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今日の人62.鈴木健司さん [2012年10月10日(Wed)]
 今日の人は学校法人大原学園大原日本語学院主任教員の鈴木健司さんです。
写真 12-08-10 21 45 04.jpg
 
 鈴木さんは、神主の資格もお持ちの日本語教師。
 
 子どもの頃は電車やバスの運転手になりたかった鈴木さんは、今も青春18切符で全国を旅するのが好きな鉄ちゃんでもあります。
 小学生の頃から歴史と考古学に興味があった鈴木さん。土を掘ることで、いろんな考え、技術を知ることができる。文献史学ではなく、文字のないところから歴史を知る。それは鈴木さんにとって、本当にワクワクすることなのです。
 
 そんな鈴木さんですから、小学生のとき飼っていたカブトムシが死んでしまった際も、なんと前方後円墳を作りました。しかも、三層の堀まで作ったというから、小学生とは思えない凝りよう。
 
 音楽も好きで、小6の時にラジオから聞こえてきたモンキーズをはじめとする60’Sロックにはまりました。それで中学の時からギターを始め、就職してからはバンド活動もやっているそうです。

 さて、考古学が大好きだった鈴木さんですが、大学は國學院大學の文学部神道学科
(現:神道文化学部神道学科)に進みます。考古学の方にストレートに行きたかったんだけどね~と苦笑されましたが、神道学科に進んだことで、素敵な出会いもたくさんありました。

 卒論指導の先生は、柳田國男折口信夫という民俗学者の二大巨頭とつながりのある平井直房先生でした。卒論のテーマを「古代出雲における蹄鉄とそれに関する信仰との関係」に決め、卒論締め切りの一ヶ月半前になってようやく先生の研究室へ。しかし、先生からはあっさりと、「キミの卒論の題目は『出雲の製鉄』にしましょう。それで、今更指導しても仕方がないから、思うように書いて!!査問会で勝負しよう!」と言われてしまいます。

 とにかくフィールド・ワークを大切にし、歩いて歩いて論文をまとめるタイプ柳田國男先生。対してインスピレーションを論文にまとめるタイプの折口信夫先生。鈴木さんの指導教官の平井直房先生はどちらかというと柳田先生のタイプ。鈴木さん自身は、インスピレーションタイプで、ものすごい集中力での論文を書き上げたのでした。
 さて、問題の査問会。平井先生から「私の所に来なかった割りには、まともな論文だね」とほめられます。そして、神主を募集している超有名な神社まで紹介してくださいましたが、そこがあまりに低月給だったため、鈴木さんはやんわりとお断りしました。

 教員になりたいという思いもあり、教員採用試験も受けましたが、落ちてしまいます。次の年も受けようかと思いましたが、そこで考えなおしました。大学を出て、ろくに社会のことも知らずに教職に着くのはどうなんだろう?それでちゃんと社会のことが教えられるんだろうか。
そう考えた鈴木さんは教員採用試験を受けることはやめ、大原学園に事務職員として就職することになりました。そして、学生管理課や広報課で6年半、仕事をしました。仕事はそれなりに充実感もありましたし、仕事仲間とバンド活動などして、プライベートも充実していました。

 しかし、どうしても考古学を勉強したい、との気持ちが抑えられなくなり、國學院大學史学科考古学専攻に学士入学をします。2回目の学生生活、ずっと土と対話する日々はとても充実していました。こうして、死ぬまでに一度はやりたかったという学問にものめり込むことができた鈴木さんでした。

 そして、ちょうど2度目の就職を考える頃、元職場の上司である大原法律専門学校の校長先生から電話がかかってきました。「今職場が混沌としているから戻ってきてほしい」という電話でした。鈴木さんは言いました。「面倒くさい仕事はやりたくない」

 それを聞いた校長先生は言いました。
「何を甘いこと言ってるんだ。ラクな仕事なんてあるわけがないだろう!厳しい仕事だからお前に頼むんじゃないか」
 その言葉を聞いて鈴木さんははっとします。そうだ、そのとおりだ。なんで俺はラクな方に流れようとしていたんだろう?
そうして言いました。「お金云々は言いません。3年で結果を出すから、やりましょう」
そして、約束通り結果を出した鈴木さん。その部署には37ヶ月と1日いました。
それでは、そのあとはどこに?

 そのあとで移ったところが、そう、大原学園の作った日本語学校だったのです。
同じ学園内の日本語学校とはいえ、広報課で結果を残し広報課長のポストも用意されていたのに、なぜ新たな日本語教育の世界に…?

 それは鈴木さんが神道学科で実習していた時に遡ります。國學院の実習ですから、実習する神社も伊勢神宮や明治神宮といった、それこそ日本を代表する神社ばかり。外国人観光客も当然大勢来ています。鈴木さんが禊(みそぎ)実習をしていた時のこと、英語で質問されました。「禊(みそぎ)って何?」と。
 一生懸命説明しながら、鈴木さんは思ったのです。こういうのを欲している人がいるなら、伝授する役割がある。そして、それは神職に至らなかった自分が担っている役割なのではないかと…。
 
 神道学科で勉強したこと、史学科で勉強したこと、広報課で仕事をしたこと、全てが日本語教育への一本の道につながる!鈴木さんの中で強い確信が生まれました。
 そして、その後は日本語教育の一本道を真摯に歩いて来られました。
 
 よく多文化共生って難しいですね、という人がいるけれど、それは難しいことではないんだと結論づけることが、宗教をやり、歴史をやり、日本語教育をやってきた自分がやりたいことなのだと、力強くおっしゃってくださるのでした。
 
 日本語教育の世界では以前このブログでも書かせていただいた金子史朗先生がマブダチです。金子先生は東京外大ボート部OBなのですが、新しいボートの進水式をやった時は、鈴木さんが烏帽子をかぶり神主の格好でお祓いをされたそうです。そんな金子先生はじめ及川先生中村先生と日本語教育について議論を戦わせることがとても楽しい時間です。
 とにかく今は仕事が楽しい!と本当に楽しそうにおっしゃるのでした。
 
 そして、仕事以外の楽しみは青春18切符で各駅停車の旅をすること。富山にも白馬経由で真夏にいらしたことがあるそうですが、今度はぜひ冬のお魚の美味しい季節においでください。富山の美味しいお酒を飲みながら、日本語教育のこと、多文化共生のことについてお話させていただくのを楽しみにしています。
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