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今日の人33.坂本茂樹さん パート.2 [2012年03月04日(Sun)]
(パート.1から続きます)

 このようにしてしげっちゃんは、何か子どもたちのためになることを猛烈にしたくてうずうずするのですが、奥さんは安定したサラリーマンを望み、脱サラには反対。
仲良かった夫婦は喧嘩をするようになります。

それでも彼はあきらめませんでした。
「そうだ、おにぎり屋がいい!」
彼の夢はどんどん膨らんでいったのです。
彼の憧れている料理で、出来そうだったのがおにぎりでした。
料理は義母が作っていたのですが、義父が唯一作ってくれたのが塩おにぎり。でもそのおにぎりは本当にうまかった。
心が荒れている子どもたちに心のこもったおにぎりを食べさせたい。どうしてもおにぎり屋をやりたい。しかし、そのことで奥さんとの間に決定的に溝ができました。
色々努力をしましたが溝は埋まらず奥さんとは離婚。でも、おにぎり屋をやりたいとの強い思いは変わりませんでした。

「ミルキークイーンの水加減は難しい。それならばコシヒカリとブレンドすればいいのではないか?
美味しい米と美味しい米をブレンドすれば、さらに美味しい米が生まれるのでは?」
それを思いつき、独学で配合比率を勉強します。

購入先も探していました。
ネット運営していた「金沢の美味しいものマップ」の常連さんから和多農産(わだのうさん)を紹介していただき、アポなしで訪問。
「私はおにぎり屋をやる予定の者です。それも、コシヒカリとミルキークイーンのブレンド米で」
と話を切り出し、配合比率を伝えると、なんと和多さんが考えている比率と全く同じだったのです!
まさにその通りだ、自分たちの意見と同じだ、と意気投合。しげっちゃんがこのブレンド米を使っておにぎり屋を始めることを許可してくれました。
(その数年後、和多農産は「第35回 日本農業賞 大賞」や「第45回 農林水産祭 天皇杯」を受賞し、個人では「黄綬褒章」を受章します)

 美味しいおにぎり屋を求めて全国を旅もしました。
美味しいと評判を聞くと、北海道から沖縄まで行きました。でも、なかなか納得できるおにぎりに出会えません。
そんなとき、別れた奥さんから連絡が来たのです。
「東京で凄く美味しいおにぎり屋を見つけた」
その店「ぼんご」でおにぎりを一口食べた瞬間、「こんな凄いおにぎりを初めて食べた。負けた」と感じ、彼はご主人を「お師匠」と呼ぶようになったのです。
別れた奥さんのまさかの協力もあり、色んな御縁が重なり合って、おにぎり屋「ちょいむす」が誕生しました。
天候や湿度によって水加減を一合単位で変えたり、お客さんの汗の量やテイクアウトでの食べる時間によって塩加減を変えたりして、
「心のこもった美味しい食べ物」を意識しました。
こんなうまいおにぎりを食べたのは初めてだ!という声も聞かれるようになりました。
今でも「幻のおにぎり」と検索すると、彼のおにぎりについて語ってくれているブログが見つかるのです。

しかし、資金繰りに苦しみ、開業して1年半で店を閉めることになります。
諦めたわけではありません。
2年後にショッピングセンターができるから、そこにお店を出してとの話がきていたので、赤字が膨らんでいる店を一旦閉め、そちらに店を移そうと思っていたのです。
しかし、店を閉めた直後、ショッピングセンター候補地だった市が、市町村合併により別の市と一緒になり、ショッピングセンター建設の案は立ち消えになってしまいます。
涙をのむ思いではありましたが、おにぎり屋の再開を断念し、再びコンピューター関連の会社で働き始めました。

 その会社で働き始めてびっくりしたしげっちゃん。うつ病の社員があまりにも多い!うつ病とまでいかなくても、予備軍と言える人はたくさんいました。これはなんとかしなければ!だけど自分だって自分のことが好きではないのです。
悩んでいたしげっちゃんは心理学を学び、てんつくマン中村文昭さんの話に心を打たれていきます。
そんな時に出会ったのが、福井の小学校の先生、岩堀美雪さんによるパーソナルポートフォリオでした。パーソナルポートフォリオ略してパソリオに参加することで、「自分大好き人間」に変わっていくことを実感し、ボランティアで友達に教室を行ったり会社の内定者に対してやり始めます。
パソリオは、受講した人には大好評だったものの、経営陣からは「あいつはおかしなことをやっている」とボコボコにされます。
経営陣は、うつ病になった人を立ち直らせることを考えてはおらず、うつ病で休職したらやめさせればいい、そう考えていました。
上司や本社の人とやりあっても、味方は若い人のみ。
リーマンショックも重なり、ますます社員は使い捨て状態となり、彼自身も係長から主任、さらには平社員にまで降格されます。
このことがきっかけとなり、このままこの会社にとどまるより、たとえ収入が減ってもパソリオを広める道を選ぼう。しげっちゃんは決断します。

しかし、何よりその決断をさせてくれたのは息子さんでした。一人息子はしげっちゃんが離婚した直後の小学5年生の夏休みから5年間に及ぶ間、ずっと引きこもりを続けていました。
自分のことが大っ嫌いな頃のしげっちゃんは、怒鳴ってばかりいました。
「さびしいのは分かる。だけど、親としてここまでしてやっているのに、学校に行かないなんて、息子のほうが悪い!」
そう思っていたのです。

でもパソリオを始めて、自分のことが大好きになったことで、息子に対して文句を言うことなど何ひとつないのだとの思いになります。
「一番辛いのは息子なんだ」と気付いたからです。

すると、今までどんなに恫喝しても部屋から出てこなかった息子が引きこもりをやめ、しげっちゃんに心のうちを話し始めるようになりました。
「ああ、子どもに言ってわからせることなど何一つないのだ。ただ、行動を見せるだけでよいのだ。」

 このことが脱サラしてほんわか寺子屋を開く一番大きな原動力になりました。目の前で悩んでいた人が、パソリオによってどんどん自分が好きになって笑顔に変わっていく様子を見られることが、今のしげっちゃんにとって何よりの喜びです。

 今の子どもたちは、無気力無感動だと言われるが、それはちがう。子どもたちの周りに熱い大人がいないからなのだ。子どもたちのために大人を輝かせたい、そのために自分はほんわか寺子屋をやり続けるのだ、としげっちゃん。

 大人だって子どもと同じように心の中に無邪気なものを持っている。それを心の奥底の箱に入れて、ふたを閉めたことさえ忘れている人もいる。ふたを開けようとすることに抵抗する人も少なくない。でも、そんな人たちに言いたい。子どもたちが大人になった時に輝けるのは、目の前にいるあなたが輝いているからなんだよ。あなたが心からの笑顔で笑ってくれないと、子どもたちも本当の笑顔にはなれないんだよ。

 子どもの笑顔が何よりも好きなしげっちゃん。これからも、ほんわか寺子屋でたくさんの笑顔を生み出していってくださいね。
 そしていつか、しげっちゃんのにぎった幻のおにぎりが食べられる日が来ることを、心から願っています。

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パソリオはこんな感じで作ります♪

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