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今日の人224.ニエケ ひとみさん [2023年06月19日(Mon)]
 今日の人は茨城県八千代町地域おこし協力隊員・認定多文化共生マネージャー・多文化共生社会実現プロジェクト担当のニエケひとみさんです。
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最愛の娘さんと一緒のひとみさん


八千代町は人口2万人あまりの自治体ですが、外国人住民は7%を超え、まさに多文化共生がまちづくりのキーワードになっている場所だと言っても過言ではないでしょう。

 ひとみさんは東京の世田谷で生まれ育ちました。お転婆で男の子と秘密基地を作り、サッカーやドッチボールをして遊ぶのが好きでした。といっても家の中での一人遊びも好きでした。お母さんが病弱だったので、お母さんの枕元でパズルをしたり、お話のレコードを聞いてひとしきり遊んでから、外に行って遊ぶことが多かったのです。お母さんがレコードで音楽を聴くのが好きだったこともあって、ひとみさんもレコードが大好きになりました。

 小柄できゃしゃでしたが、すばしっこくてドッチボール大会では優勝してトロフィーをもらいました。体を動かすことがとにかく好きで、体操、ダンス、モダンバレエ、水泳といろいろやっていました。中でもモダンバレエはいちばん長く続きました。
子どもの頃は庭いじりも好きで、庭でトマトを作ったりもしていました。小学校の卒業アルバムには、将来の夢は「農家の嫁」と書きました。都会の真ん中で育ったひとみさんでしたが、庭いじりが好きだったので、農家の嫁と書いたのでしょうか?今、農業が盛んな八千代町にいるのが、なんだか不思議な気もするのです。でも、実はひとみさん、野菜(葉物)が苦手なのでした。

 中学生になった頃は、神奈川の座間市に住んでいました。当時、神奈川県はアチーブメントテスト(通称アテスト)という試験があって、中2までに志望校がほぼ確定してしまうシステムでした。ものすごく勉強していたひとみさんは全教科でほぼ満点の点数を取り、進学校の厚木高校に入りました。でも、中学校でのガリ勉でもう勉強する気はなくなってしまい、ダンスはやりたいけれど特に大学には行く気はありませんでした。けれど、ご両親に大学には行かなきゃダメだと説得され、5つの推薦枠の大学から選べと言われた中のひとつ、東京経済大学経営学部に指定校推薦で入学しました。推薦入試の日、電車に乗り間違え、2時間遅刻をして周囲が冷や冷やしているのをよそに、その後せっかく新宿まで出たので、映画館で映画を観て帰宅した少し変わったところもあったようでした。

 家から大学までは通学時間が片道2時間半かかりましたが、ご両親は一人暮らしを許してくれず、往復5時間かけて大学に通っていました。
ひとみさんはアメフトが大好きで、アメフトに関われることを何かしたいと思っていました。でもマネージャーは男に使われる感じがして性に合わないと思いました。そんな時に学長が学内の部活応援に力を入れたい、チアリーディング部を創部して欲しいというリクエストで“これなら間近でアメフト応援できる︎自分の得意なダンスも生かせる︎と一念発起して、チアリーディング部をクラスメート3人で発足しました。

 アメフト専用のチアがいる日大のアメフト部に行かせてもらって、そこでいろいろ学ばせてもらいました。空中から落ちて救急車で搬送され、前歯が欠けてしまうという経験もしましたが、とにかくチアは楽しかったし、0から立ち上げていく日々はとても充実していました。その他にエアロビのインストラクターの資格もとって、エアロビやアクアビクスのスポーツインストラクターもやっていました。通学に往復5時間もかかるのにチアリーディング部の部長をして、インストラクターもやって、どこにそんな時間があったのだろうというくらいにパワフルなひとみさんなのでした。
 
 その後、ドイツ人のニエケさんとの結婚を機に、欧州に移住することになり、1人目の女の子を出産したばかりのひとみさんはスイスに渡ったのでした。娘さんをおんぶしながらドイツ語を学び、MBAスクールに通う目的でTOEFLのスコアも取りましたが、2人目の妊娠がわかって、ささやかな夢を断念...子育て中はとにかく孤独で、毎日お母さんと電話で話すのが唯一いろいろな想いを吐露できる場でした。
 
