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今日の人84.大太浩次さん パート.1 [2013年01月21日(Mon)]
 今日の人は、ダイバーシティな企業IBMにお勤めの大太浩次さんです。
 大太さんはドリームプラン・プレゼンテーション世界大会に3年間スタッフとして参加されています。

 大太さんは鳥取県生まれ。大学に入学するまでの18年間は鳥取で暮らしていました。
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小さい時からずっと優等生で、クラスでは学級委員長をやりつつ、クラスの盛り上げ役として活躍していました。とっても目立ちたがりやでもあったのです。
 
 小学校3年生から、少年サッカーも始めます。最初は野球をやろうと思っていたのですが、野球は月謝が必要で、サッカーは必要ありませんでした。その理由で、サッカーの方を選んだ大太さん。
 でも、サッカーを始めると、たちまちサッカーに夢中になっていきました。ドイツのベッケンバウアーの下敷きを持っていて、こんな人になりたいなぁと憧れていました。
サッカー友だちと一緒に魚釣りに行ったり、雪合戦をしたりして遊ぶのもとても楽しかった。
スーパーカーも好きでした。フェラーリ、カウンタック…懐かしいですね。

 もの作りが好きで、廃材をもらって釘を打ってみたり。壊れた時計を分解して仕組みを調べたり、プラモデルを作ったり、そんな風に手を動かしている時間がとても楽しい少年時代でした。

 家はかなり躾に厳しくて、マンガはドカベン位しか許してもらえなかったし、テレビは「8時だよ全員集合」さえ見せてもらえなかったのでした。(大太さん、でも富山ではその当時TBS系列局がなかったから、元々見られなかったんです!)

 中学の時は学校が荒れていました。まさにスクール☆ウォーズ世代。大太さんは特定の集団にボコボコにされて、とてもつらい時期もありました。でも、学校を休もうという気にはなりませんでした。

 そして、中学の頃通い始めた塾の影響で、大太さん勉強がとても楽しくなりました。
 その塾は先生が車椅子の方の個人塾でした。めっちゃ厳しかったのですが、8時から9時くらいから開始だったので、部活が終わったあとに行けました。そして、レベル分けをしていない塾で、分かる子が分からない子に教える、そんな塾だったのです。人に教えてあげるというのは、自分がそのことをわかっていないと無理ですよね。ですから、大太さんは知らず知らずのうちに、教えることで自分自身がとても成長していたのです。そして、それが、自分が頑張れば、誰かを教えられる、という自信に繋がっていったのでした。

 サッカー部の中学最後の大会。3年生の中で3人が選手に選ばれませんでした。みな悔しくて泣いていました。大太さんもその一人でした。

 でも、そこから気持ちを切り替えて受験勉強に打ち込むようになりました。
両親の期待を背負っていたので進学校に行って、いい大学に行かなくちゃ!そう思っていました。お父さんがプラスチックの成形工場をやっていたこともあり、大太さんも理系を目指しました。それにコンピューターには早いうちから興味がありました。中学1年の時に、クラスから一人だけ選ばれて一日だけ高等専門学校に勉強に行った時があったのですが、そこでの体験から、コンピューターに触れたい!と強く思うようになったのです。

 高校は文武両道の学校だったので、とても充実していました。サッカー部ではやはり補欠だったけど、高1と高3の時に全国大会も経験しました。高いレベルの中で練習できるのが楽しくて、3年間サッカー漬けといってもいい日々でした。

 といってもサッカーだけしていたわけではなく、バンドでギターも弾いていました。高校2年生の時は、学園祭のライブでチェッカーズやチューブをやりました。でも、恋愛には興味がなく、そこに時間を費やすくらいならサッカーやバンドをやっていたい派でした。

 そんな高校時代の大太さんは、宇宙関係の仕事がしたいと思っていました。宇宙に行ってみたい、宇宙で暮らしてみたい!それが夢でした。
 そう思って入ったのは立命館大学理工学部情報工学科。

 しかし、大学に入った瞬間に高校時代までの反動もあったのか「大学生活をエンジョイしたい!」と思うようになった大太さん。テニスサークルに入って、彼女を作って…と思って、申し込みの場所に行くともう既にテニスサークルはいっぱいでした。
 すると、両脇から屈強な男子2名に挟まれます。それはアメリカンフットボール部の先輩学生でした。「一回試しに練習に来てみたら?」と言われて行ってみると、ワンレンボディコンのお姉さん達がいました。先輩が横でささやきます。「あの子は彼の彼女で、そっちの子はあいつの彼女だよ」
 チアガールもたくさんいました。
 
…ここに入れば、俺も彼女が出来る!そんなよこしまな気持ちでアメフト部に入った大太さん。4~5月はお客様期間でとても楽しかったのですが、6月に入ると一気に厳しくなりました。授業よりも練習を優先させられる日々。日々耐えるのに必死でした。一番大変な夏の合宿にも耐えたのですが、冬の新人戦の始まる1週間前に、家の近所で警察に追いかけられている車にはねられてしまいます。はねられて空中を飛びながら「俺は彼女もできずに死んでいくのか~」と考えていました。


パート.2に続きます。