も多い中、ラグビー部の理不尽とも思えるきつい練習で鍛えられていた布村さんは不平不満を抱かずひたすらコツコツとやり続けました。1〜2年経って、ようやく少しずつハサミを持たせてもらえるようになり、3年後くらいに木に触らせてもらえるようになりました。豪快な親方で遊ぶときはとことん遊ぶという人だったので、仕事も遊びも全部教えてもらった20代でした。子育てに追われながらそれを支えてくれた奥さまには感謝しかありません。 修業時代の途中から、個人的に頼まれる仕事も増え、そうなると休みの日が全くなくなっていきました。これはもう独立するしかないなぁと思い始め、ちょうど10年前の2011年に独立しました。周りから反対もされましたが、それを押し切っての独立でした。 しかし、独立当初は暇でした。造園以外にも軽トラで廃品回収をしたり、他の会社のヘルプをしたり、なんとかしのいで2年くらいを過ごしました。その後口コミで少しずつ評判が広がりお客さんも増えていきました。2年過ぎたくらいから従業員も増やして仕事も増やしていきました。 同じことだけやっていてはいけない、日本庭園だけやっていてはダメだ。そんな風に思っていた時に出会ったのがツリークライミングです。愛知にあるツリークライミングジャパンに所属した布村さん。ツリークライミングはどんな高い木でもロープ1本で登れる技術です。ですから、お寺や学校など重機が入れない場所の木でも剪定が可能になるのです。まさに「苗木から大木まで」扱える造園屋になり、布村さんが「庭猿」と呼ばれる所以もわかりますね。 ツリークライミングを通して、全く笑顔のなかった子に笑顔が生まれる瞬間にも何度も出会いました。ですから、布村さんは子どもも大人も巻き込んだツリークライミングイベントをどんどん展開してきました。ツリークライミングクラブを持ち、スタッフ全員がライセンス所有者である造園会社は富山ではただ一つです。もっともっとたくさんの人にツリークライミングの魅力を感じて欲しい。今はコロナ禍でなかなかイベントもできませんが、コロナが終息したら、またどんどんやっていきたいと考えています。ツリークライミングのワークショップの時、布村さんは森の中のミッキーマウス「布ちゃん」になります。はっきり言って着ぐるみよりも恥ずかしいのですが、木と友達になるという大きな目標があるので、そんな小さな恥ずかしさはなんてことないのでした。 ツリークライミングを楽しむ子どもたち、とっても楽しそう♪ こうしてツリークライミングをやっていた布村さんには、もう一つ大きな出会いがありました。それが英国の伝統的な石積との出会いです。4000年以上も前に建てられて、なお崩れないストーンヘンジを始め、ヨーロッパには石の文化が根付いています。この石積はセメントや接着剤を一切使わずに石だけで積み上げていきます。使うのはノミとハンマーだけ。自然に対して無害で産業廃棄物も一切出ないこの方法は理にかなっているし、とにかくかっこいいのです!でも、日本で石積みをやれるところがなく、ドライストーンウォーリングアソシエーション日本支部の門を叩いた布村さん。そして石積のドライストーンウォーラーという資格を取るために、本場イギリスに飛びました。そこで世界基準のすごさをまざまざと見せつけられ、がぜんやる気が出ました。ハードルが高ければ高いほどやる気になるのが布村さんなのです。こうしてイギリスでの試験に見事合格し、日本ではまだ数少ないドライストーンウォーラーになったのでした。 本場イギリスの石じゃないとダメだと言う人もいるけれど、布村さんはそうは思っていません。日本だから日本の石でもやりたい。その地域の自然にその地域の石が合わないわけがないと思うからです。 ツリークライミングの良さも、石積のストーンワークの良さもこれからもっともっとたくさんの人に広めていきたいと熱く燃えている布村さんなのでした。 そうして「庭は使ってこそのもの!ちゃんと活用できる庭を作っていこう!」という「庭活」も進めています。人が集まれる「ファイアガーデン」も目指すところのひとつです。