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今日の人144.林 不二男さん [2015年05月18日(Mon)]
 今日の人は和楽グループ(法人5、学校法人1、協同組合1、美容室・貸衣装・エステ・美容学校)代表であり、共育和楽塾塾長としても、さまざまな講演会、セミナー、コンサルティングなどに引っ張りだこの林不二男さんです。
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 林さんは1964年に、富山市で生まれました。小さい頃は、もっぱら外で遊ぶわんぱくな男の子でした。林さんが4歳の時に、お母さんは和楽美容院を創業し、大変忙しかったので、林さんは親戚やご近所に預けられるのが当たり前の日々でした。寂しくないと言えば嘘になりますが、ご両親が自分に愛情をいっぱい注いでくれているのは十分感じていたので、むしろその環境を楽しんでいたといっても過言ではありません。

 小学校に入っても、野球や外遊びが大好きでしたが、「店のお姉ちゃんたちのおかげで
たべさせてもらっているんだよ」と躾の厳しい両親の元、店が忙しいときはお店の手伝いをする日々だったそうです

 小学校2年生からは千石町に住んでいたので、いわゆる街の子でした。周りは小学生の時から寿司栄(富山では有名な寿司屋)で食べているような裕福な子が多く、林さんもそういう友だちと遊んではいましたが、ご自身はとても厳格に育てられお小遣いも友人の数分の1でした。小学校3年生の時の夢は学校の先生でした。この夢はすっかり忘れていたのですが、総曲輪小学校130周年の時に、当時埋めたタイムカプセルを掘り出して、それで先生になる夢を持っていたことを思い出したのです。当時担任の先生が好きだったので、先生になりたいと書いた不二男少年でした。
 5年生の時になると、夢は美容師に変わっていました。バリバリ働き店も繁盛し、広げている母の姿がとてもかっこよく見えたのでしょう。当時美容師になりたいと言っている男子はいなかったので、笑われましたが、林さんはどこ吹く風でした。子どものころから度胸が据わっていたのです。

 中学生になると、本格的に美容師になりたいと思っていました。いや、もう一歩進んで美容室の経営者になりたいと思っていました。お父さんからは「鶏口牛後」を言われていましたから、無理していい学校に行くより、できる所でトップに立とうと思っていました。林さんには反抗期というものがありませんでした。ご両親とも厳格でしたが、心から尊敬していました。ご両親はお店がどんどん大きくなるときに、スタッフの教育にもとても厳しい人でした。そういうご両親の真摯な背中を見て育った息子には親に反抗するなどと、思いもよらないことでした。
 なんと林さんの家は門限が6時でした。それは高校に行っても変わりませんでした。そして林さんはそれを完璧に守ったのです。周囲が煙草を吸おうが麻雀をやろうが、流されることはありませんでした。ただなんとなくやる、というのは大嫌いでした。そして当時から徹底的にプラス思考でした。
 高校は富山北部高校に進み、軟式テニス同好会に入りました。同好会は2年生の時に部に格上げしたのですが、林さんは軟式テニスよりもクラスメイトとするバレーボールに夢中になりました。当時のワールドカップ女子バレーボールの影響を強く受けていたようです。毎朝、昼休みとバレーボールにのめりこんでいました。

 高校3年生の頃、林さんは東京の大学へ行って経営の勉強をしようと考えていました。美容師になるためには東京の情報は大事だし、いったん東京で就職して、いずれ富山に戻ろう、そう考えていました。そして帝京大学に進学したのです。

 林さんはお父さんに資産運用でマンションを買ってそこに住むことを提案しました。けれど、お父さんは人脈を広げるためにも富山県学生寮へ行けと強く勧めました。このお父さんの勧めは林さんの人生を大きく変えるきっかけを作ってくれました。富山県学生寮には東京大学や早慶の学生もいれば、偏差値の低い大学の学生もいました。これだけ色々な大学の学生がいるのが楽しくて仕方がなかった。そして、大事なのは偏差値ではなく、人間力だということをここで痛感したのです。2年の時には寮の自治会のトップに立ちました。寮の様々な行事をこなすうちに、将来、リーダーとして生きて行こうと決めたのでした。
 富山県学生寮のOBには政財界のトップクラスの人材が多く輩出され、寮出身というだけで大きなネットワークができました。お父さんに寮に入ることを勧められた時、なぜそんなに勧めたのか「あとからわかる」と言われたのですが、その言葉通り、このネットワークは本当に大きな財産になったのです。
 
