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今日の人121.相沢英樹さん [2014年06月28日(Sat)]
 今日の人は富山でスイーツを作らせたら右に出るものがいないパティスリー・シュウエトのオーナーシェフ、相沢英樹さんです。
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 相沢さんは1966年に富山市で生まれました。富山市育ちではあるのですが、弟二人が喘息で入院しがちだったので、幼い頃は1年のうち半分は滑川の親戚のうちに預けられて育ちました。でもあまり寂しかった記憶はありません。お父さんは三交代の社員で忙しかったですし、お母さんも弟たちの看病で大変なのはわかっていましたから、駄々をこねたりすることもありませんでした。

 小学生になると、親戚の家に預けられることもなくなり、いつも近所の子どもたちと外で遊びまわっていました。野球少年だったので、いつも野球ばかり。とりわけ王貞治さんの大ファンで、部屋には雑誌「冒険王」の付録について来た王さんのポスターがずっと大切に貼ってありました。一本足打法の王さんの写真に「努力」の二文字が書かれているポスターでした。将来の夢もプロ野球選手でした。当然、巨人に入るつもりでいました。
 お父さんがスキー好きだったこともあって、冬にスキーをするのも好きでした。学校はとても楽しく、学校に行くのががいやだと思ったことは一度もありませんでした。

 中学校でも野球部に入る!と心に決めていたのですが、小学校時代一緒に野球をしていた先輩に強制的に卓球部に入れさせられます。ショックでした。絶対に野球を続けたかったのに…。
 でも、卓球部に入ったからにはここでやるしかないな、と切り替えられるのが相沢さん。そして2年の時には富山市の大会で優勝したのです。相沢さんを卓球部に入れさせた先輩は相沢さんのそういう素質を見抜いていたのでしょう。
 学校には相変わらずちゃんと行っていましたが、一方では不良少年たちともつるんでいました。一通りの悪さもしたそうです。もしかしたら野球部に入れなかった鬱憤をここで少し晴らしていたのかもしれません。

 高校ではアルバイトとパチンコ三昧の日々を送っていました。といっても学校はサボらず行っていました。その場の中で楽しいことを見つけることが昔から得意でした。
『自分はものづくりが好きだな。特に食に関することに興味があるな』という想いも、野球から遠ざかった頃から漠然と抱いていました。そして、高校2年の時には親にこう言ったのです。
「卒業したら辻調理師専門学校に行かせてください」

 こうして大阪にある辻調理師専門学校に進学した相沢さん。学校が斡旋してくれた寮付きの中華料理屋でアルバイトしながらの学生生活でした。寮は大部屋に10人ほどで雑魚寝するような部屋ではありましたが、学校に行って、アルバイトに行って、寝に帰ってくるだけなので、全然苦にはなりませんでした。ただ、学校に入って早々にわかったことがありました。エビに触ると手が痒くなることから、甲殻アレルギーがあることがわかったのです!さて、そうなると甲殻類を使う和洋中の料理人には向きません。こうして、お菓子分野を専門にすることに決めた相沢さん。ただ、専門学校時代は出席単位ギリギリでの卒業になりました。アルバイト先の仕事は毎日が終電の連続で、しかもその後飲んだりしていたので、朝寝坊して起きられない日が続いてしまったのでした。
 でも、アルバイト先での仕事ぶりは本当にマジメそのものでした。相沢さんは仕事に本当にマジメな人で、仕事をさぼりたいとは一切思わないそうです。お父さんが仕事人間だった影響も大きいかなと思っています。そして、仕事の愚痴は一切家族の前ではこぼさない相沢さんなのでした。

 卒業後は大阪のケーキ屋に就職しました。シェフは昔気質の人だったのでよく殴られましたが、とても面倒見の良い人でした。2年経つと「お前退職届を書け」と言って、相沢さんが更に技術が磨ける店を紹介してくれました。こうして更に2年、大阪で働きました。朝の5時から夜の9時、10時まで働くのが当たり前のような毎日でしたがそれを不満に思うこともなくひたすら腕を磨いていったのでした。。

 こうして大阪で4年間働き、今度はフランスか東京で働きたいと思っていました。でも、どうしても地元に帰らざるを得ない事情が出来ました。フランスにも東京にも行きたかったので、ずいぶん悩みました。好奇心が強いので、一度行きたいと思ったら本来行かずにはいられない性格の相沢さん。でも、「本当に行きたかったら、後からでも行けるやろ」と言われ、泣く泣くその想いを封じました。

