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今日の人196.米山勝規さん [2020年08月24日(Mon)]
 今日の人は人と住まいを結ぶ不動産屋株式会社リボン代表取締役の米山勝規さんです。
リボンの名前には御縁結びのribbonと生まれ変わりのrebornの意味が込められています。
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会社の前で

 米山さんは1984年7月1日に砺波市で生まれました。3人兄弟の末っ子で、家は4世代同居の大家族だったので、みんなから大事にされて育ちました。小さい時はおとなしくて甘えん坊で、ドラクエやファイナルファンタジー等のゲームをするのが大好きな子でした。ドラクエの中のキャラクターに影響されてか、おばあちゃんに将来の夢を聞かれた時は「遊び人」と答えていたものです。
 小学校5年生の時に、スノボに出会いめちゃめちゃハマりました。お年玉がなくなるまでひたすらスキー場に滑りに行っていました。もっとも、今から考えると文句も言わずに南砺市のたいらスキー場まで送迎してくれていたお母さんには本当に感謝です。
 中学ではソフトテニス部へ入ります。相変わらずゲームも好きで、部活とゲームで日々が過ぎていく感じでした。中2の時に、ロサンゼルスで2週間ホームステイをしたのですが、あまり感情を表に出すタイプではなかったので、「思っていることをちゃんと言葉にしないと伝わらないよ」と言われとてもショックでした。でも、そうやって文化の違いを肌で感じられたのは得難い体験でした。
お母さんの勧めで小説も読み始めました。課題図書じゃないものを読むのはそれが始めてでした。それからホラー系の小説を読むのが好きになりました。
 高校は地元の進学校砺波高校でやはりソフトテニス部でした。多感な時代、女の子にちょっと変わった振られ方をして、そこから女性恐怖症になってしまいます。純粋な高校1年生はその後、グレてうっかり勉強に打ち込んでしまい、現役で早稲田の理工学部に合格しました。

 大学では硬式テニスサークルに入りました。夏はテニス、冬はスノボとまるで絵に描いたような大学生活を送っていたのです。女性恐怖症を克服しようとしていましたが、その頃はすごくやきもち焼きだったので、まだそれを払拭できていなかったようでした。
電気系の学科だったので、地元の電力会社に就職したいと思いましたが、就職が決まらなかったので、大学院へと進学します。都庁へ勤めた先輩の話を聞いて、それまで考えたこともなかったけれど、公務員の道もいいなぁと考え始めました。電力会社に就職したいと思ったのもコンセントに電気が常に来ている状況ってめちゃめちゃすごいことで、そんな公共性のある仕事に関わりたいと思っていたからです。その意味でいうと公務員は公共性のある仕事No.1なので公務員もいいなと思ったのでした。そこで、マスター1年の時に、国家公務員の試験を受け、厚労省に採用が決まりました。1年目はあまり上司に恵まれなかったのですが、2年目は仕事の基本をきっちり教えてくれる上司に出会いました。この時に、怒ると叱るの違いを感じて、自分は決して怒る上司にはなるまいと決めました。
ただ、公務員の世界はやはり縦割りがひどく、なかなか他部署の人の話を聞く機会がありませんでした。バーで知り合った人と飲んでいて世界が広がるのを感じた米山さんは、中央省庁横断飲み会を企画します。2〜3ヶ月に1回開催し、1年半で11省庁70人にまで参加者が増えました。そう、米山さんは自分も飲み会が大好きなので、飲み会を企画するのがすごく得意なのです。この頃は、女性恐怖症も克服されて、極端なやきもち焼きも治っていました。厚労省の中では若手飲み会に誘われ、そこで出会ったのが1歳年下の奥さまになる人でした。東京で出会った彼女はなんと富山市出身の人でした。
3年目の異動ではまたそりの合わない上司になりました。でも、自己啓発の勉強会で出会った人に自分がご機嫌でいると上司との関係も良くなる。相手じゃなくて全ては自分と言われ、それを実践すると確かに上司との関係は良くなりました。ただ、公務員の仕事自体には興味が持てなくなっていました。その思いに拍車をかけたのは2011年3月11日に起きた東日本大震災でした。実はその翌日の3月12日から米山さんは奥さんと一緒に住むつもりにしていました。その前日に襲った地震。幸い住んでいるところはそこまで大きな被害はありませんでしたが、米山さんは思います。ずっとここで仕事をしていたらきっと後悔する。

