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今日の人29.山科森さん パート.2 [2012年01月25日(Wed)]
(パート.1から続きます)

 チームが1部リーグに昇格した時点で、山科さんはコーチを辞め、美容エステの会社に就職。広島で1年、岡山で10年を過ごします。岡山では社会人アイスホッケーチームに入り、選手兼監督として、ここでもチームを優勝に導きます。この間、お子さんも3人生まれましたが、大阪生まれ大阪育ちの奥さんは慣れない土地での3人の子育てに追われる毎日に体調を崩しました。このままではいけない、家族が安心できる場所に引っ越そう、そう決意した山科さん、仕事のあてもないまま会社もやめ奥さんの実家のある大阪に引っ越しました。
 その頃、ご自身の実家の小矢部のご両親から、家業を手伝ってくれないか、と何回も言われていました。実はその頃家業は倒産寸前でした。子どもの頃、土日も関係なく働いている親の後姿に誇りを感じていた山科さん。その会社が悲鳴を上げている。実際、町の印刷会社には大きい印刷機があるわけではありません。まして、各家庭にパソコンが普及し、印刷屋の仕事はどんどん減っている。今なら会社をたたんでもなんとかなる。でも、社長、つまり山科さんのお父さんは続けたいと言いました。それなら、と山科さんは腹をくくりました。
 山科さんは家族を大阪に残して、単身小矢部に戻りました。会社を立て直すためにはリストラをするしかありません。ある社員に辞めてください、と言ったところ、オペレーター全員が辞めると言ってきました。山科さんは言いました。「辞めてください」
断腸の想いでしたが、そうするしかありませんでした。
こうして、オペレーターが全員辞めていきました。
 山科さんは言います。「当時オペレーターが全員で辞めると言われたときは、すごく大きなショックを受けました。でも、その決断をしてくれたからこそ「今」があるという感謝の気持ちでいっぱいです。」と。
 それからの1年間は毎日が徹夜のような日々でした。なにしろそれまで印刷会社の仕事を全くやったことがなかったのですから。しかし、そうやって会社に入ってくる仕事にがむしゃらに取り組んでいくうちになんとか一通りの仕事はこなせるようになりました。けれど、そんな毎日が続く中で思ったのです。「この仕事は、果たして世の中のためになっているのか?」
心の中に葛藤が生まれました。その葛藤を払拭しようと思って始めたのが小矢部のSNSサービスOyabe Local SNSでした。
 昔は誰かとコミュニケーションをとるために印刷物は不可欠な存在でした。今はそのツールがネットなどにとってかわってしまったとはいえ、やはり、印刷会社はコミュニケーションツールを提供してあげることが使命だと考えています。そしてそんな考えで新たに作り始めたのが、小矢部ローカルかわら版でした。地元のお店をかわら版で無料で紹介するサービスを始めたのです。
 社長が「たとえ客が一人になっても会社を続ける」と言った時から腹は決まっていました。それなら散り際にみんなから「ヤマシナ印刷さんありがとう」と言ってもらえる会社にしようと。
売り上げを上げるのはやめよう、人に喜んでもらえることをやり続けよう。そう心に決めた時から山科さんはスーツを着たことがありません。仕事をもらうつもりはないからです。
自分が出会った人を最大限支援する。そのスタンスは出会った多くの人に安心感を与え、いろんな人が本音で山科さんに話しをしてくれるようになりました。いろいろな人に話しを聞くうちにAとBをつなげばこんな利点がある、そういうことがたくさん見えてくるようになりました。そんな中からたくさんのプロジェクトが生まれてきたのです。「北陸三県ありがとうプロジェクト」「Oyabetter」「富山を愛する仲間たち」「ソーシャルファームプロジェクト」「朝活朝市@ふくの」「自転車じゃんけん宅配便」etc…山科さんが繋ぐプロジェクトは枚挙に暇がありません。
 山科さんは経営のことを考えていません。出会った人を幸せにする働きをしていれば、勝手に経営がなりたつ。時流に合いつつ人のためになることをすれば、お金はついてくる、そう思っています。今はそのリアルな実験の最中なのだと。
 3年前の自分では考えられなかったことを今やっている。お金はないけど、人脈はとてつもなく広がった、と山科さん。でも、それが山科さんにとっての最大の財産なのでしょう。そして、きっとこのネットワークがこれからの富山を動かしていくに違いありません。そのムーブメントの核にいる山科さん。実にかっこいい生き方をされているのです。
 ただ、小矢部に来てからの3年あまりというもの、大阪にいるご家族、特に奥さんには迷惑をかけっぱなしでした。夫婦で一つの目的が持てずに、お互いの心がすれ違いそうになったときもありました。でも、今は二人共通の目標ができました。それは、一緒にフルマラソンを走ること。あるいは旅をしながらの旅ランをやること。そして、山科さんの利他的な行動をずっと見てきた奥さんには、今ひとつの夢ができました。それは、大阪でコミュニティカフェのような居場所を作りたいという夢です。彼女の想いを実現すべく、まずは小矢部でプロボノカフェを起ち上げ、大阪と富山をつなぐ活動もしていこう!そう山科さんは思っています。
 そして山科さんは、自分が携わったプロジェクトは、最低10年は続けようと思っています。北陸三県ありがとうプロジェクトで小学校低学年だった子が10年たって高校生になって、また再びありがとうプロジェクトに出会い、今度はその子がプロジェクトを引っ張る側になる、そんなつながりがずっと続いていけば、とびっきりステキな富山になりますね。
 私もつながる仲間のひとりとして、ずっと応援していますびっくり(でも、それ以上に応援してもらっているのでしたクローバー

(写真は北陸三県ありがとうプロジェクトに参加した私のクラスのロシア人学生ナースチャーさん笑い
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