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今日の人45.尹成化さん [2012年07月12日(Thu)]
 今日の人は、韓国出身、広島の市民活動グループええじゃん(Asian)でご活躍、多文化共生マネージャー同期の尹成化(ユンソンファ)さんです。
yun.jpg
 尹さんは韓国ソウルで生まれ育ちました。お母さんはお嬢様だったのですが、仲人に騙され、貧しかったお父さんと格差婚をしてしまします。韓国では結納の時、女性側から男性側に贈り物をするそうですが(日本と反対ですね)、お母さんの実家ががお父さんに贈ったのは、ロレックスの時計だったそうです。価値観のちがいから二人がケンカすることもありましたが、娘に対する愛情はどちらもたっぶりでした。
 
 本が大好きな少女だった尹さん。カトリックの教えに感動し、一人で入信してカトリック信者となります。幼いころから信仰の自由を求めていたなんて、さすがの行動力。その後、弟さん、お母さんも入信させました。
 そして、中学生の頃からはボランティア活動にも参加していました。1993年に家族法が成立する前の韓国は、戸籍に乗らない孤児がたくさんいました。そんな孤児の世話をするボランティアや、結核の患者やハンセン病の患者の世話をするボランティア等に積極的に取り組んでいました。
 
 高校は韓国で一番だと言われる女子高。卒業後は保安官の仕事をしていたのですが、社会に矛盾を感じて、シスターになろうと決意。1年で仕事を辞めて、修道院に入り見習いシスターになります。
 しかし、とっても自己主張の強かった尹さん。先輩シスターとの意見衝突も多く、「マリアはね、こんな性格だから、結婚して子どもを生んだらきっと幸せに暮らせるわよ」とさりげなく引導を渡されます。

 でも、マザー・マリア・ユンでいく!と決めたのに、簡単に家に帰るのはプライドが許しませんでした。そんな時に新聞で留学の斡旋会社の広告を目にします。そこには、広島ならビザがすぐに降りると書かれていました。思い立ったらすぐ行動する尹さん。荷物をまとめて修道院から飛行場へ直行。そして日本に旅立ちました。後になって、お母さんが引き止めに空港まで来たことを知りましたが、もう飛行機に乗った後だったのでした。

 こうして「おはよう」さえ知らず、辞書さえ持たずに来日した尹さん。最初の1年間は日本語学校で学び、その後、広島修道大学に入ります。そして日本語学校時代に知り合った韓国の男性と大学1年の、1992年2月結婚。その1年後妊娠も判明しました。二人とも学生で仕送りもなく、どうやって育てていくんだろうと、不安でいっぱいでした。でも、この子を生まなきゃという一念で妊娠期間を乗り越えます。お金がないので、あまり検診にも行かずに臨月を迎えました。そして1993年の11月、とても元気な女の子が生まれて、心底嬉しかった。
 
 ベビー用品は、自分たちは子供服を少ししか買えなかったのですが、支援してくださる方から、たくさんのベビー服や子供用品をもらい、またいろいろと世話してもらいました。今まで、ずっと支援する側だった尹さんが支援される立場に立った。このことは、後々尹さんの活動にとても大きな影響を与えたといってもいいでしょう。両方の気持ちがわかる、それはとても大事な視点です。

 子どもを産んですぐに大学に復帰しようと考えていた尹さんに、教授はこう言いました。
 「子どもを産んですぐに来なくたっていいから」
 でも、行かないわけにはいかなかったのです。単位をとらないと奨学金ももらえない。それは苦しい生活を続けている尹さんにとってとても大事なことだったのですが、教授にはそこがわかってもらえませんでした。でも、ここで引き下がらないのが、尹さんのすばらしいところです。先生方を説得して、子連れでも授業に通えることになりました。赤ちゃんの時はかごに入れて冷たいセメント床に子どもを寝かせ授業に参加した事もありました。また、子どもが歩けるようになってからは授業中、教室の外の廊下で子どもが尹さんを待っていたこともありました。とにかく頑張り抜きました。

