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今日の人75.相田恵子さん [2012年11月23日(Fri)]
 今日の人はドリプラ2012世界大会プレゼンター、そして北里大学病院の現役ナース、相田恵子さんです。
da-ko.JPG
向かって右が恵子さん
 
 恵子さんが生まれたのは栃木県佐野市。外で遊ぶのが大好きな子ども時代でした。当時流行っていたローラースケートで滑ったり、秘密基地づくりをしたり、友だちとテントを張って天体観測をしたりして遊ぶのが好きでした。天の川がすごくキレイだったのを覚えています。
 恵子さんの小学校は全校児童が106人の小さな学校で、クラス替えもなく、3,5,6年生の時は同じ担任の先生が担任でした。すごくいい先生で、自宅に子ども達を呼んでみんなで飛行機作りをしたり、学校外に遠足にいったりしていました。どちらかと言えば消極的だった恵子さんでしたが、何かに真剣に取り組む姿勢をご存知で「自由研究をやってみたら?」と薦めてくれたのもその先生でした。その子に合った舞台を用意してくれる、とても素適な先生!もちろん卒業式は号泣です。恵子さんは、こんな先生になりたい!というあこがれを持っていたので、小学校時代の夢は小学校の先生でした。

 中学校ではボールを使わずにできるスポーツを、と思って剣道部を選びました。でも相変わらず消極的で前に進もうという気持ちが弱かったので、いつもボロ負けだったと恵子さん。でも、部活の仲間はとてもいい仲間で、今も栃木に帰ると会っています。そして、そんな中学時代の夢もやっぱり先生でした。
 
 高校は家からすごく遠かったので、とても部活はムリだと思って諦めました。でも、女子校でクラス全員でレクリエーションの時のダンスを考えたりして、とても楽しかった。
 進路について考え始めた高2の春。「私は学校の先生になりたいって言ってたけど、私は40人の生徒の前で毎日ちゃんとできるのか?だいたいこの消極的な性格ではとても教育実習ができそうにない…」そう感じて教職は断念します。でも、やはり人と接する仕事がいい、そう思っていた頃、祖父が入退院を繰り返します。そこで1対1で人に接する看護師さんを見て、これだ、と思いました。恵子さんは早く自立して家から出たい、という思いもとても強くありました。早く周りから認められる仕事がしたい、そう思っていました。
 それには訳がありました。親に障がいがあって、人からバカにされていたので、周囲からバカにされたくない、という思いが人一倍強くあったのです。恵子さんのお母さんは知的障がいでした。そして、お父さんは話すのがとても苦手な人でした。そして二人はいつも夫婦ゲンカをしていました。家族でご飯を食べにいったり旅行に行ったりすることもなく、幸せそうな家庭にコンプレックスを抱いていた子ども時代でした。「早くこんな家を出て自立するんだ!」
 
 こうして群馬大学医学部看護学科に合格した恵子さんは待望の一人暮らしをすることになります。大学生活はとても充実していました。合気道部に入ったのですが、先輩たちが本当にステキで、いつも後輩たちを喜ばせるにはどうしたらいいかを考えているような人たちでした。そして恵子さんたちも自分が先輩になった時に、同じように後輩に接しました。こうして素適な仲間たちのおかげで、恵子さんの消極的な性格はだんだん積極的な性格へと変わっていったのです。自分の意志もちゃんと伝えられるようになりました。
 
 でも、両親への思いはなかなか変えられなかった恵子さん。就職先を決める時にも実家に帰るという選択肢はありませんでした。そして、大学のある群馬よりももっと情報があるところがいい、そう思っていろいろ調べ、いちばんいいと思った北里大学病院に就職したのです。
 
がむしゃらに、でも楽しく働き、気がつくともう12年目になっていたという恵子さん。看護師をしていてよかったことは数え切れないくらいありますが、恵子さんのことを全面的に信じて、いつも名前を呼んでくれたり、退院の時に手紙を書いてくれたりすると、本当に嬉しいのです。「病気になってよかったことは相田さんに会えたことです。不安な時にそばにいてくれてありがとう」という手紙をもらった時は本当に嬉しかった。その子は退院した今もいろいろ相談してくれてずっとつながりがあります。
 
 充実した看護師生活ではありました。でも、3年前にドリプラを初めて見に行ってすごく感動します。そして今年6月に歴代のプレゼンターによるドリプラカンファレンスを見て、さらに衝撃を受けます。もともと行く予定はなかったのですが、たまたま予定が空いて、突然見に行ったドリプラカンファレンスでした。偶然が私をここに呼んでくれた。いや、これは偶然ではなかったのかもしれない…。
 そしてその時「夢はなんですか?」と聞かれ、「ナースドリプラをすることです!」と語っていた恵子さん。みんなが「いいね!」と言ってくれたことで、そこからその夢について真剣に考えるようになっていきました。
 
 看護師は日々の激務に追われ余裕を失っていることが多い。それは常々感じていることでした。恵子さんは、お料理好きが高じて月に一回自宅でお料理教室を開催しています。職場ではちっともいい笑顔を見せないナースの子がお料理教室では生き生きした笑顔でいるのを見て、この笑顔が職場で活かせないか…。
 
 笑顔の大切さは、自分が患者の家族として他病院の看護師と接したことでより強くなりました。ずっと疎遠にしていた家族でしたが、母が病気になったことで、母に付き添って病院に行く機会も増えました。そこで看護師の笑顔がどれだけ患者を安心させてくれるか、それが患者の立場としてよくわかりました。いえ、今までだってわかっていたつもりでした。でも、ようやくそのことを実感できたのです。
 患者さんに接する医療関係者、特に看護師は笑顔でいることが本当に大切、それが患者さんそして病院で働く全ての人を元気にするんだ!
 だから恵子さんの夢は看護師さんを笑顔にすること。そのための場作りをすること。
それを実現させるためにドリプラに挑戦しました。

そして、今、家族の在り方も再構築中です。ずっとこの家族がコンプレックスだった。できれば親を隠していたかった。でも、この家族があったから、笑顔を大切にしたいと思える私がいる…。
 今は休みの日にはできるだけ実家に帰って、ご両親のお世話をしている恵子さん。そして、ドリプラ世界大会の日は、両親を東京ドームシティホールに連れて来て親孝行したいと思っています。「うちの親は身体が強くないので、前日に連れてくるつもりです。」とさらりといえるのですから、ご両親への気配りが自然にあふれている恵子さんなのです。恵子さんの価値観をわかってくれない妹さんにもドリプラのチケットを送ろうと思っています。大丈夫。恵子さんの願い、いつかきっと妹さんにも届きます!だって、お姉ちゃんがいつも生き生きした笑顔でいたら、妹さんに影響を与えないわけはないもの。

 笑顔があふれるあったかい病院、病院内にはオープンキッチンのスペースもあって、患者さんもお料理ができてそれをお医者様や看護師さんと一緒に食べてすっごく笑顔になってる。もちろん、恵子さんのお料理教室もそこで開催!笑顔が笑顔を生んであったかいオーラにあふれている…そんな絵が、恵子さんの話を聴いていて、私の頭の中に浮かんできました。
 みんなの笑顔のために、恵子さんはこれからもずっと夢に向って歩き続けるでしょう。
 大丈夫だよ。だーこちゃんの笑顔はみんなを元気にしてくれるから。



 
 
 
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