今日の人50.宮田 隼さん パート.2 [2012年08月03日(Fri)]
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パート.1から続きます
やがて大学を卒業した隼ちゃんは、大手学習塾でサラリーマン生活も経験しました。その時、何冊もハウツー本なるものを読んでみましたが、こんなものは意味がないと思い、自分の感覚でやっていました。一ヶ月で営業トップになり、二ヶ月で教室長になりました。そして瞬く間にエリアマネージャーになりました。朝8時から深夜2時まで働く日々。…あの塾には悩みに親身に対応してくれる先生がいるらしい。評判が広がり、学習塾にはいろいろな悩みを抱えた子が来るようになってきました。不登校や発達障害の子が次から次へと入りたいとやってくるようになりました。しかし、ケアに時間がかかる彼らを受け入れることに会社は消極的でした。会社と直談判しましたが、ダメでした。ストレスから十二指腸潰瘍になってしまった隼ちゃん。でも、頑張っていました。 引きこもりの相談も受けていた隼ちゃんのところに、ある日、一本の電話が鳴りました。「うちの子、引きこもって長いんです。一度お話聞いていただけませんか?」お母さんからでした。その子のうちに行って、ドア越しの面談。いろんな話をしました。彼からの反応はほとんどなかったけれど、お母さんは、「こんなに長く話した人はいなかったんですよ。たいていこの子が嫌がって『帰って』って言うから。」と言いました。そういう子どもたちと接することに自信があった隼ちゃんは、少し得意になっていました。そして最後にこう声をかけました。 「まぁ、無理なくさ。出てこれそうだったら、いつでも出ておいでよ。」 …その数日後、彼が自殺したと知りました。 “自分が殺した”隼ちゃんは猛烈に自責の念に駆られました。 『彼はさびしかったんじゃないだろうか。もしかしたら、「この人ならわかってくれる」そう期待させたんじゃないだろうか。それに対して、「出てこれそうだったら、いつでも出ておいでよ」なんて…。 僕は彼自身を見ていただろうか?引きこもりとしてしか見ていなかったんじゃないか?それが寂しかったんじゃないか?』 …生きている限り、絶対に一人じゃないんだ!そうみんなに伝えたい!そして、自分がそう思い続けることで、彼とともに生きていこう!隼ちゃんは決意しました。 どんな人であろうとその人のありのままを受け止める。その人を否定せずに、ただそこにいるだけでいいんだよ。そう伝えたい。どんな人でもありのままの自分でいられる場所を作りたい!そう、ひとのまを作りたい! …こうして隼ちゃんは、その想いを叶えるべく、奥さんの故郷である富山にやってきたのでした。 2009年5月に富山に来て、まずは寺子屋みやたという学習塾を開きました。不登校の子どもたちも、発達障害のある子どもたちも、どんな子どもでも自由に集える、しばりのないそんな学習塾です。そして、誰もが集えるコミュニティハウスの構想はずっと温めていました。構想を温めながら、隼ちゃんは、高岡での人間関係を徐々に築いていきました。頼まれごとは断らない、そうしているうちに行政の人もいろいろ話を持ってきてくれるようになりました。マーケティングは一切しない隼ちゃん。人とのつながりだけでここまで来たし、これからもそうしていこうと思っています 元島くんも富山にやってきました。ついに二人はコミュニティハウスひとのまをオープンすることになったのです。 2011年7月13日。隼ちゃんのひいおばあちゃんが亡くなりました。 「ばあちゃん、ばあちゃんがいてくれたから、寂しくてもここまで来れたよ。 次は僕がいろんな“寂しい”をなくすことにしたんだ。 ばあちゃん、ありがとう。」 そして、その4日後の7月17日、ひとのまはオープンしました。 たった1年で、ひとのまは地域になくてはならない場所になりました。不登校やひきこもりの子どもたち、発達障害の人、お年寄り、地域のみんな、遠くからふらっと来る人達、誰もが気軽に寄れる場所、それがひとのまです。そして、みんなが自由にイベントを企画することでいろんなグループも誕生しています。 隼ちゃんには、“何かがないと幸せになれない”という感覚はありません。 “何もなくても幸せになれる!”という感覚はあります。 昔は自分はできる、周りはバカだ!と思うことがありました。でも、最近は誰かより自分がすごいと思うことがなくなりました。俺目線でしか見れなかったけど、今は相手目線で見れるようになりました。裕福な家で育ったとしても、つらさはあるんだな。自分はつらさを見ないようにやってきたけど、最近周りのことも見えるようになってきたから、周りのつらさも見えるようになってきました。でも、つらいことがあっても、笑えないことはないんだよ。どんな環境にいたって、笑うことができるんだよ、ということを伝えていきたい。そう、小学3年生の自分にお坊さんが笑うことの大切さを教えてくれたように。 だから、隼ちゃんは、今日も笑っているのです。たとえ「脳天気だよね」と言われても。 でも、そんな隼ちゃんにも、いえ、そんな隼ちゃんだからこそ、どーんと落ち込むこともあります。昔はそんな自分をコントロールしようとしてきました。でも、今はコントロールしなくたっていい、いや、できっこないんだから、と思っています。俺は俺だ。このままでいい。そんな隼ちゃんを誰よりも理解して受け止めてくれるのが奥さん。隼ちゃんは、とにかく奥さんのことが大好き!こんなに好きな人はいないと満面の笑みで言ってくれるのでした。 愛妻家で、いつも笑顔で、誰からも愛される隼ちゃん、今は全国にひとのまを作る構想を持っています。“あなたは決して一人じゃない。あなたのそばにはきっと誰かいる。バカを言って笑い合えるって楽しいんだよ。何も言わなくても、同じ空間に誰かがいるっていうだけでもすごい幸せなんだよ。”それをみんなに伝えたい。そう伝えるだけで、そう感じてもらうだけでたくさんの人が笑顔になれる。だからこれからも出会う人に、ありのままでいいんだよ、と伝えていきたい。 きっと、5年後、10年後には全国のあちこちからひとのまの便りが聞かれるようになることでしょう。 いつか全国ひとのまサミットっていうのもいいかもね。 その時はぜひ、ダイバーシティとやまも参加させてください(^_-)-☆ 宮田隼、その笑顔で、子どもからお年寄りまで、たくさんの人に笑顔を伝染させてくれる、心優しき九州男児なのでした。 ドリプラでプレゼンした隼ちゃん ダイバーシティとやま設立フォーラムでは司会をしてくれました |
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