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今日の人59.藤原美奈さん [2012年10月01日(Mon)]
 今日の人は、ドリームプラン・プレゼンテーション2012世界大会プレゼンターの藤原美奈さんです。
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4歳のお子さんのお母さんとして、またドリプラのプレゼンターとして、そしてダイヤ事務機株式会社の専務取締役として忙しい毎日を送っていらっしゃいます。
 
 藤原さんは大阪生まれの大阪育ち。クラスの90%が商売人の親を持つ地域でした。藤原さんも家がお店でその奥で暮らしていたので、小さい時からお父さんやお母さんの仕事を見て育ちます。両親が仕事で忙しかったので、お客さんに子育てしてもらっているような感じでした。子どもがたくさんいる地域だったので、みんなと木登りしたり、自転車に乗って遊んだり、男勝りなみなちゃん。でも、2人姉妹のお姉さんということもあり、お父さんは躾にとても厳しい人でした。「お姉ちゃんだから」という言葉を何度聞かされたことでしょう。そんなみなちゃんは家でも学校でも、いわゆる「いい子」でした。でも、将来こうしたい!という夢は全くありませんでした。ただ、親からずっと、「女の子はね、結婚して子どもを生むのが一番幸せなのよ」と聞かされてきたので、自分はいいお嫁さんになるんだ!とずっと思っていました。

 だから大学も家政科を選びました。お料理学校にも行ったし、花嫁修業になると言われる習い事はひと通りこなしました。一応中学時代はバレー部だったのですが、あまり運動は得意ではなく補欠の補欠といった感じでした。高校では陸上部のマネージャーをしばらくやっていましたが、すぐに華道部に転部。習い事としてテニスをやっていました。部活動のノリでやるテニスは性に合わなかったのです。ですから、大学のテニスサークルがちょうどいい感じでした。でも、藤原さんは、大学生になっても門限が10時でした。大阪から京都の大学まで通っていたので、この門限はなかなかきつかったにちがいありません。友だちがみんな海外でホームステイをしているのが羨ましくて、行きたいといいましたが、「あかん」のひと言で終わってしまいました。

 そして、銀行に就職、24歳で結婚退社。描いた通りの道を歩いていると思っていました。これで、私は幸せな専業主婦だ、と。そんな藤原さんの脳裏に後輩が言った言葉がよぎりました。「先輩に専業主婦なんて無理に決まってます」そんなことはない、と思っていました。だって、小さい時からそのつもりでいろいろ花嫁修業もしてきたんだし、家政科まで出たんやで。
…でも、2ヶ月でわかりました。「ああ、私に専業主婦は無理だ」
ちょうどその時、フラワーデザインの先生から電話がありました。
「仕事、手伝ってくれない?」
もちろん、渡りに舟とばかりに、仕事を始めました。銀行の時もそうでしたが、仕事は本当に楽しくできる藤原さん。自分が頑張って成果を出すと、ほめられる。小さい時から親にほめられたことのなかった自分にとって、褒められる喜びは格別でした。そうしてますます仕事にのめり込むようになって行きました。
でも、仕事を任されて期待されるようになればなるほど、当然仕事は忙しくなり、始発で行って終電で帰るという毎日はさすがに過酷でした。

 そんな時に、銀行から再就職の声がかかり、コールセンターで働くようになります。
ここでも、やったらできる、できたらほめられる、が気持よく、仕事が楽しくて仕方ありませんでした。「仕事は自己実現の場、私は仕事をしている時がいちばん楽しいから、子どもなんていらない、むしろ仕事の邪魔だわ。」本気でそう思っていました。
そして、ファイナンシャルプランナーの資格も取り、一回外資系に転職してキャリアを積んでから起業しようと意気込んでいました。

 そんな時、思いがけずにわかった妊娠。そして、エコー(超音波)診察で小さな小さなわが子を見た時に、雷で打たれたような衝撃を覚えました。
こんな小さな生命が今、一生懸命生きようとしている。これってなんてすごいことなのだろう!自分の中の価値観が180度変わる感覚でした。

