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今日の人52.土井佳彦さん パート.2 [2012年08月16日(Thu)]
パート.1から続きます。 

 2006年3月。土井さんはその後の人生になくてはならなくなるある人に出会います。所属するボランティア団体の研修会に来られていた講師、それが田村太郎さんでした。今まで日本語教育の道で来たけど、田村さんとの出会いから「多文化共生」というものを知り、「自分がやりたかったのはこれかもしれない」と思いはじめました。

 2007年の12月には東海地域で今後の多文化共生を考える懇談会が開かれました。翌2月から正式に中間支援組織を起ち上げる準備委員会に携わるようになりました。週に二回くらい集まって、時には合宿のように話し合う日々はとても楽しかったそうです。

 しかし2008年4月から、名古屋大学留学生センターのスタッフとして、地域日本語学習支援を始めます。準備委員会には勉強がてら参加していましたが、ひょんなことから代表を任されることになってしまいました。いえ、でもまだ本当には覚悟していなかったのかもしれません。この時はまだ、本業は日本語教育だったからです。

 2008年10月、仲間とともに多文化共生リソースセンター東海を起ち上げた土井さん。まずは、多文化共生に関する全6回の連続セミナーを開催しました。翌年、多文化共生リソースセンター東海をNPO法人にします。それまで、広域で取り組んでいるところがなかったことから、委託事業も増えました。最初は名古屋大学留学生センターの仕事もフルタイムでやっていた土井さんでしたが、3年目には週4日に、4年目には週3日にし、そして今年からは、大学職員を辞めてリソースセンターメインでいくと、覚悟を決めました。

 そう覚悟したのは去年の経験が大きかった・・・。
 
 去年の3月13日。そう、あの東日本大震災から2日後。土井さん達はJIAM全国市町村国際文化研修所にいました。田村太郎さんの呼びかけで、NPO法人多文化共生マネージャー全国協議会(NPOタブマネ)の有志のメンバーが集まったのでした。地震発生直後、NPOタブマネは、外国人被災者らの支援に取り組むべく、JIAMの協力を得て、同研修所内に「東北地方太平洋沖地震多言語支援センター」を設置しました。

「今この時に被災外国人の支援をやらずして、今後も多文化共生に取り組めるか?難しいことだけど、日頃から取り組んでいる俺達だからこそできるんだ。」
田村さんの強烈な言葉でした。

 その後、田村さんが東京で支援活動に当たることになり、多言語支援センターのセンター長になった土井さん。ただただ必死でした。51日間、JIAMに泊まり込んで多言語支援センターを動かし続けました。土井さん達の奮闘記録は、「東北地方太平洋沖地震多言語支援センター」活動報告書(←リンク https://blog.canpan.info/tabumane/archive/59 )をぜひお読みください。

 この51日間は、確実に土井さんの中で人生のターニングポイントになりました。
いつも、「田村さんだったら、どうするんだろう」そう考えていました。多文化共生に携わっている人にとっては、それだけ「田村太郎」という人は大きい存在なのです。
「田村さん、すみません。田村さんだったら、もっとできることがあったろうに…」

 でも、土井さんはせいいっぱいやったのです。他の多文化共生マネージャー達と一緒にそれこそ死力を尽くした51日間だったといっても過言ではないでしょう。そして、田村さんが復興庁の上席政策調査官の仕事で忙しくなった今、多文化共生を引っ張っていくのは、土井さんたち、若い人達に世代交代もしていかなくてはいけない。それは、確かにとても重荷には違いありません。でも、土井さんは言います。
「追いつこうとしても、どんどん先に進んで離れていってしまう人がいてくれるのはとてもありがたい」のだと・・・。

 土井さんは思います。第一世代は田村さんのようなカリスマであっていい、いやカリスマじゃないとここまで多文化共生は広まらなかったと思う。けれど、自分たち第二世代は「あの人がいるからあの団体がある」というのじゃダメ。そういうカリスマ的な人がいなくても、みんなで多文化共生に取り組み、広めていけるようにしたいと思っています。

 今まで多文化共生に関するたくさんの事例を見てきて、「事例はもういい。大事だけど、それを取り上げて紹介するだけじゃダメだ」と思っている土井さん。これからは特定の地域での事例を、地域を超えて共通の制度や当たり前のものに変えていきたい。多言語支援センターに携わって、災害時に多言語で情報入手や相談ができる状態をすべての地域にとって当たり前のことにしていきたいと思った。地域の日本語教育にしても、災害時対応にしてもそう。とにかく、それらがスタンダードになる仕組み作りをしていきたい、と土井さん。
その情熱があれば、きっと大丈夫。あなたならできる!と信じています。そのための仲間は、私も含め(これはあんまり頼りにならんけど)たくさんたくさんいますもの!

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日本語教育国際研究大会名古屋2012の土曜つながる広場で開催される「多文化映画祭」のプログラムです。
18日はみなさんぜひ名古屋へ!
もちろん私も行きます(^^)