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今日の人205.サリム・マゼンMazen Slmさん [2021年02月15日(Mon)]
 今日の人は、TMC富山ムスリム協会代表のサリム・マゼンさんです。
IMG_7730 (2).JPG

 マゼンさんは1974年にシリアのダマスカスで生まれました。小さい頃からエンジンが好きだったマゼンさんは、おもちゃもエンジンがないものは興味が持てませんでした。それで、ラジカセを分解してモーターを取り出し、レゴで作った車にエンジンをつけて走らせたりしていました。
 水泳も得意で、ダマスカスで水泳のチャンピオンになったこともあります。お母さんは厳格な人で、子どもの頃はとても厳しく育てられました。マゼンさんは5人兄弟の長男で、みんなのお手本でもあったので、特に厳しく育てられたのでした。外遊びもさせてもらえませんでしたが、マゼンさんは勉強もとても得意だったのです。厳しく育てられたことに対して感謝こそすれ、反発を覚えるようなことはなかったそうです。日本だったら、思春期に反抗してしまいそうですが、イスラムの教えを厳しく守っているマゼンさんは親に反抗するなんて思いもよらないことでした。
 語学も好きで、アラビア語、英語、ロシア語が堪能です。
 ロシアに留学したマゼンさんはモスクワ大学に入りました。その後ロシアで7年過ごしました。イスラム教徒として、いろいろリミットのある生活をしていたマゼンさんは、ロシアにいるときに、一度リミットなしの生活をしてみました。リミットがないはずなのに、逆に自分は一人になってしまった、という孤独感が襲ってきたのです。それは、イスラムのリミットのある生活をしている時には感じたことのない感覚でした。マゼンさんはそこで思います。やはり神はいる。そしてそれはイスラムのリミットのある生活の中でこそ感じられるものだと。

 ロシアで車のトランスポートの仕事などに携わった後、日本に来たマゼンさん。日本でも車のトランスポートの仕事をしています。そうして、1年に2回シリアに帰り、帰った時は1か月シリアで過ごすという生活をしていました。帰国している時に、出会ったのが奥様です。マゼンさんは奥様にひとめぼれします。奥様は当時まだ大学院生だったのですが、マゼンさんと日本に行くことを選びました。それで、ダマスカスでひらがなとカナカナを勉強して、マゼンさんと一緒に日本に来たのです。その後、シリアの内戦が激しくなり、今は両親も日本に呼び寄せて一緒に暮らしています。今、小学校5年生と3年生の子どももいます。外国につながる子どもたちは勉強の面でサポートが必要になる子も多いのですが、マゼンさんの子どもたちは全くそんな心配はなく、逆に日本の小学校でクラスリーダーとして活躍しています。
 そうして自らの仕事の傍ら、2013年には仲間と一緒に富山ムスリムセンター(TMC)の組合を作り、2014年には富山市五福にTMCの建物をオープンさせました。マゼンさんはTMCの代表を務めています。そして、マゼンさんはTMCの活動は全てボランティアでやっています。活動の原点は、人としての義務を守らなければならないという想いです。マゼンさんのいう人としての義務とは、困っている人がいたら助けなければならない、ということです。そしてムスリムとして宗教を守ること。これらの活動をやっていかなくてはならない。それが自分の使命だと思っています。
 マゼンさんは自分が死ぬまで、一人でもたくさんの人を助けたい、そして平和へ到達する道をほんの少しでも短くしたいと思っています。そして、その想いを子どもたちが継いでいってくれることが夢です。
 自分がボランティアをしたことによって、困っていた人たちが心からの「ありがとう」を言ってくれた時、どんなに疲れていてもその疲れは吹っ飛ぶと言います。マゼンさんは内戦の続くシリアの難民キャンプに富山学校を設立し、現地の子どもたちが教育を受けられるようにせいいっぱい支援しています。今、シリアの別の場所でも富山学校を建てる予定でいます。また現地に車椅子を送るなどの活動も続けています。シリアにとどまらず、バングラデシュに避難したミャンマーの少数派イスラム教徒ロヒンギャの難民キャンプに寺子屋式の学校も開校しました。
 ボランティア活動は日本国内でも同様に行っており、日本各地の災害の時には、支援物資を積んですぐに駆け付け、現地でハラールに対応したカレーを作ってふるまいます。熊本でも、広島でも、岐阜でも、TMCができた2013年以降に起きた全国の災害はひとつの漏れもなく駆けつけています。そんな時に、皆さんからの「ありがとう」を聞くと、またやりたいという気持ちがむくむくと湧きあがってくるのです。それが自分の魂のリフレッシュになり、魂のビタミンになります。ですから、TMCとしてのボランティア活動は、自分が病気になって動けなくなるまではずっと続けていきたいと考えています。
 本当にエネルギッシュなマゼンさんですが、そんな風に駆け回っているマゼンさんがホッとできる時間は、やはり子どもたちと遊ぶ時間です。

 マゼンさんの住んでいる高岡市牧野地区は、富山県内でいちばん外国人住民比率が高い地区です。そこでマゼンさんたちが中心になって、多文化共生の地域づくりを実践しています。地域に住む外国人と日本人が一緒に牧野校下多文化共生協議会も発足させ、さまざまな活動に取り組んでいます。マゼンさんの大きな願いは世界平和を作るということですが、まずその第一歩は自分たちの暮らす場所を平和にしていくということです。その一歩一歩のステップを大切にしていきたい、そう思っています。

 このコロナは、もちろん社会的に大きなマイナスをもたらしましたが、いいこともありました。まず、戦争が止まったこと。そして、人々は、人間の力のリミットを否応なく自覚できた。世界でみんなちがっても、みんな人間だということを意識させてくれた。そして、なかなか人に会えないことで、逆にコミュニケーションの大切さを、より深く感じさせてくれた。マゼンさんはそう思っています。

 マゼンさんは、外国につながる子どもたちの居場所作りにも今後取り組んでいきたいと考えています。できることなら、インターナショナルスクールを作りたい。日本はとてもすばらしい国だけど、日本の人々はもう少し、インターナショナルな考え方になってほしいと思っています。外国の考え方をもっと理解できれば、コミュニケーションはより取りやすくなります。マゼンさんの作るインターナショナルスクールで、外国につながる子どもたちも、日本の子どもたちも一緒に学べるようになれば、富山の多文化共生はさらに進むことでしょう。
 マゼンさんは自然の中で遊ぶのが大好きです。だから自然に囲まれた富山が大好きです。
これからも富山で一緒に多文化共生に取り組んでいける心強い仲間がいることがとても心強く感じたインタビューでした。
 
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