 そして、時を同じくして、実家のお父さんが病で倒れ、家業を手伝ってほしいと言われます。お父さんは藤原さんが子どもの頃、「この仕事は俺が好きでやってきた仕事だから、自分で幕を引く」と言っていました。そして、それがかっこいいと思っていました。でも、今病気で死にそうになり、娘に家業をついでほしいと懇願している…。自分の夢を叶えるのと、父の最後の願いを叶えるのとどっちが大切だろうと考えた時に、藤原さんが出した答えは、親の仕事を継ぐ方でした。そして、藤原さんは出産3日前まで、家業を手伝っていました。

 子どもを産んでから約1年半は育児に専念していました。エコー診察で衝撃を受けて以来、子育ての大切さを痛感したので、子どもとの時間を大切にしたかったのです。
しかし、3年前にお父さんの病気がひどくなってからは、仕事に本格的に復帰しました。いえ、復帰というよりは、実質的には社長業としての始まりでした。
…ただ、それまでは、仕事をやっていて、うまくいくのが当たり前だったのに、父の会社ではうまく回らないことだらけでした。何も知らずに飛び込んだ事務機器の世界、いきなり社長の父の代理としてのしかかる重圧。
2年位は本当に苦しかった。でも、セミナーや研修会にたくさん出て、いろんなことがようやく見えてきたし、学ぶことでたくさんの仲間ができました。
自分の器じゃないものを継ぐ…それはすごくしんどかったけど、そのお蔭で今の自分があるのだから、もう感謝しかないな、今は思います。

 そんな藤原さんがドリプラ世界大会のプレゼンターにエントリーした理由はなぜか?
 それは、今、藤原さんのドリプラでのパートナーである大西敦子さんが大阪ドリプラで児童養護施設の子どもを引き取る里親制度のことにつてプレゼンしているのを聴いたのがきっかけでした。
 子どもがきらいだった自分が、子どもを授かったことで、こんなにも愛おしく素晴らしい存在だということに気づいた。子どもの虐待をなくしたい。そして児童養護施設のたくさんの子どもたちをサポートしたい!
 
 そのためにレストランを作って、そこで児童養護施設の子どもたち(中卒や高卒の子)に働いてもらうのがいいんじゃないか…。藤原さんの会社は、事務機の中でも主にレジスターを扱っている会社なので、レジの商談でレストランに出入りすることもとても多く、レストランが人を育成する場にすごくいい、というのは肌で感じていました。
 自分の存在価値を認めてもらえない子どもたちが、お客さんから温かい言葉をもらうことで、自分の存在価値に気づいてくれたら…。そう、かつて私が働き始めた時に褒められる喜びを知ったように、彼らにも、その喜びをしってもらいたい。そして生きる力をつけていってほしい。大阪ドリプラでは、そこまでの夢をプレゼンした藤原さん。
 
 世界大会では、更にこれを循環するプロジェクトとして動かしていこうと考えています。レストランをベースに社団法人を立ちあげて、賛助会員を募り、子どもたちがその賛助会員の企業にインターンにいく仕組み。中小零細企業は人手不足で困っているところがたくさんあります。そういう企業にインターンを受け入れることで、企業が活性化されていく、藤原さんはそう考えています。そして、レストランの食材を支える農業部門も社団法人化して立ち上げたいとヤル気満々の藤原さん。

 今、楽しい時間は子どもと過ごすこと、そして商談中、そしてドリプラに取り組んでいる時。同じ志の仲間と夢を追いかけている時間は、どんなに忙しくても本当に楽しい!
でも、自分磨きも忘れてはいません。ネイルサロンでのネイルケア、そして週に一度のホットヨガで癒される時間を作っています。ますます美しさにも磨きをかけて、12月にはとびっきりの美奈スマイルを見せてくれることでしょう。
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