今日の人64.二宮尚徳さん パート.1 [2012年10月15日(Mon)]
今日の人は、ドリプラ世界大会2012プレゼンターの二宮尚徳さんです。
今のお仕事は農林水産省の官僚。二宮さんは滋賀県木之本町の出身。今は合併されて長浜市になりましたが、木之本町といえば、あの賤ヶ岳の戦いで有名です。 そんな二宮さん、呼びやすいのでにのさんと呼びますが、小さい時から動物が大好きでした。うさぎやハムスターなどの小動物は常に家にいたし、釣ってきた魚を水槽に入れたりもしていました。滋賀は琵琶湖があるので、釣りをする場所には事欠きません。こうして、釣りをしたり、虫採りをしたり、外で駆け回っていた少年時代でした。家族も両親に兄弟3人、そして祖父母の7人家族で賑やかに育ちます。 にのさんには忘れられない出来事があります。とにかく動物が大好きだったにのさんは、よく子犬や子猫を拾ってきては、お母さんから「飼えないからダメ」と言われていました。しかし学年が上がって知恵がついてきた少年は家で飼えないなら内緒で飼えばいい!と思いつき、拾ってきた子犬2匹を自分の秘密基地で飼っていました。白と黒のその小さな2匹は本当にかわいく、稲を刈りたての秋の匂いがする田んぼで思いっきり走り回って、疲れてにのさんのひざの上で本当に幸せそうな顔をして寝息を立て始めるのでした。その2匹の顔を見ているとにのさんもとても幸せで温かな気持ちになれました。夕方になると後ろ髪を引かれながらも家に帰り、次の日学校が終わると急いで子犬たちの元へ行く、という毎日がずっと続く、そう思っていました。 ある日、いつものように秘密基地へ行くと、シロとクロがいません。必死で探し回りました。どこか遠くに行ってしまったのか、いやそんなはずはない。誰か拾って行ったの?会いたいよ。僕のシロとクロ… 少し時間が経ってわかりました。野良犬が飼われているという情報が保健所に入って2匹は保健所に連れていかれたのだと… ショックがあまりにも大きすぎました。少年の心には耐え切れないくらいに… それでにのさんは自分の心にふたをしました。それに気づかないふりをして、何も考えずに楽しいことをして過ごすようにしました。 スポーツ少年でもあったにのさんは、小学校の時は野球、中学に入ってからはバスケに打ち込みます。スラムダンクが人気だったということもあり、部活に燃えた中学時代でした。中学1年の時には、お父さんが心筋梗塞で突然この世を去りました。おじいさんが亡くなって、数ヶ月後のことでした。しかし、お母さんが必死で働き、生活はあまり変わりませんでした。とにかく悲しいことは考えたくない。勉強と部活をやっていれば、中学生の本文は全うしているんでしょ。そう思うようにしていました。 やがて、高校に進学したにのさんは、共に友だちとコントをして文化祭で発表するなどの活動もするようになりました。幼稚園の時にエレクトーンをやっていたこともあって、音楽にも興味があり、ギターを弾いて歌ったりもしていました。特に夢もなかったけれど、なんとなく生きてても楽しいじゃん、そう思っていました。 それでも3年生になって、みんな受験勉強に真剣に取り組むようになると、にのさんもみんなと一緒に図書館に行って勉強するようになりました。 こうして金沢大学の工学部機能機械工学科に合格したにのさんでしたが、半年経って、俺は本当にエンジニアになるのか?と自問自答したとき、いや、そうじゃないんじゃないか、という思いがぬぐいきれないくらい大きくなりました。「俺は獣医になろう!」そう思い立って、大学1年の夏からは、京都の河合塾の寮に入って受験勉強を開始。しかし、受験勉強もそこそこにミニ四駆で遊びまくっていた日々でした。 それでも、にのさんは日本大学の獣医学科に合格!私立だから学費も高いのですが、お母さんは「どうしても行きたいんなら」と言って進学を許してくれました。 日本大学の獣医学科は湘南にも近く、しょっちゅう海へ行ったり、バイクでツーリングしたり、ギターを弾いたりと本当に楽しい日々でした。 大学1年の時は動物病院と学習塾でバイトをしながらひたすら遊びました。2年の後半頃になるとちょっとずつ忙しくなり、進路のことに関してもすこしずつ考え始めるようになりました。獣医といっても動物病院の獣医もいれば、家畜の獣医だっている。公務員や、食品衛生の基礎研究をする道もある。大学のカリキュラムではそういうことを一通り学べるようになっていました。 にのさんが3年生の時のことでした。動物を殺処分する場所を見学に行く時間がありました。動物が殺処分される風景は見ずに済みましたが、コンクリートと鉄の無機質な空間を見ればそれで充分ショックでした。心に固く封印していた部分がズキズキ痛みました。 白、黒、お前たちは、こんな場所で殺されていったのか… こうして無言で家に帰ったにのさん。大人になるというのはこういう現実を受け止めなければならないということなのか?動物が好きだから、単純に獣医になろうと思った。けれど、それで本当にいいのか?自分は何になりたいんだろう。4年生で研究室を選ぶ時に、にのさんはずっと考えていました。そして、とりあえずいろんな可能性を残しておこうと公務員試験の勉強もすることにしました。 研究室はバイオサイエンスの基礎研究を選び、免疫について研究を重ねました。でも、5年生の頃は、研究室の雰囲気がすごく悪かった。それは、にのさんがよく担当教官の発言に反発していた原因もありました。 …そんな頃、とても仲のよかった友だちが研究室に来なくなりました。どうしたんだろうと、後輩と一緒に部屋を見に行くと、なんと彼女は部屋で亡くなっていたのです。死因はわかりませんでした。でも、ショックでした。そこに失恋も重なり、にのさんは人生に失望します。死んでもいいや、とさえ思いました。抜け殻状態でした。 パート.2に続きます。 |
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