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今日の人217.浜井竣平さん [2021年12月02日(Thu)]
 今日の人は店舗のない生花店マチノイロセイカテン代表の浜井竣平さんです。花を文化に‐日々の忙しさで忘れてしまいがちな、心のゆとりを大切にして欲しい。植物をより身近に感じていただき、そんな日々だからこそ私たちは「お花を買いに来てもらう」のではなく「お花を届ける」ことで街に色を足す存在でありたいという思いから生まれたのが、マチノイロセイカテンです。
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浜井さんは1993年7月31日に高岡市中田で生まれました。男ばかり三人兄弟の次男の浜井さん。2つ年上のお兄さんは勉強も野球もよく出来たので、比較されるのがつらいなぁと思って過ごした少年時代でした。浜井さん自身も小学生の時から野球少年で、当時の浜井さんにとっては今なにかと注目のビックボスの新庄がスーパースターでした。でも、野球以外はどちらかと言えば一人で遊んでいるのが好きでした。特に好きだったのがレゴブロックでいろいろなものを作ることです。中でもハリーポッターのお城をよく作っていました。将来は野球選手になろうなどとはちっとも思いませんでした。野球は好きだけど、社会人になったら草野球でもできればいいや、と思っていました。当時からご両親は安定している大企業の会社員か公務員になれと口酸っぱく言っていたので、なんとなくそうするものだと思っていたのです。その言葉通り、お兄さんと弟さんは大会社で働いているそうです。

中学校でも野球部に入った浜井さん。その頃流行っていたのがルーキーズです。そして浜井さんはキャッチャーで(とてもスリムなのでキャッチャーには見えませんが)キャプテンに。まじめで誠実な浜井さんを信頼して、監督はキャプテンに抜擢したのでしょう。
中学2年生の時、いろいろな職業の人が講師になって学校に来てくれる特別授業がありました。その時に来られたお一人が高岡で生花店を営むストロベリー・フィールズの川原さんでした。それまで花屋の仕事は女がするものだと思っていた浜井さん。「男でも花屋になれるんだ!そしてなんて楽しそうな仕事なんだ!」その講義は浜井さんの胸に深い印象を残します。ずっと大企業に入る道ばかり示されてきたけれど、いろんな選択肢があるんだなぁと初めて思いました。でも、その気持ちを誰かに言うことはありませんでした。人と変わったことが好きとか興味があるとかは当時は誰にも言えなったのです。

そして、浜井さんは両親に言われるまま高岡工芸高校の機械科に入りました。兄と弟は勉強が出来たので大学まで進学の道を示され、浜井さんは勉強はそんなにできなかったので、就職が安定している機械科に行って大手企業に就職するように言われたのでした。そして、それに対してあまり疑問も感じなかったのです。機械科は男ばかり40人。でも、とても楽しい高校生活でした。高校も野球部でこの時のポジションは外野でした。ストロベリー・フィールズの川原さんの息子さんが1つ上の先輩で、よくお父さんの話を聞いていました。それで頭の中では「いいなぁ、花屋」と思っていたのですが、それを表面には出しませんでした。
 
高校卒業後はご両親の希望通り、大手の会社に就職した浜井さん。機械のメンテナンスの仕事で平日は勤務、土日は社会人野球をしていました。4年経ったころ、会社は不景気になり、給料も安かったことから、給料がたくさんもらえる夜勤のある仕事をしたいと思って、転職します。ここでも機械のメンテナンスの仕事でしたが、3交代の仕事になったこともあり、野球からは離れました。

しかし、仕事をする中で、機械が好きで楽しそうに仕事をしている人を見るにつけ、自分はこのままずっとこの仕事をしていて後悔しないのか?と考えるようになったのです。自分はそこまで機械が好きなわけではない。この仕事をしていても心がときめかない。どうせなら好きなことを仕事にしたい。