 そんな尹さんのモチベーションを支えていたのは自分自身との“約束”でした。親に対して恥ずかしくない娘でいなければ。そして、日本に来たからには、ちゃんと何かを成さなければ。「そう、私は尹成化、名前の通り、何かを成す人間になる!」それは自分に対して誓ったことでした。

 こうして授業とアルバイトと子育てとに追われた学生生活を乗り越え、なんとか卒業証書を手にしました。その後一年はご主人の就職に伴って、福山で過ごしますが、夫婦して勉強好きなんでしょう、一年後には、二人共別々ですが大学院に通うことになりました。

 尹さんが通ったのは広島大学の大学院。修論のテーマは「広島県下の留学生の配偶者と子どもの人格形成についての研究」尹さんがどんな論文を書かれたのか、機会があったら読んでみたいですね。
 大学院での学生生活の中で、日本人の学生とご飯を食べに行った時のこと、ある学生が公然と「僕は韓国人はきらいだ」と言い放ちました。それを聞いて尹さんは、「この人と仲良くなれば、ここに入った意味がある」と思いました。そうして、積極的にその人と過ごし、いろいろ話しをするようにしました。そのうちすっかり仲良くなって、彼は悩み事があったらまず尹さんに相談するまでになったそうです。

 こうして修士課程を終えた尹さんは主婦として二人の子どもを育てつつ、やはりいろいろなボランティア活動や韓国語講師等をしていました。そして、韓国語を教えていた生徒さんが「市民活動グループええじゃん(Asian)」を立ち上げられ、尹さんにもぜひ手伝ってほしいと声がかかります。ちょうど子育てが一段落したこともあり、その申し出を快諾し、それ以後、ええじゃんでの市民活動を中心にしながら、コミュニティFMでの多言語放送の中で韓国語のパーソナリティをしたり、よりそいホットラインで全国電話相談を受けたり、幅広く活躍してらっしゃいます。

 日本に来て20年。きっとつらいことしんどいことがいっぱいあったに違いありません。でも、尹さんは言います。「つらいとかしんどいとかは感じないようにしているの。私のモットーは“いいことも悪いことも通り過ぎる”だから」と言ってにっこり笑われるのでした。

 尹さんには夢が3つあります。
 ひとつは3食のうち、1食は誰かにおごる。これは、ご飯だけのことではなく、例えば相談に来た人に電話だけで対応するだけでなく、実際に窓口まで連れていってあげたりするなどして、自分が持っている何かを誰かと分ちあうこと。
 もう一つの夢は、自分の子以外に子どもが5人欲しい、ということ。実際に育てるというより、金銭的に援助をして、卒業するまでは面倒をみてあげたいと思っています。シングルマザーの子どもたちに接するときは、韓国のオンマになったつもりでわが子と思って接するなど、そういう支援も含めてわが子以外に5人の子どもを持つこと。
 そして、3つ目の夢は、経済的に独立していること。自分がやりたいことは自分の力で成し遂げたい。女だもん…を絶対理由にしたくない。
 だから、ご主人にはとても感謝しています。尹さんは自分の稼いだ分は、社会のため、自分のために使っています。でも、ご主人は尹さんの生き方を応援してくれています。
 
 尹さんは言います。子はかすがいというけれど、私はそうは思わない。やはり、夫婦に愛があればこそ。結婚して20年経つけど、まだ夫とたくさん話したい。そして、仕事を引退したら、夫と二人で世界一周旅行をして、二人でゆっくり過ごしたい。今は家族と一緒だから無理だけど、夫を一人占めしていっぱい話したいの、ととても幸せそうにお話になる尹さんなのでした。
…ということは全然ケンカしないんですか?と聞いたところ、「とんでもない。しょっちゅうしてるわよ。ケンカするときは値段が高くないもの、壊れてもいいものを投げるの!」と尹さん。
ケンカする時は全部吐き出すことが大事。溜め込んだらダメなの!…溜め込んじゃう私には耳の痛いお言葉でした。
 
 これからも、その明るさとバイタリティで、広島をもっともっと元気に、そして多文化共生にあふれた街にしていってください。
 いつか尹さんと一緒に広島で広島風お好み焼を食べたり、カープの応援をしたりするのを楽しみにして、私も富山でがんばります。
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