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今日の人71.河村槙子さん [2012年11月09日(Fri)]
 今日の人は多文化共生リソースセンター東海事務局長の河村槙子さんです。
写真 12-09-28 12 23 49.jpg
 多文化共生リソースセンター東海は多文化共生社会づくりに役立つリソースの収集・整理・発信を通じて、東海地域の社会発展に貢献することを目的に2008年に設立されました。多文化共生理解促進事業をはじめ、外国人住民の社会参画促進事業、多文化共生関連の研修企画・運営及び講師派遣事業など、多文化共生社会に向けた活動に幅広く取り組んでいらっしゃいます。

 河村さんは愛知県一宮市生まれ。4人姉妹の次女でした。ちょうど2歳ずつちがう姉妹はとっても仲良しで、昔も今もケンカをしたことはほとんどないそうです。そして実家は日蓮宗のお寺でもありました。
 
 小学校の時は、ミニバスケットボール、女子サッカー、マラソンとスポーツに明け暮れた日々でした。そして、中学校から大学まではずっとソフトテニス部に所属して汗を流していました。大学の時もサークルではなく、体育会のテニス部でしたから、相当ハードな練習だったはずです。
 
 高校生の時、始めは大学で栄養学を専攻しようかと考え、理系にいた河村さん。でも3年生の時に、途上国の映像をみて、何かはわからないけれど、自分も途上国に関われることをやりたいと南山大学総合政策学部総合政策学科に入ります。そこでNPONGOゼミを専攻し、紛争地域が専門の先生の元で学びました。他にもアジア系の歴史はしっかり勉強しましたし、元国連職員の先生もいらして、とても学びの多い大学生活だったと思っています。
 
 河村さんは4年生の秋から1年間休学して、アメリカへと渡ります。最初はニューヨーク州の大学の語学コースに入り、4ヶ月勉強。空いている時にボランティアをしたかったのですが、あまり治安がよくなく、東海岸から西海岸へと移動。オレゴンのポートランドで語学学校に通いながら、週末はフードバンクや教会で食事を配布するボランティアをやりました。コミュニケーションがなかなかうまく取れないことがはがゆかったですが、でもとても楽しい時間でした。
2ヶ月たって、今度はサンフランシスコで日本人のやっているNPOにインターンとして入ることになりました。ここでは日本向けの広報が自分に与えられた主な仕事でした。ここで広報を学んだことは、その後とても役に立ったと感じています。そのNPOは、日本とアメリカをつなぐのが目的のNPOでしたから、日本からの視察団がたびたび視察ツアーで訪れました。その視察ツアーで訪れる先は、例えば地域のお父さんが街に木を植えるNPOだったり、企業から協賛金をもらって移民向けの多言語教育を行うNPOの保育園だったりしました。この視察ツアーは、今の活動にとても深く影響を与えました。   

 そして、外に出たことで河村さんには変化が生まれました。自分は途上国のことをやりたいと思っていたけれど、実は日本国内でやれることがまだまだあるのではないか?視点が外から内へと移ったのでした。そう思うと、早く帰って取り組み始めたい!といてもたってもいられない気持ちになりました。

 帰国直前のある日、買い物帰りの道中でホームレスに話しかけられた河村さん。
「なんでそんなに暗い顔をして歩いているの?前を向いて明るくしてなきゃ!」
はっとしました。ホームレスだからどうだとか、ちょっとでもそういう風に思っていた自分はいなかったか?人に貴賎はないのだ。そう気づかせてくれたホームレスのおじさんに感謝でした。

 こうして帰国した河村さんは活発に活動を行い、新聞にコラムも連載していた多文化共生サークルsmileの代表希代翔さんに「何かしたい」と連絡を取ります。実は希代さんとはアメリカに渡る前に同じ授業をとっていた縁で友人になっていたのでした。
 
 河村さんはsmileのイベントの主軸になっていきます。在日のアフリカの人と動物園に行ったり、ビルマ難民の人と水かけ祭りでダンスをしたり、いろいろな企画を立てました。他にもブラジル人学校と日本の学校の子どもたちが三角ベースボールで交流する、というイベントを企画したりして、日本の中にある異文化に触れる機会が数多くあって、とても楽しかった。

 そうした中で市役所とJICA中部でもインターンをしていました。そして大学を卒業したら、当然の流れとしてNPONGOで働きたいと思っていました。民間企業は考えにくかったのです。

 でも、その考えを伝えるといろいろな人から言われます。「一回は民間企業で働いておいた方がいいよ。」あまりにたくさんの人からそう言われるので、それもそうかなと思い、ベンチャーの派遣会社に就職し、新規開拓の営業担当になりました。本社でみっちりビジネスマナーを仕込んでもらいましたし、営業、事務、事業計画の立て方、いろいろ経験させてもらって、確かに一度民間企業で働いたのは、とてもいい経験になりました。しかし、やはり私がやりたいのはこういう仕事ではない、とその会社を1年半で退社します。
 
 その頃、ちょうど多文化共生リソースセンター東海が立ち上がろうとしていましたが、やることを決めてもみんな仕事を持ちながらなので、なかなか動けない状態でした。そこで河村さんは自分が日中動けるようになりたいと、リソースセンターの専属になったのでした。
 しかし、最初は無給からのスタート。愛知県からの委託事業を請け負うようになり、ようやくお給料も出るようになりました。多文化共生マネージャーの研修も受け、たくさんのタブマネともつながりができました。(河村さんはタブマネ10期。私は14期なので、タブマネでは河村さんが先輩です☆)

 今、ワクワクすることは、外国人コミュニティの人といろいろなことを一緒にやることです。例えば、あるブラジルの団体は常に赤字の状態でしたが、河村さんたちがかかわって研修会を開催したり、助成金の申請の方法を伝えることで、赤字が補われるようになりました。それで、失ってくれたヤル気を取り戻してくれたのが本当に嬉しいといいます。
 またアフリカの一人代表の団体は、なかなか事業が進みませんでしたが、いろいろなことを一緒にしていく中で、彼女自身が変化して、心の中で思っていたことをやれるようになりました。
多文化共生リソースセンター東海は中間支援組織なので、実感を得る場というのは少ない。だから、そういう生の声は本当に嬉しいし、ありがたいのだと、とてもやさしい笑顔で話してくれました。

 そんな優しい笑顔の河村さん、実はsmileで一緒に活動していた方がご主人です。ですから、旦那様も河村さんの活動のことをよく理解して応援してくれています。
結婚して、今住んでいる地域もとても外国人の多い地域です。そんな人達と、多文化共生という言葉を使わずにプライベートでも接していけるようになりたい、それが河村さんの夢です。

「多文化共生リソースセンター東海は、こんなにしっかりしていて可愛い事務局長がいるから安泰ですね!」とリソースセンター代表の土井佳彦さんに言いたくなるような、とてもステキな河村槙子さんなのでした。
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