今日の人5.奥村隆信さん [2011年11月15日(Tue)]
「今日の人」は奥村隆信さん。NPO法人富山国際学院の学院長であり理事長でもいらっしゃいます。
富山国際学院は1993年の開校時から私が日本語教師として働いている学校でもあります。そして実は職場では私の方が奥村さんより1年先輩なのでした(あ、歳は私の方が二回り位下ですよ ![]() ![]() 奥村さんはいわゆる団塊の世代。東京教育大学に在学中は大学闘争もとても盛んな時でした。東京大学が東大紛争で1年だけ入試中止になったのはとても有名ですが、実は東京教育大学もそうだったとか。大学闘争の影響もあってか、奥村さん、大学を卒業せずに池袋でキャバレーの呼び込みなどして過ごすようになり大学は除籍に。でも、奥村さんの読書量たるや半端じゃありません。そこらへんのことは奥村さんのブログ「日本語教師・奥村隆信 ひとり語り」でどうぞ ![]() その後12月〜4月は長野のロッジで、それ以外は日本橋のスナックでマネージャーをする生活を7〜8年、その間、大失恋2回 ![]() このままじゃいかん、と富山に戻ってきたころは30を過ぎていました。通信教育の会員のための塾で数学と国語を教え始めその後独立。奥村塾を’78年にスタート。丁寧な教え方や予想問題の的中率で話題になり、自然に子どもたちが集まってくる塾になりました。 そんな奥村さんが日本語教師という職に出会ったのは、40代の時。塾だけの生活になにか物足りなさを感じ、外国語専門学校やYMCAで英語の勉強をしている時に、日本語教師養成講座のポスターを偶然見かけ、なにか感じるものがあり、そこから奥村さんの日本語教師としての歩みが始まったのでした。最初は欧米系の方のプライベートレッスンが多かった奥村さん、’94年に富山国際学院でたくさんの中国人学生に教えた時は少なからずカルチャーショックもあったとか。 前学院長から職を引き継ぐとき、学院長になるのに、高卒では・・・と考えて、富山大学の編入試験を受験。61歳で再び大学生になりました。二年後、無事大学を卒業した年の4月から富山国際学院の学院長として、忙しい毎日を送っていらっしゃいました。 そんな奥村さんが疲れた表情を見せられるようになったのは去年あたりからでしょうか。そして今年、癌で入院、手術。今も抗がん剤治療を受けながら、学院長のお仕事もなさっています。自らを末期癌患者だとおっしゃっている奥村さん。でも、お好きな映画に行ったり、同窓会を開かれたり、何より学生たちのためにせいいっぱい志事なさっているその姿勢に、私たちは教えられることばかりです。 奥村さんはおっしゃいます。「ちがいを認める、という考えそのものが傲慢なのかもしれない。そこには少なからず上から目線があるのではないか。意識しないで、同じ地点に立てるようになれれば、それが一番いい。子ども同士はちがいを意識せずにすぐに打ち解けて遊ぶようになる。簡単ではないだろうが、大人もそうできるような、そんな社会になっていけばいい。」と。 奥村さん、これからもたくさんの留学生にとっての素晴らしい先生としてご活躍くださいね ![]() |