人は火の周りに集うことで素直になれるし、落ち着くこともできる。ファイアガーデンも取り入れた庭づくりもこれからもっと広めていきたいのです。 庭猿は「にわざる」だけじゃなくて「ていえん」とも呼べる。庭の中にいる猿をちょっとずつアップデートしながら、庭師仲間を増やしていきたい。そして、庭師のかっこよさを追求していきたい。庭師・造園というとかっこいいイメージがまだないかもしれないけれど、子どもたちに「庭師ってかっこいいなぁ」と憧れてもらえる仕事にしていきたいのです。ですからみんなにアイストップされる(目をとめてもらえる)ことも大事にしています。例えば、地下足袋をはいて颯爽と仕事したり、ストーンワークする時はミュージックをかけながらするなどしてアイストップされることを心掛けています。造園屋というよりはガーデナー。もちろん日本庭園もバリバリに造れるガーデナーでありたいと思うのでした。 成和造園は道具も扱っている造園屋さんです。まき割りやのこぎりの実演も出来て買うこともできる。そして、なんと布村さんご自身も造園道具のモデルもしていらっしゃいます。これがまた絵になってとってもかっこいいのです。 この仕事は正直な仕事だと布村さん。投げた分だけちゃんと自分に還ってくる。そして、暑さ寒さを感じながら生きていける。何より、生き様をみてもらえる。こんなかっこいい仕事、ちょっとないよね、心からそう思っています。そう、布村さんはとにかく仕事が大好きなのでした。 そんな布村さんがホッとできる時間は何もしないでボケーッとする時間。それこそ、庭で弁当を食べてお茶を飲んで昼寝しているそんなボケーッとできる時間がホッとできる時間です。ボケーッとしながらも実はいろいろ考えていることも多いのですが。布村さんは言います。「思い浮かぶことはできること。頭に思い浮かべることができるなら、それはきっと実現できる。」だから、どんどんチャレンジしていくのです。明日死ぬかもしれない。だから後悔しないように100%仕事して、全力で遊ぶ!ここは修行時代の親方の教えがしっかり身についている布村さんなのでした。 最近はサップもやり始めた布村さん。キャンプも好きなことの一つです。成和造園では社員研修にもキャンプも取り入れています。キャンプは野性的な感性を磨くのにもってこいだし、キャンプを研修にすることで、新入社員との距離がうんと近くなることを実感しているのでした。 若い人に言いたいのは、もうとにかくバンバン失敗しろ、失敗したヤツの方がものになる。自分自身がそうであったように。失敗は糧にできる。だから、布村さんはどんな時でも恥ずかしがらずに行動するし何でもどんどん質問します。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。講習会があった時などはちょっとした疑問でもどんどん講師に質問するし、逆に自分が講師の時はどんどん聞いてほしいと思っています。実はわかっているようでわかっておらず、でも質問するのは恥ずかしいと思っている人はたくさんいるので、それを聞くことによって場が活性化するという場面に何度も出会っているのでした。子どもの頃は勉強嫌いだったけれど、今は学ぶことに貪欲な布村さんです。学校にこんな先生がいたら、子どもたちも楽しく勉強できるでしょうね。 ツリークライミングのワークショップもコロナ後はどんどん開催していくつもりです。以前、いじめられっ子といじめっ子が同じグループでワークショップをしたことがありまっした。そのツリークライミングのワークではいじめられっ子がどんどん木に登ってみんなの尊敬を集め、その後、すっかり仲良くなったということもありました。学校の中だけでは作れない関係をツリークライミングや石積みのワークショップでは作ることができる。 早くそんなワークショップが開ける日が来ることを祈ってやみません。 皆さんもぜひ「庭猿」に注目してみてください。きっとこれから富山で面白いことを仕掛けていくに違いないお一人です。 |