そうして、ずっと心に秘めてきた「花屋になりたい」という想いに正直になろうと思ったのです。それまで野の花を見に行くことは好きでしたが、花についてちゃんと勉強したことはなかったので、素人でも働かせてくれる花屋を探しました。そして夜勤もあって給料もよかった機械のメンテナンスの仕事を辞め、その花屋に就職したのです。きっと許してもらえないと思って、ご両親には事後報告にしました。予想通りとても怒られましたが、浜井さんの決意は揺るがず、ストロベリー・フィールズの川原さんのことをご両親にプレゼンして、こんな風にお花屋で輝いている人もいるんだと熱い想いを語ったのでした。その花屋でお花の名前から花束の作り方までお花のイロハを教わり、1年半働いたのち、ブライダル関係の花屋に転職しました。路面店の花屋とちがってブライダルの花屋はきっちり金額通りで仕事を進めます。路面店の花屋、ブライダル専門の花屋、どちらの花屋の良さも体験した浜井さんは、自分独自の花屋を作ろう!と決意。花屋になろうと考えてからわずか2年あまりで独立しました。

20代で独立した花屋ということで、いろいろな所で注目してもらえました。JCや倫理法人会でも多くの先輩経営者から学ぶことがたくさんありました。店舗なしの花屋のいい所はロスフラワーが出ないということです。受注販売なので注文を受けてから市場に行くので鮮度のいいお花をお客様に届けることができます。独立してちょうど2年。今、浜井さんはお花に触れることがとにかく楽しいと考えています。現在のお客様は企業が7割ですが、これから特に力を入れていきたいのが、男性客です。まだまだ日本人の男性にはお花を送ることに壁を感じている人も多い。キザだとかかっこつけてるとか思われてお花を買うことを躊躇してしまう人も多い。外国のようにさりげなくお花を送れる文化を日本にも根付かせたい。男性の花に対する壁をなくしていきたい。コロナでワークショップも中断してしまっているけれど、男性に向けたお花のイベントをどんどんやっていきたいと考えている浜井さんです。もちろん、男性向けだけではなく、子どもたちに向けてのイベントも展開していこうと思っています。小学生の時は将来の夢はお花屋さんと書く子は多いのですが、それが中学校、高校と進むにしたがってどんどん少なくなっていきます。そして大学になると、ほぼゼロになってしまう。それは、花屋に安定性や将来性がないと考えている人が多いからに他なりません。でも、花屋が就職の選択肢から消えてしまうのはもったいない。お花屋さんのよさを伝えてイメージを変えていきたい。そう、浜井さん自身が中学の時にストロベリー・フィールズの川原さんの話を聞いてお花屋さんの概念が変わったように、今度は浜井さんが子どもたちにお花屋さんってかっこいいな、素敵だなと思ってもらいたいのです。

今は、華やかなお花をメインで作っていますが、将来的には自分のブランドを立ち上げて、そこではシンプルな花を前面に出していきたいと思っています。浜井さんが一番好きな花はマトリセリアというマーガレットに似た野の花のようなシンプルなお花です。そういう花が主役になる花束を作っていきたい、そして自分のブランドを立ち上げたい、そう思っています。
今は枯れないお花も流行っていますが、枯れるからこそ花の魅力がある。枯れることも含めてポジティブな思考に変えていきたいのです。

こうして毎日充実した日々を過ごしている浜井さん。基本土日は仕事が入ることが多く定休日も決まっていないので、今は生活の大部分を花が占めているといっても過言ではありません。ひょこんと空いた時間には読書をするのが好きです。お酒も得意ではないので、飲み会があったら1次会で帰るようにしています。本当に真面目で誠実を絵に描いたような素敵な青年です。

今28歳の浜井さん、30代の目標は自分のブランドを立ち上げること。富山は持ち家率が高いので、もっと花や観葉植物を取り込んだ住宅づくりを提案していきたいと思っています。そしてサブスクリプションで常にお花が家にある家庭を増やしたいのです。
40代になったら、異業種の仲間たちといろいろな事業展開をしていきたいと考えています。ちょっとまとまった時間を取って、パリを始めヨーロッパでも花を見てきたいし、オーストラリアや南アフリカのワイルドフラワーも見に行きたい、お花に関してやりたいことだらけな浜井さんは「これからいろんなチャレンジをしていきたいんです!」と真っすぐな瞳で話してくださいました。
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