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今日の人32.久保大憲さん パート.1 [2012年02月16日(Thu)]
 今日の人はとやま311ネットの代表としてこの一年、東奔西走していた久保大憲さんです。
 とやま311ネットは県内のNPOや企業、各種団体・個人が集まり富山県内に避難されて来た方の生活支援をするために発足した会です。具体的な活動としては、富山県民の方から寄付頂いた生活用品・生活家電を避難者の方に無償で提供する活動や、富山県内で行われている支援活動の情報一元化による避難者の方への情報提供、避難者同士の交流の場の提供などを行っています。
 久保さんは富山市生まれの富山市育ち。小さい頃は、ジャイアンタイプの子どもでした。いわゆるガキ大将!そして、小・中学校時代はバレーボールの選手としても活躍していました。
 でも、高校受験の時から調子が狂います。受験と名のつくものはことごとく失敗しました。高校に滑るのも、大学に滑るのも、自分の人生設計の中にはありませんでした。富山県は県立高校を第一志望にして受験に失敗した生徒が私立に行くケースが多いのですが、久保さんの行った私立高校の特別進学コースは「学問優先」と「大学受験での2度目の失敗は許されないというプレッシャー」から原則部活は禁止という暗黙の了解があったので、高校では好きなバレーボールをすることもできませんでした。にもかかわらず、大学受験に失敗しました。
予備校に入った日のことも鮮明に覚えています。その日はちょうど、大学の入学式でもありました。たまたま予備校の入校式から帰った時、お昼のニュースで大学の入学式で同級生がスーツを着て代表で宣誓文を読み上げている姿を見て、なんだかとてもみじめな気分になりました。ああ、この1年はずっと埋まることのない1年なんだなと感じたのです。    
 でも、とにかくがんばるしかない、そう思って浪人時代を過ごし、建築家になろうと思って、名古屋工業大学の建築コースを受けますが、合格通知に書かれていたのは土木コース。名工大に受かって親は大喜びでしたが、久保さんは内心またここでも自分の想いが通らなかったと落胆しました。
 それでも、大学では自分でバレーボールサークルを立ち上げるなど、それなりに楽しい学生生活を過ごしました。でも、なによりよかったのは塾の講師をしたことでした。色黒で声も大きい久保さんでしたが、実は人前で話すのは苦手でした。その苦手意識を克服したくて、塾の講師のアルバイトをしていたのですが、このバイトで人との接し方がずいぶん鍛えられたと感じています。一人一人に合わせた会話の選び方、また教室全体の空気を作る訓練を積むことができたのでした。
 大学の成績はほとんどぎりぎりの可ばかりでしたが、就職活動にはとても自信がありました。面接のときに、「僕が会社を見て選びます」という生意気なことを言っていました。それでも、おもしろい奴だと思ってもらえたのか、受けた会社は全て受かりました。その中から、金沢の企業を選び、就職。そこで5年間土木のコンサルをして過ごしました。でも、5年たっても自分は一番下っ端。久保さんは後輩、部下が欲しかった。早く課長になって、部下と自分の想いを共有して仕事をしていくというのが会社内の夢でしたが、このままでは10年たっても無理なんじゃないか、そう思って会社を辞めました。
 仕事を辞めたあと、ポリテクセンターに半年通い、職業訓練を受けました。同じ職業訓練を受けていた人に保育士さんがいました。保育士は給料が安く、サービス残業も当たり前、行事が多いので、家に持ち帰って作るものも多い。本当は子どもが大好きだから保育士としてやっていきたいけど、経済的、体力的に厳しくてやめていく保育士がたくさんいるという話しを聞いて、これはなんとかしなくちゃいけないと思いました。
 ちょうどその時、富山市が保育所の民営化事業者を募集していました。よし、今自分がすべきことはこれだ!そう考えてまずはとやま起業未来塾に入って起業の勉強から始めたのでした。未来塾にいる間にも、たくさんの保育所の経営者に会いました。何人もの人に会って思ったのは、保育所の経営者は、保育の内容に力を入れていても、保育士の待遇に心を配っていないということ。自分が保育園から学童保育、そして学習塾までをつないで、保育園から中学卒業までの子どもたちを預かる仕組みを作ろう!学習塾のノウハウは学生時代に名古屋の大手の学習塾で講師をしていたから持っている。学習塾で得た利益で、保育園の保育士に高い給料を払える仕組み作りをして、保育士の働く環境を変えていこう。そのビジネスプランをひっさげて、保育士や園長先生になってくれる人を探す旅に出ました。
 しかし、最初はどこでも門前払い。でも、粘り強くたくさんの人に熱意を伝えるうちに一人、二人と賛同してくれる人が増えました。そして、人員を確保し、保育所民営化事業に応募。
…しかし結果は落選でした。次まで待っていてくれると言ってくれた人もいましたが、次に確実に受かる自信はなかった。このまま何年もみんなを引っ張っていくのは無理だと思ったのです。無念でした。

(パート.2に続きます。乞う、ご期待ウインク
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