 大学ではアーチェリー部に入りました。ここに1年後輩で入ってきたのが後の奥様になる人です。通学が一緒の方向だった彼女を明治大学の五月祭に誘い、6月30日から交際を始め、7月7日の七夕の日にはもうお母さんに彼女を紹介していました。彼女の両親にも付き合う前に「お嬢さんとお付き合いさせていただきたいと思っています」と挨拶に行きました。昔から筋を通すことを徹底していたのです。デートの後は必ず彼女の家の居間にあがり、将来の夢や富山の両親に対する感謝と尊敬の思いを語っていたそうです。

 大学の時から日経流通新聞(現日経MJ新聞)を読んでいて、記事から未来を予測するということもしていました。当時はバブル期、周りをを見ても明確にやりたい仕事があった人は少数で、皆仕事の条件だけで就活をしていたようです。

 大学4年の時に知人から勧誘された自己啓発セミナーで、林さんは大きな衝撃を受けます。ベーシックで感動し、卒業式も参加せず、箱根の山奥での合宿、4日間のアドバンスコースに進みました。その最後に「ノアの箱舟」というワークをやったのですが、そのワークは「今いる30人の中から3人だけを選んでください」というものでした。選ばなかった残りの26人には「あなたは死にます」と伝えなければならない極めて厳しいワークです。この4日間でみんなと深いところまで話し合って、仲良くなっていたし、自分は3人の中に選んでもらえるかもと思っていました。けれど、ものの見事に全員に「林さん、あなたは死にます」と宣告を受けました。学生生活で自信をつけていた林さんは大きなショックを受けました。この体験が、「自分はもっと人のために生きよう」と思ったきっかけになったのです。
 自己啓発セミナーを40代になってもむやみに受講している人もいますが、林さんはそういう類のものは、そんなにいくつも受けるものじゃないと考えています。変わる時には一発で変わる!変わらない人は変わる気がないからいくら受講しても何も変わらない。林さんはノアの箱舟の応用ワークを自社の新人研修などで使うことがありますが、素直な社員たちも見事に一度で変わります。
 林さんはハウツー本も一切読みません。そんなものに頼っているようじゃ絶対にいけないと。ハウツー本や自己啓発セミナーより自分のブレない軸を実践で作ることが大事です。
自分や世の中がどうあるべきか。何のために生まれてきたのか。自分の使命は何か。そのために今を生きることが何よりも大切だと考えています。

 こうして大学を卒業した林さんは、マネージメントも学べて美容師になれる美容室(株)田谷に就職しました。実は、就職する前に美容商材卸問屋がいいか、美容メーカーがいいか、それともこの美容室がいいか、3択で迷っていました。その時に相談したのは、会社の経営者でもあった彼女のお父さんでした。彼女のお父さんに「現場に入ったほうがいい」とアドバイスを受け、最終的に田谷(美容師)を選んだのです。こういう時に、彼女のお父さんに相談しちゃうところが林さんの素敵さの一端を表していますね。

 就職して最初の新人研修、50人の新人の中で林さんはいろんな場面で一人だけ積極的に手を挙げて発言していました。将来の夢はと聞かれると「田谷の営業部長です」と答えていましたし、それだけ元気な新人職員なので、社長の目にもよく止まりました。ヘアケア商品の販売でも4月は売上1位、5月は1位を逃して社長から「大したことないな」と言われたのに発奮して、6月からは1位。その後も常にトップ争いをしていました。
 バブルの真っ盛りで不動産屋の同世代のお客さんから「君は、大卒なのに、なんでこんなお金にならないことをやってるの?」と言われたことがあります。でも、林さんは当時手取り9万でずっとシャンプーをやっていようが全く気になりませんでした。むしろやりたい道に進んで楽しかった。お金をいただいて勉強できることに感謝していました。
 若手社員から6名だけ選抜される青年将校にも選ばれ、美容専門誌「美容と経営」の勉強会にも参加。その時から企画書を矢継ぎ早にあげていました。美容室にプリペイドカードを導入したらいい、フロンガス対策が必要だ、当時はまだ言われていなかったことを先取りして企画書にした林さん。もっとも時代の先を行き過ぎて、その意見が採用されることはなかったのですが。
 船井幸雄さんの異業種勉強会にも当時から参加していました。船井イズムをしっかり継承できているという自負があります。

 23歳で彼女にプロポーズ。お父さんから「来週もらいうけに行くから」と言われトントンと話が決まったのでした。あまり長い間女性を待たせるものではない、そういうご両親の気配りでした。そして24歳で彼女と結婚したのでした。