 その後、ニエケさんの赴任先が変わる毎に欧州を移動、行く先々で好きな語学も学びました。渡航する国々の人の生活に入り込みたい、仲良くなりたい、子供を安全に育てない一心で、これらの国々の言葉を学びました。その中でオランダの滞在がいちばん長く、2007年からはずっと現在までオランダ在住、ひとみさんはフルで銀行員としても働いていました。子どもたちはインターナショナルスクールに通い、土曜だけ日本人学校にも行っていたのですが、日本に帰国する日本人駐在員のご子息の為に構成されている授業内容、山盛りの宿題が課せられた厳しい日本人学校だったので、親子関係の悪化を嫌ったひとみさんは、日本人学校の宿題てんこ盛りの教育方針に違和感を覚え、子供が辞めたいと意向を受け入れました。一方、ニエケさんには大きくなって後悔するのは貴方ですと言われ、当時はそんな事はない、当時の子供との時間を優先してしまった今、ひとみさんはニエケさんが正しかったと肩を落としているようです。そうした背景から、今、日本に住む外国ルーツの子どもたちを見るにつけ、母語を教える大切さ、語学学習の大切さを思うひとみさんなのでした。

 こうしてオランダで普通の生活を送っていたひとみさんでしたが、2年半前にお父様が高齢者施設に入居することになり、その時は最愛のお母様は亡くなっていたので、入居の保証人にひとみさんがなりました。それで日本帰国を余儀なくされました。この帰国は旦那さまや子どもたちをオランダに残しての単身でのもので、大きな決断でありました。

 帰国して、最初は六本木の日本貿易振興機構ジェトロ本部で働きましたが、ひとみさんのやりたいこととは何か違うと感じていました。私はもっと、かゆい所に手が届くような支援がやりたい、本当に必要な人の所に行きたい、そんな風に思っていた時に目にしたのが多文化共生で地域おこし協力隊員を募集していた八千代町の案内でした。
 何かに導かれるようにして目に飛び込んできた案内、こうしてとりあえず話を聞きに行ったら、何故か不動産屋に連れていかれ、気づいたら八千代町の地域おこし協力隊員第一号として、八千代町の広報誌の表紙をガッツポーツで飾ることになっていたのです。

 それまで多文化共生という言葉すら知らなかったひとみさん。多文化共生じゃなくて“多文化強制”と思っていたくらいです。でも、多文化共生はひとみさん自身、長い海外生活で自然と身につけていたものでした。だから、これほどこの職にうってつけの人はいないでしょう。

 こうして2022年に八千代町にやってきたひとみさん。地域おこし協力隊員の任期は3年。その3年の間に、自分がいなくなってもやっていける土台作りをしようと日々積極的に動いています。昨年は多文化共生マネージャー研修も受け、多文化共生マネージャーにもなりました。かめのり財団の多文化共生塾でご一緒したことがきっかけとなり、私はひとみさんと出会いました。
 その共生塾の最中も八千代町の外国人住民から連絡が入り、流暢な中国語で話していたひとみさん。八千代町の外国人住民はなんと7%超だそうですが、そんな外国人住民に寄り添い、既に八千代町にとってなくてはならない存在になっています。オランダやポーランドの大学生と八千代町の人たちをやさしい日本語×英語でつないだり、毎週日本語講座を開いたり、月に一回多文化共生セミナーを開く等、本当にいろいろな取り組みをしています。多文化共生セミナーを年に1回開くだけでもあれこれ大変なのに、それを月に1回のペースで開いているなんて、ホントにすごいと感心します。そんな企画だけでなく、毎日オンラインで外国ルーツの子どもに日本語を教えているひとみさん。本当に愛の溢れた方なのです。

 ゆくゆくは八千代町に多文化共生センターと外国人相談窓口を一本化させたものを作りたい、ボランティアに頼るだけではなく、有償化してお金を生み出す仕組みづくりもしていきたい。3年の任期の間に仕組みを作ってバトンタッチできるようにしておかねば!と今を全力で走っているひとみさんですが、任期が終わった後のことは考えていません。でも、八千代町の人たちのことはとにかく大好きです。本当に心がピュアで温かい人たちで、今まで住んだたくさんの町の中でいちばんホッとする町だと感じています。たまたま見つけた八千代町の地域おこし協力隊員の募集のページですが、それは偶然ではなくてきっと必然だったに違いありませんね。そんな八千代町の人たちが大好きなひとみさんだから、自分がやったことで町の人が喜んでくれると本当に嬉しいし楽しい!もちろん家族と離れているのは寂しいけれど、3か月に1回は定期的にオランダに帰ってリフレッシュしています。
映画と温泉も大好き。忙しくても映画は一日に一本は見ています。本当に時間を生み出す天才ですね。

 いつも明るい笑顔で周囲を元気にしてくれるニエケひとみさん。多文化共生社会実現プロジェクト担当の名の通り、八千代町はきっと多文化共生社会をリードする地域になる!そう思わせてくれる今回のインタビューでした。
 ひとみちゃんの任期中に、八千代町にきっと行くからねウインク
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