 そして金沢の全日空ホテルでシェフに。ここでは3年働くのですが、その間に結婚もしました。その後はいろいろ落ち着いたこともあって、北海道のホテルで2年働きます。しかし、そのホテルは内部派閥がすごく、すぐに足の引っ張り合いになり仕事がまともにできませんでした。ここにいると自分はダメになる。そう思ってまた金沢に戻ります。

 相沢さんの基準はいつも世界でした。世界レベルの中で自分のレベルがどこにあるか?それをいつも考えるのです。そして、そこに追い付きたいから努力は決して惜しみません。だから自分の技術と常に逃げずに向き合ってきたという誇りがあるのです。
「メジャーリーグと触れ合った時に負けていないと思えるのは努力以外にない」とイチローが言っていたように、世界のパティシエと遜色ないと思えるのは自分の努力以外にはないのだと相沢さんは思っています。

 しかし、やっとの思いで北海道のホテルを辞めさせてもらってからの新たな金沢時代、こちらも暗黒の時代と言っていいほど、しんどい5年間でした。5日間連続で徹夜して仕事するほど忙しい日々。2年間は全く休みがありませんでした。今から思うとなんでやめなかったのかと思うほど過酷な労働状況でしたが、責任感の強い相沢さんですから、やればやるほどドツボにはまっていく、そんな感じの5年間だったのです。この時の忙しさは、家庭生活にも多大な影響を与えてしまいます。あまりに家に帰らずに仕事ばかりだったためでしょうか。8人いたスタッフは全員離婚。実は相沢さんは最後の一人だったのですが、その相沢さんもこの時のすれ違いが響いて、後に離婚してしまうことになったのです。仕事の愚痴は一切家で言わなかったので、家に帰ってこない相沢さんが浮気をしているのではないかと疑われてしまったこともありました。ですから、家でもある程度仕事の愚痴もこぼした方がいいと、この時の経験から思っています。

 相沢さんは大変な労働環境からようやく抜け出せたのは、富山全日空ホテルで働き始めてからでした。金沢全日空ホテル時代の副料理長が富山全日空ホテルの料理長になり、ぜひ来てほしいと声がかかり、相沢さんはようやく富山に帰ってきたのでした。
 富山全日空ホテル時代はとても安定していました。ちょうどホテル自体もオープンして2年目に相沢さんが入り、いちばん売上を伸ばした時でもありました。忙しいなりにも月に2,3回は休めるようになり、ゴルフにも行けましたし仕事もプライベートも充実した時になりました。お子さんを連れてよく遊びに行ったのもこの頃です。

 相沢さんは読書もよくします。大阪での最初のお店のシェフに薦められて司馬遼太郎の「関ヶ原」を読んでからというもの、司馬遼太郎は読破しましたし、開高健も好きでした。金沢のお店で責任者を任されてからはビジネス書もよく読むようになりました。セミナーには基本的に行かない相沢さん。いろんな人がいるのにセミナーだとどうしてもみんな一緒くたになってしまう。それが好きじゃないと相沢さん。

 さて、相沢さんは40歳になったら自分の店を出そうとずっと心に決めていました。40まではいろいろなものを見聞きして、その後自分で独立しようと決めていたのです。幸いにして富山全日空ホテルは人も育ってきていたので、やめやすい状況にはありました。それでも相沢さんの変わりの人がなかなか見つからず自分のお店をオープンする3ヶ月前には辞めるつもりが、結局半月前までいることになるというハプニングはありましたが。

 しかし、こうして相沢さんのお店パティスリー・シュウエトは2006年10月にオープンしたのです。それから8年。お店では自分のやりたいようにやっていると相沢さん。しかし前述したように、お菓子作りに一切妥協はありません。だから相沢さんはお客さんに合わせるのではなく、自分の美味しいと思うものだけを出します。

