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今日の人29.山科森さん パート.1 [2012年01月24日(Tue)]
 今日の人はヤマシナ印刷北陸三県ありがとうプロジェクトジャンクラーetcで富山ではすっかりおなじみの山科森(やましなしげる)さんです。とにかくたくさんのプロジェクトに携わっていらっしゃる山科さん。その数々はどうぞこちらをご覧ください。⇒ヤマシナ印刷HP
 今はフルマラソンを走れる位の体力のある山科さんですが、子どもの頃は体が弱かったそうです。それが小学4年生の時にホッケーを始めたことによって、みるみる体力がつき、自分に自信が持てるようになりました。山科さんの故郷の小矢部市はホッケーが盛んな場所として有名です。全国レベルで活躍する選手やオリンピック選手まで輩出するようなところですから、小学生とはいえ、超本気のスポーツクラブで、毎日5〜10km走り込むのが当たり前でした。中学生までは何の迷いもなくクラブの仲間とホッケーに打ち込む毎日。高校進学する段になって、同じクラブのメンバーのほとんどは、ホッケーの強い地元の石動高校に進学していきました。しかし山科さんは、先生や親に勧められるままに進学校の砺波高校に進学します。「本当にホッケーが好きだったのに、俺はどうしてほとんど悩みもせずにこの高校に来てしまったんだろう…」高校に入った後、先生や親の言いなりになってしまったことを引きずった山科さん。ホッケー部のない高校に来てしまった。じゃあ、この高校で一番強いチームに入ろう、そう思って選んだのはラグビー部でした。山科さんがいた3年間、砺波高校ラグビー部は県大会で3年連続優勝します。1年の時だけは2校同時優勝で花園を逃しましたが、2,3年の時、花園を経験しました。
 山科さんは大阪工業大学に進学しました。そこではアイスホッケー部に入りました。そのチームは常に負けている負け癖のあるチームでした。中学高校とずっと強いチームにいた山科さんは、そこで勝つチームと負けるチームのちがいを実感します。一番感じたのは、「場づくり」の違いでした。負け癖のついてしまったチームは、場づくりの段階で既に負けているのです。
 関西のアイスホッケーリーグは1〜3部まであります。1部は子どもの時からスケートをしていた人がやっているチームが中心。3部になると、大学に入って初めてスケートを履いたという人がほとんどのチームでした。そして山科さんの大学はその3部リーグの中でも最下位に位置するようなチームだったのです。全く科学的トレーニングをしていないそんなチームでした。負け癖のあるチームではあったけれど、あえて泥臭く、ど根性でいこうと先輩からの伝統の練習方法にこだわりました。それでも4回生の時、山科さんは得点王でした。3部の最下位だったチームが、3部と2部との入れ替え戦にまで上ってきました。その入れ替え戦の残り4秒の時、山科さんにシュートチャンスが回ってきました。それを決めて勝てば2部にあがれる!決定的な場面でした。しかし、そこで山科さんはシュートを外してしまいます。悔恨が残りました。
 ある時、もっと組織プレーを意識してやっていたら2部に上がれたんじゃないのか、と言われた山科さん。あの時ゴールを決められなかった自分は、このチームを勝てるチームに変えることが使命だと感じ、就職活動はやめました。チームのコーチに専念することに決めたのです。といってもボランティアですから、夜バーテンダーのバイトをして生活費を稼ぎながらのコーチ生活でした。しかし、妥協は一切しませんでした。戦略戦術を徹底的に磨き上げ、コーチングクリニックも始めました。3部リーグの弱小チームに「日本一のチームになろう!」と常に呼びかけました。まず精神面から変えなければ、このチームは変われない!大学に入ってすぐに感じた負け癖を払拭するところからのスタートでした。その後、大阪工業大学のアイスホッケー部は奇跡を起こします。3部リーグにいたチームが1年目に優勝、2年目には入れ替え戦で勝って2部リーグに上がり、なんと3年目には1部リーグに昇格したのです!負け癖のあったチームを劇的に勝ち癖のあるチームに変えた。まさに山科さんはコーチの中のコーチと言ってもいいでしょう。

(パート.2に続きます。乞う、ご期待ウインク
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