今日の人31.池田将人さん [2012年02月09日(Thu)]
今日の人は、株式会社フロー代表取締社長 池田将人さんです。
地域資源・メイドインジャパンをWEBを通じて日本・世界へ販売し、医療支援へと繋げる「流れ・FLOW」を創り日本を世界へ発信する 。そういう意図で会社の名前をフローにしました。 フローでは【HappyMOSS 〜苔と始めるグリーン生活〜】という通販サイトで苔の販売に力を注いでいます。屋上緑化、庭園緑化、室内緑化など、さまざまなシーンで苔は活用できて、節電の夏の「緑化パワー」として、メディアでも数多く取り上げられています。 WEBを通じての販売はわかるけど、それを医療支援に繋げるってどういうこと?私もそう思いました。なぜ池田さんの名刺に医療支援と書いてあるのか、それが気になったのです。 池田さんが小学校2年生の時です。その頃、家のお風呂はガス釜タイプのお風呂でした。ある程度温まったら、自分でガスのスイッチを切らないと、お風呂のお湯は沸騰してしまいます。そのスイッチは風呂釜の奥についていました。そしてそのスイッチを切るのは池田さんの役目になっていました。まだ体の軽かった池田さんは、いつも風呂ふたの上に乗って、そのスイッチを切っていました。ある日、いつものようにお風呂をわかしていました。いつもだったら時間を決めてスイッチを切りにいっていたのですが、その日はたまたまドラゴンボールの放送に夢中になっていて、ずいぶん時間が経過していました。ドラゴンボールが終わり「やべえ!」と思って慌ててスイッチを切りに風呂場へ行って風呂ふたに飛び乗りました。その時です。風呂ふたが外れました。一瞬何が起こったのかわかりませんでした。小学2年生の少年は、まさに五右衛門風呂のように煮えたぎる湯船の中に落ちてしまったのです。救急車に乗せられたところまでは記憶がありますが、その後の記憶はありません。次に気がついた時はもう、3,4日経った後でした。全身包帯で覆われてベッドの上に横たわっている自分がいました。命に危険があると言われる全身の3分の1以上に大やけどを負い、親は「覚悟しておくように」と医者から言われていました。包帯を変えるときも傷口に包帯がへばりついて絶叫するような痛さでした。ケロイド状になった火傷のあとには耐えがたい痛さと痒さが襲ってきます。4か月入院して、退院はできましたが、火傷の跡が気になって、短パンをはけなくなりました。 しかし、悲劇はそれだけではありませんでした。全身麻酔によって手術を受けたときの輸血によって、C型肝炎に感染していたのです。C型肝炎は放っておくと肝硬変や肝細胞がんになってしまう可能性がある…自分の人生はめちゃめちゃになってしまった。そう思って落ち込みました。その頃、C型肝炎の特効薬としてインターフェロンが出始めていましたが、まだ保険適用外の高価な薬でした。いつかこの薬で治療をしよう、そう心に決めてC型肝炎のキャリアのまま過ごしました。 高校卒業後は歯科専門学校で学生生活を送り、歯科技工士となって5年間働きました。その頃、ようやくインターフェロンも保険が使えるようになっていました。今こそ治療を受けよう、そう思いました。それでも、薬の副作用等考えると、働きながら投薬を受けるのは無理だと考え、治療に専念するために歯科技工士の仕事をやめました。池田さんは、この治療に備えて働いている5年間ずっと貯金をしてきました。貯金をして覚悟をして治療を始めたものの、働かずに治療に専念する生活は思った以上にお金がどんどん出ていってしまいました。正直焦りました。果たして自分はちゃんと治るのか?薬の副作用による熱や吐き気、そして倦怠感は、相当強く、鬱状態…。友達から飲みに誘われても、こんな状態のやつがいたら場がしらけるにちがいない、と思って断り続けました。それにお金もありませんでしたから、とても飲みに出るような心境ではなかったのです。 ただ、時間はありました。池田さんは家と図書館を往復し、むさぼるようにいろいろな本を読みました。人は必ず死ぬ、じゃあどうして僕はこの世に生を受けたのか、自分の生きている意味はなんなのか、それをずっと考え続けました。そうして、或る所に思いが到ります。人は必ずなにかをなすために生まれてくるにちがいない。だとしたら火傷で苦しみ、そしてC型肝炎でも苦しんでいる自分の役割は、同じように苦しんでいる人たちの力になれるということではないのか。そういう人たちの力になるために自分は生を受けたのではないのか。「医療支援」そのキーワードが頭に浮かんできました。「僕は医療支援をライフワークにする!」具体的なアイデアは何もありませんでした。でも、その情熱がふつふつと湧き上がってきたのです。 池田さんは思いました。ボランティアをして目の前にいる人を助けるのも、もちろん尊い活動だ。でも、それだと目の前にいる人しか助けられない。僕は、もっとたくさんの人を助けられる仕組みを作りたい。でも、そのためにはやはり資金が必要だ。だから、資金が出せるようにまずは儲けを出せる会社を作ろう!そして、その利益を医療支援に使う仕組みを作ろう。そう決意してからはひたすら勉強に打ち込みました。まずは経営について深く学びました。そして地域経済からグローバル経済まで幅広い分野についても学び、富山の地域経済を発展させ、なおかつそれを世界に売り込んでいくツールはインターネットビジネスしかないとの思いに到ります。私は国際理解教育に携わるようになった十数年前からTIE(とやま国際理解教育研究会)のキャッチコピーの「Think globally,act locally」(地球規模で考え地域で行動しよう)を座右の銘にしてきました。池田さんの想いもまさに「Think globally,act locally」なのではないかと思っています。 こうして2010年に「ハッピーモス」のブランド名で苔の販売事業を行う株式会社フローを設立したのです。具体的にどんな医療支援を行っていくのか、それはまだまだ手さぐりですが、医療を提供する側への支援と、受ける側の支援をつなぐ仕組みつくりから携わっていくつもりです。夢は大きく広がりますが、夢を夢だけで終わらせるつもりは毛頭ありません。ですから池田さんは「本気の夢を宣言する会」も主催しています。そしてそれを叶えるために朝型の生活習慣を身につけるための「朝カフェ〜朝から人生を変える挑戦者たち〜」も主催しています。 まったくもって自分に妥協がない若者です。明治維新を支えた志士のような清々しさを感じるのは、自身の体験が彼を大きな人間に変えたからなのかもしれません。 そしてそんな池田さんの夢はもうひとつあります。それは宇宙から地球を見ること。宇宙空間にはどんな世界が待っているのか、そこから地球を見ると、自分がいつも思う「自分は何のために生きているのか?」それがもっとクリアになるのかもしれない。そう思います。いつかそんな日を迎えるためにも今はせいいっぱい働きたい。 喜働で医療支援の仕組みを作り、いつか宇宙へ行く。それは池田将人なら、きっとできるでしょう。それだけの覚悟で日々生きている素敵な若者なのですから。 また一人、富山に応援したい人が増えました |