 お店を出して、しばらくしてからeラーニングで大前研一さんの問題解決力トレーニングプログラムを受講。100人の受講者のうち、20人しか最後まで残らないタフなプログラムでしたが、途中で投げ出すのが大嫌いな相沢さんはもちろん最後までやり遂げます。その学びの中で、自分はカウンセラーもやりたいのだと気づきます。実は独学でずっと心理学も勉強していた相沢さん。お菓子教室を開催して、いろいろな人の話を聞くうちに、自分にはカウンセラーが向いているのではないか、と思うようになったのです。パティシエはとても肉体労働です。歳を取ってからもずっと立ちっぱなしのこの仕事には無理があるのではないかと思った時に、歳を取った自分に一番いいのはカウンセラーだと思ったのです。そして、その分野で相沢さんの師匠とも言える人は心理分析士のつじようこさんなのでした。
 セミナーとちがってカウンセリングなら一対一のやりとりを大切にできる、それは相沢さんにとってとても大切なことです。今の日本はあまりにポジティブ志向が強いように感じるけれど、ポジティブじゃないといけないというのはよくない風潮だと感じています。日本人はなかなか助けてといえない人が多いけれど、そう言えない人々の話をうまく引き出せるようにしていきたいと思っているのです。昔の職人さんたちは怖いけどあったかかった。今の若い人はそういう機会がなかなかないのだとしたら自分がその役割を担いたい。それが自分ができる社会への恩返しでもある、そう思っています。

 まだまだ先の話ではありますが、今、東京でパティシエをしている息子さんが富山に帰ってきて跡を継げば、相沢さんは移動販売車でケーキを売りながら、一緒にカウセリングもやっていくつもりです。パティシエ&カウンセラーなんてちょっと聞いたことがないかもしれませんね。相沢さんにはまだまだお店をやっていただきたいですが、その移動販売のケーキを食べながら相沢さんのカウセリングを受けるのもとっても楽しみです。

 もうひとつやりたいと思っていることがあります。それは障がい者と言われる人々がちゃんとした収入を得られるシステムを構築すること。もちろん、その事業も得意のお菓子屋さんからの出発になると思いますが、相沢さんは彼らにもちゃんとお金を稼いでもらいたいと思っています。収入を得て税金を納めることが、いちばんの社会貢献だと思うし、自信にもなると思うからです。

 こんな風にやりたいことがてんこ盛りの相沢さんですが、最近は自分の体作りにも気を遣っています。実は今年の1~3月に体調が絶不調だったことから、やはり体は大事だと改めて思わされたのです。ですから、最近はジムにもマジメに通い、体重も順調に落ちています。おかげで体調はとてもいいと相沢さん。今日も妥協無くお菓子作りに励んでいらっしゃいます。

 最後にお店のHPに書いてある相沢さんの想いをぜひお読みください。
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 ≪街のおかし屋でありたい≫
子供の頃、僕がおもちゃ屋さんにいくと、最新の人気ゲームプラモデル、盤ゲームや女の子向けのぬいぐるみなどありとあらゆる数多くのおもちゃが並び、圧倒され、目を輝かせてワクワクしたのを覚えています。僕はケーキをつくる仕事に就くようになり自分をお店をもつことに夢をみてそんなおもちゃ屋さんのようなお店でありたいと考えました。それはケーキ屋さんではなく色々なものが置いてあり「今日はどれにしょう?」とワクワクせずにはいられないような街のおかし屋さん(Pâtisserie,パティスリー)でありたいと。

≪すべてが手作り、材料は1流、絶対妥協はしたくないんです≫
こうして僕の中に広がった、富山の地に『街のお菓子屋さん』を開く夢、店の扉を開けると色々なお菓子が溢れていてしかもすべて手作り、出来立て材料は世界各国の人々がていねいに育ててくれた良いもの、1流のものだけを使う。構想が頭の中でどんどんふくらむ…。実は、こんな僕の夢を多くの人が否定しました。『理想を追いすぎだ』『綺麗事だけじゃ経営はできない』と。けれども、僕は絶対に妥協したくなかった。そして、『えい!』と勢いだけで、夢への第1歩を踏み出したのです。

≪お菓子を囲む人たちが、みんな笑顔になれますように≫
こうして生まれた僕の店は、『パティスリーシュゥエト』と名づけました。シュゥエトとはフランス語でふくろうのこと。知っていましたか?ふくろうは欧米では『幸せを運んでくれる鳥』なんです。そこには、こんな想いを込めました。

"お菓子を囲む人たちが、みんな笑顔になれますように"

お菓子は生活必需品ではなく、嗜好品です。もしもお菓子がこの地上から消えても、我々は生きていけます。けれどもお菓子には、人を一瞬で幸せにする魔法のような力があると思うのです。だから僕は、お菓子という名の『人を幸せにする鳥』を生み出す人になろうと決めたのです。
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こんな幸せなコンセプトで作られた相沢さんのお菓子がおいしくないわけがありません。
みなさんもぜひ、大好きな人と一緒に、相沢さんのお菓子で幸せな時間をお過ごしくださいね。