 就職して3年目、目からウロコ事件が起きます。それは松山の代表的な美容室、リオ美容室の創業者である橋本勝子さんとの運命の出会いでした。橋本さんはおっしゃいました。
 「あんた、今帰ったほうがいいんじゃない?営業部長になってから帰るのも一つだけど、26歳の目線で22人の和楽のスタッフと一緒にがんばったらいいんじゃない?営業部長になって肩で風切って何億も動かしたからって、帰っても誰もついてきてくれないよ」

本当にそうだと思いました。もちろん、葛藤はありました。就職して2年目の駆け出しの時に、結婚式に社長自ら出席したいと言われるほどかわいがってもらいました。それが3年目にやめるといったのですから、社長は引き留めに飛んできました。それはとても光栄なことでした。しかしながら林さんは社長に言いました。
「社長も昔はゼロからスタートされたではないですか。私もそうしたいのです。」
社長は納得してくれました。田谷イズムも十分に林さんの中に染み込んでいました。こうして、26歳の5月に、奥様と共に富山へ戻ってきたのです。

 帰ってくるにあたって、林さんはハサミを置くことを決めました。創業者ではない自分がプレイングマネージャーをやっても、中途半端になる。マネージメント一本で行こう、そう決意してハサミを置いたのです。ハサミを置いた以上、もうスタッフが頼みの綱になります。ここで林さんに新たな覚悟と決意が生まれたのでした。

 こうして社長である父や創業者である母と社員をつなぐパイプ役として帰った初年度からさまざまに動き始めました。帰った当初から新人教育を担当したり、様々な企画をしてみたり「不易流行」を意識し、継承から進化へ突き進んでいくのでした。
 1年後、お父さんからJC(日本青年会議所)に入会しろと言われます。富山県学生寮の時もそうでしたが、とにかく人脈を大事にしろというのがお父さんのポリシーでした。お前は2代目だからどんどん外に出ろ、そんな言葉に押されて、JCに入会しました。
 入会してみると、自分以外の同期は知り合いが多い感じでした。知り合いが全然いない状態で入会した林さんでしたが、仕事を切り上げて活動するのだから何か学び取ろう、何か役に立つことをしようと一生懸命でどんどん周りに注目されるようになっていきました。あるとき人脈を広げたい、という林さんに「それはちがうよ」と言ってくれた先輩がいました。富山いすゞ自動車の池田徳郎さんです。池田さんはおっしゃいました。
「林君、人脈より人望だよ」
ハッとしました。それからは人脈つくりより人望という言葉を胸に活動しました。
まさに人は人でしか磨かれない、それを教えてくれたJCでの活動だったのです。
 2002年に翌年の理事長に立候補し2003年にはJCの理事長に就任しました。
しかしそのプロセスには人生の反省を促される色々な出来事もあったようです。そして己の人生をもう一度見直しました。人に認めてもらえる理事長になるべくがんばろうと。

 2004年は日本青年会議所常任理事兼北信越地区会長として、地区や全国行脚することで、富山JCのポテンシャルの高さを実感します。そして、この伝統を伝えていかなければと思った林さんは、後輩の育成にも力を入れ始めました。
その一環で共育和楽塾も誕生したということです。

 共育和楽塾は未来を切り拓き、自律した自立型人間になるため、自ら学び、自らが変わり、行動する。そんな人財の育成を目指している塾です。塾長はもちろん林さん。口コミでどんどん広がり、今年は富山だけでなく、東京、軽井沢、金沢、魚津でも開催しています。全国に100名を優に超える塾生がいます。

 もちろん、和楽グループの代表としても日々、人財育成の日々です。「和やかに楽しい人財育成」LOCAL BLANDとして小さくて強い会社づくりを目指し、様々な取組みをされています。社員満足が顧客満足を得る。ですから、社員のことを徹底して考えた共育がなされている、それが和楽グループなのです。
「すなお」「プラス思考」「損得より善悪」「利他精神」「矢印を自分に向ける」「因我にあり」などの和楽スピリッツを伝承し、徹底して「信じて」「認めて」「任せて」います。
そんな林イズムの元で、たくさんの人財が育っているのです。

 自らも常に仕事と人生を楽しんでいる林さん。林さんは特別な夢は持ちません。今を真剣に生きていると次が見えてくる。そして、またその次に真剣に取り組んでいけばいい。どこまでも前向きでパワフルです。

 みなさんも一度林さんの講演を聴いて、そのエネルギーに触れてみてください。きっと帰り道はモチベーションMAXになっているに違いありません。