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今日の人207.澤田典久さん [2021年04月09日(Fri)]
今日の人は、氷見の暮らしを体験できるゲストハウスBed&Kitchen SORAIRO 〜ソライロ〜 オーナーの澤田典久さんです。
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澤田さんは昭和40年9月25日、菊人形で有名な福井県武生で生まれ育ちました。
小さい頃は体が大きく、健康優良児として市で表彰されるほどでした。しかし、体の大きさには似合わず、とても人見知りで幼稚園でもいじめっ子たちに泣かされてばかりいました。幼稚園の教室には入らず、軒下に隠れてよく泣いていたものです。

 だから、遊びに行くときはいつも一人で近所の川でザリガニや魚を獲ったりしていました。小学校3年生まではずっとそれを引きずっていたのですが、小学校4年生からスポーツ少年団で柔道をやり始めたことが、澤田さんに大きな転機をもたらします。小学校5年生の終わりに、澤田さんをいじめた子と取っ組み合いのケンカになったことがありました。その時、澤田さんはその子をボコボコにして大勝します。その時から、みんなが澤田さんを見る目はガラッと変わり、いじめられることは皆無になりました。

 釣りは相変わらず好きで、夏休みは短パンで川に入りながら釣りをしていました。一度ナマズに竿を折られて、絶対にリベンジしようと思ったのですが、もう一回釣ることができなかったことはとても心残りなのでした。

 その頃はコックになりたいと考えていて、小学生男子にしては珍しく、NHKの料理番組を見るのが好きでした。料理っておもしろいなぁといつも思っていたのです。今、その時の料理好きが生かされる仕事についていることも運命なのかもしれませんね。

 小学校6年生の時は、柔道に加えて水泳を習わされました。太りすぎていたので、親が心配したのです。しかし、中学校に入ると、背も伸びて、体重も自然に落ちてきました。中学校でも柔道部に入ったかと思うと、さにあらず。入ったのはバレーボール部でした。その頃澤田さんは学年で2番目に背が高く、何かチーム競技をしたいなぁと思った時に、小さいボールは嫌いだったので、バレーボール部を選んだのです。部活はハードでしたが、澤田さんはエースアタッカーとなり、2年の後半から3年にかけてはキャプテンも務めました。部活は遅くまでやっていたのでへとへとでしたが、キャプテンとしての責任感もあり、部活漬けの毎日は充実していました。でも、部活だけやっていたわけではありません。この頃、音楽にも目覚め、最後の学園祭ではステージに立って歌も歌いました。ちなみに歌ったのは、長渕剛の順子でした。

 高校は進学校の県立武生高校に。ここでもバレー部に入りましたが、なんとこの時、澤田さん始め3つの中学校のキャプテン経験者が集まるというバレー部史上最強チームが結成されたのです。ただ、音楽にもますます興味が出てきたので、入学祝に買ってもらったステレオコンポでいろいろな音楽を聴きました。浜田省吾、佐野元春、ツイストChar…私たち世代には懐かしい名前が並びます。Bed&Kitchen SORAIRO 〜ソライロ〜に行くと、当時のLPが並んでいるので、ファンにはたまらない感じです。今度お店に行かれたら、ぜひチェックしてみてくださいね。

 高校3年生になった時、澤田さんは膝を悪くして、バレーをリタイヤしました。しかし、音楽熱はますます上がり、学祭ではバンドを組んで、ギターとベースを担当していました。ちなみに、その時使っていたベースもソライロに置いてあります。
 その頃は、コックさんではなく、学校の先生になろうかなぁと漠然と思っていて、地元の国立大学に入ろうかと思っていましたが、共通一次でコケてしまいます。しかし、浪人になる気はなかったので、京都産業大学の経済学部へ進学しました。

 大学では2年で単位をほとんど取って、社会の教員免許も取得しました。サークルは音楽サークルに入り、ベースを専門にやってライブハウスでも演奏していました。
バイトもいろいろやりました。1回生の時は東山のホテルで配膳の補助をやり、2回生になると、ホテルの最上階の厨房で皿洗いと調理補助をやりました。3回生と4回生の2年間はラウンジでバーテンのアルバイトをしました。これにどっぷりはまり、カクテルもさまざま作れるようになりましたし、お酒の知識も格段に増えました。

