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今日の人42.鈴木暁子さん [2012年06月18日(Mon)]
 今日の人は、ダイバーシティ研究所研究主幹の鈴木暁子さんです。
IMG_1315.JPG
鈴木さんは愛知県碧南市生まれ。18歳まで碧南で過ごします。ご両親が共働きだったため、3人姉妹の長女だった鈴木さんは晩御飯の支度をしていた、とってもしっかり者のお姉ちゃんでした。

 お父さんが漫画が好きで、手塚治虫や石ノ森章太郎など、「トキワ荘」の住人の漫画を全巻所有していて、鈴木さんは手塚治虫の漫画を読むのが大好きでした。小学生にはかなり難しいと思われるようなブッダなども大好きだったそうですから、子どもの頃からかなりの思索家だったのでしょうね。
 
 中学では吹奏楽部、高校では弓道部に所属。高校は憧れの電車通学で、ファーストフードのお店自体を目にすることが目新しく、帰りにミスタードーナツで話し込んだりするのが楽しかったそうです。一方で、当時、NHKの「海外ウィークリー」という海外のニューストピックを紹介する番組が好きで、なにかしら、わくわく感を感じて、実際に行ってみたいと思うようになりました。

 高校時代には両親に頼みこみ、成人式の着物と引き換えに、1ヶ月ほどアメリカサンディエゴへホームスティに行きました。ホストファミリーの父親が海兵隊に属しており、戦争に出かける様子などを見て、頭で理解していた世界情勢を肌で実感することができたそうです。
 
 大学は、なんとなく「国際」にかかわる勉強したかったので、その分野を深く学べる静岡県立大学の国際関係学部へ入学。そこは一学年で200人という、とてもアットホームな大学でした。フランスの哲学者サルトル、メルロ・ポンティ、「宋家三姉妹」など中国現代史の登場人物と親交を持つそんな先生方の講義は秀逸でした。鈴木さんはここで、本だけでは学ぶことのできない生の学問を学ぶ楽しさを実感します。

 在学中の長期休暇にはバックパッカーで東南アジアを歩きました。ある時は一人で、ある時は友達と、またある時は妹と…。友人に、タイ北部のチェンマイにあるNGOを紹介してもらって、少数民族の女性の就労支援や農業支援をしている現場にいったりもしました。手に職をつけるためにミシンの使い方を教えたり、タイ語の教室を開いたり、焼畑農業のきつい傾斜の畑に登ったり。何もできない自分の無力さを痛感しましたが、一方でそれぞれの文化の豊かさや生き抜くエネルギーに圧倒されました。

 そして、「足で歩いて、自分の目や五感で感じ、現地から学び、行動する」ことに魅力を感じ、「フィールドワーク」を基本とする文化人類学を専攻することになります。

 国内でもアジアの女性を守るNGO活動に取り組みます。大学には、「活動する研究者」が多かったので、先生たちや先輩と一緒に、学園祭で焼きバナナを販売して、その収益をフィリピンやタイから来ている女性が通う教会に寄付したり、その頃から行動力は抜群だったのですね。

 でも、それだけではなく、ことばを通じた表現活動に魅力を感じ、演劇サークルの立ち上げにも、参加しました。野田秀樹や鴻上尚史など小劇場の演劇の世界観に「はまり」、議論をしていたのを覚えています。その時のメンバーとは、今でも仕事で繋がっています。

 そして大学院では憧れの京都で学ぶことに。更に深く国際的な事柄について関わっていくことになりました。

 大学院を出た後は、京都市国際交流協会で働きはじめます。そこでニュースレターの作成に携わっていたのですが、その時の取材で多文化共生センター田村太郎さんに出会います。そして、田村さんから「多文化共生センターきょうと」の立ち上げに加わらないかと誘われ、交流協会の仕事を続けながらも、参加することにしました。やがて本格的に多文化共生センターきょうとの方に足場を移し、事務局長として、大活躍するようになります。

 その後、結婚、出産で、しばらくは子育ての方に重きをおいていましたが、再び何かをしたいとうずうずしていたときに、田村さんから誘われ、2007年にダイバーシティ研究所の立ち上げに参加し、その後は調査研究事業に関わります。
 
 そのひとつがCSR(企業の社会的責任)について調査するCSR調査です。
CSRとは「責任ある行動がビジネスの持続的な成功をもたらすとの観点から、企業が事業活動やステークホルダーとの交流の中に、自主的に社会や環境への配慮を組み込むこと」(欧州委員会)
 
 多文化共生センターきょうとで医療通訳のシステムづくりの立ち上げにかかわった時に、これからの社会課題の解決には企業の力も不可欠だと感じていたこともあって、企業活動の環境や社会への影響をデータで可視化するCSR調査はやりがいがありました。

 実際、CSRの調査に関わってみて、自身が「井の中の蛙」であったといいます。NPOの事務局長として一人前になったつもりでいたけれど、企業や財団など、今までとは違う相手と、仕事を作るプロセスを共にして、成果を出すことの厳しさを知り、とんでもなかった!と思い知りました。企業は動き出したら早い。スピード感ややり抜く覚悟にはっとさせられたのでした。
 
 さらに、鈴木さんは2008年から、笹川平和財団「人口変動の新潮流への対処」事業でも、3年に渡り、多文化共生の地域モデルづくりにチャレンジしました。この調査チーム「なんとなくこれは必要なんじゃないか」という現場感覚の裏付けを論理的に積み上げていく作業であり、同年代の研究者との闊達な議論は刺激的でした。 また、アジアの国々の研究者やキーパーソンとの交流もあり、特にアジアの女性研究者の方々の、男性と対等に渡り合う「強さ」や「アグレッシブな生き方」には、勇気をもらいました。「慎み」とか「遠慮」などという「日本的美徳」とは対極の姿に、これぐらいパワフルじゃなくちゃねー、割り切らなくちゃねー、と、肩の力が抜けました。緊張感があり充実感のある仕事でした、と鈴木さん。

 調査のような職人系の仕事も得意で、フィールドワークも得意、そして全体像を俯瞰することも忘れない。きっと田村さんも、鈴木さんだからこそ安心して仕事が任せられるのだろうな、というのがとてもよくわかる、まさにデキル女性なのでした。

 そんな鈴木さん、今いちばんホッとできる時間は息子さんと過ごす時間。野球少年の小学校3年生の息子さんの試合を見に行くのも楽しい時間です。
 映画を見るのも好きです。ちょっと時間ができると、一人で見に行ってしまうんだとか。そして、何かに没頭しなれけばならない時は、美味しいものを食べに行って気分転換をはかっています。
 
 最後に聞きました。鈴木さんにとってダイバーシティとは…?
ダイバーシティとは、わかりあうプロセス。そして、終わりのない旅。
その旅を楽しんでいるかどうかが自分の健康のバロメーターだと、優しい笑顔を見せてくださいました。
 
 年を取ったら、京都とタイと静岡で1年の3分の1ずつを過ごしたいと思っている鈴木さん、きっと終わりのない旅は続くと思いますが、とかく長女は人に甘えるのが苦手です。たまには、鎧を外して、らく〜な時間も過ごして、日本のダイバーシティのために、これからも末永くご活躍くださいね。そして、ぜひ富山にも美味しいものを食べに来てください。ダイバーシティとやまのみんなでお待ちしております!
 
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