 世の中は俗にいうバブルで超売り手市場だった時代。証券会社や銀行など名だたる企業から内定をもらいましたが、澤田さんが選んだのは、地元の某地方銀行でした。大阪採用になった澤田さんは昭和63年の4月から大阪平野支店で3年半を過ごしました。東住吉の社員寮から平野支店まで毎日自転車通勤をしていました。バンド仲間とはたまに会う程度でほとんど音楽をする時間はありませんでした。ストレス解消法は毎日居酒屋で飲むことでした。そんな澤田さん、仕事を始めて2年半で結婚します。お相手は大学2年の時に合コンで知り合った方です。出会ったときに自分のバンドのライブのチケットを渡すと、ライブに来てくれて、それから5年お付き合いして結婚したのです。

 銀行員時代は転勤また転勤の連続でした。大阪から福井へ、そして高岡、また福井、富山、輪島、富山と銀行員として激務の毎日を過ごしていました。でも、体を壊してもう限界だと思いました。それがちょうど男の42の厄年の頃でした。

 心身を回復させて、高校の臨時教師をやろうと思っていましたが、ちがう会社から声がかかりました。企業立地マッチング促進事業で物件情報のマッチングサイトの立ち上げや物件の調査をする仕事をやってほしいと言われたのです。それは富山市からの委託事業で3年間やりました。動かない物件を動かすことが地域の活性化につながることを実感した澤田さんは、これがきっかけでまちづくりに関わっていくようになりました。そして、とやま起業未来塾の7期生となり、多様な人とのつながりが出来ました。私もいつも活動しているフードバンクとやまの川口代表もその時の同期です。未来塾の先生の紹介で、ホテルの支配人を3年間やり、宿泊業のノウハウもその時得ることもできました。

 その後、氷見地域おこし協力隊になります。銀行員時代、輪島に単身赴任をしていた時に、氷見はよく通っていた場所でした。氷見は山も海も近くて本当にいいところなのに、過疎化が進んで限界集落ばかりになっています。この地をなんとかしたい。そんな気持ちもあって、氷見地域おこし協力隊員になったのです。特に氷見市速川地区の人たちや地区のために盛り上げたいという気持ちが強く、この地区の農産物を加工して6次産業化して売り出すことにしました。速川地区の特産になる干し芋を作り、酒販売の免許申請とNPOの申請をして芋焼酎を作り、県内5番目の移住定住のモデル地域になって国の事業補助を受けて、Bed&Kitchen SORAIRO 〜ソライロ〜を建てたのです。ソライロは澤田さんが協力隊の任期が終わる2月に建ちました。銀行員時代の財務や税務の知識、バイトしていた時の料理やお酒の知識、ホテルの支配人をしていた時の宿泊業の知識、全てを活かせる場所が出来上がったのです。
Bed&Kitchen SORAIRO 〜ソライロ〜はレストラン、ゲストハウス、干し芋の加工場、お菓子の加工場、いろいろな機能がありますが、移住者と地元の人とのつなぎ役をしていきたいという想いが強くあります。まず、このゲストハウスに泊まってもらって、ここで地域の人と交流してもらい、地域のしきたりを知ってもらってから移住してもらいたい。何も知らずに、ただ田舎暮らしにあこがれて移住してきてしまうと、「え、万雑(マンゾウ)って何?聞いてないし」ということになりかねないからです。(ちなみに万雑とは、聞きなれない言葉ですが、田舎の町内会費みたいなものだそうです。)
そうして、澤田さんの思いの通りに、今ソライロは地域の人の笑い声が響く場所になっています。
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ソライロの店内
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素敵なものが並ぶソライロ。みなさんもいろいろ探してみてください。
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速川地区

そんな澤田さんがこれからやっていきたいことは、物件ではなく人バージョンの地域プロジェクトマネージャーの会社を立ち上げることです。氷見地域おこし協力隊の起業支援や精神的援助などの後方支援、学生のおためし協力隊やおためし移住の促進、氷見でまだ地域づくり協議会のできていない場所の協議会設立の支援、やりたいことはたくさんあります。
また、ソライロのすぐ近くにある廃校の小学校を活用したい思いもあります。そこは独居老人と若い人が一緒に住める場所にしたいと思っています。他にもやりたいことはたくさんあって、氷見には今、湾岸サイクリングはあるのですが、実は氷見は山にも魅力がたくさんあるので、山のサイクリングコースを作りたいし、自分が大好きだった音楽で氷見を盛り上げる構想など、想いは次々に湧き上がってきます。そして、想いだけに終わらずに実行に移すのが澤田さんのすごいところ!
澤田さんは思います。今までは長い地ならしの期間でした。これまで蒔いた種はきっとこれから芽を出すにちがいない。芽が出るのをワクワクして待ちながら、次の種の準備を始めている澤田さんなのでした。
これから澤田さんが氷見でどんな花を咲かせてくださるのか、目が離せませんね。
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