 そして様々なことにチャレンジをしはじめ、経営者になるためにいろいろ試行錯誤してきました。けれど、いろいろなことが全然うまくいかず、体に無理がたたったのか金属アレルギーなって左半身全体に蕁麻疹が広がりました。経営者のお父さんからは毎月50万円しっかり稼げるのなら続けたらいい。でも、それさえ稼げないようならやめておけ、と言われました。しかしその頃の米山さんは遅くやってきた反抗期の絶頂期でなかなかお父さんの言うことを素直に聞けませんでした。無理に無理を重ねて体も心もボロボロでした。でも、お母さんからの「富山へ帰ってきてください」との手紙で心が溶けました。ああ、富山へ帰ってやり直そう。

 こうして富山に戻った米山さんは2014年の7月にエコフィールへ入社。それは人生の師匠であるお父さんが紹介してくれた不動産会社でした。そしてエコフィールの社長は今も仕事の師匠と言える人です。その社長についていきながら体で仕事を覚えていきました。

 社長のもとで修行を重ね、2016年12月に独立。不動産会社リボンを立ち上げました。今、事務所がある場所は、奇しくもお父さんの会社ワイケイホームが始まった場所なのです。そんな場所で自分も仕事を始めることができたのはとてもラッキーなことでした。
 お父さんのアドバイスもあって売り上げの目処が立たない状況からパート社員を入れていました。自分の給料はゼロの状態が続き、コンビニに入って就職情報誌でバイトの欄を見たりしていましたが、寝る時間を削ってバイトしたりしたら仕事のクオリティが絶対に下がってしまう。そんなことをしては絶対にダメだ、と自分に喝を入れました。
売り上げのない時に「チラシを出したらどうだ」と言われ、出費が痛いのも事実でしたが、チラシを出していたらそのうち売り上げがついてきました。
 また、倫理法人会で経営者の倫理に出会ったのがとても大きな出来事でした。一流の経営者仲間が多くできたのも大きいし、モーニングセミナーはダイレクトに人生に影響を与えてくれていると感じています。苦難福門であったり、子は親の鏡であったり、得るは捨つるにありであったり、学びのひとつひとつがとても響いてくるのです。
 そしてそれらを実践していくことで、次第にリボンの経営も安定してきました。今年は初めてのアパート経営にも取り組んでいます。何と畑付きのアパートです。
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完成間近の米山さん経営の畑つきメゾネットタイプのアパート

他にも空き家管理もとても重要な仕事です。今、空き家はどこでも問題になっていますが、使えるものはちゃんと使い、本当にボロボロな家だけ解体して土地を利用する。そんな風に土地も家も人も適材適所で生かしていきたい、そう思っています。今、コロナでますます田舎で住むことの大切さが言われていますが、都会からの移住も促進していきたいし、移住してきた人が働けるように雇用もサポートしていきたい。そんな風に夢はどんどん広がっています。

 公務員時代からずっと米山さんを支えてくれた奥さまとの間には今、4歳と1歳の可愛い娘さんがいます。その子たちと遊ぶ時間が何よりリラックスできる時間です。そして、米山さんには夫婦円満の秘訣があります。それは奥さまを褒め続けること♪米山さんのSNSを見るといつだって、奥さまに最高の褒め言葉を贈っていらっしゃいます。私たち世代の平均的日本人男子は、奥さんのことはまぁ褒めない!(うちの旦那を筆頭にw)ので、隔世の感があるのでした。
 
 テニスもまた再開しました。米山さんは常に新しいことにチャレンジするのが好きなので、今両利きを目指してトレーニングしています。富山マラソンでフルマラソンを走ったり、司法書士試験を受けたり、アパート経営を始めたり、何かしら毎年新しいことにチャレンジしています。
そして、経営者仲間と家族ぐるみでバーベキューをしたり、飲み会をしたり、やはりいろいろ企画するのが大好きな米山さんなのでした。
 まだ36歳になったばかりの若手経営者はこれからどんなことに挑んでいくのでしょう。きっとこれからの富山をもっともっとワクワクする場所にしていってくれるに違いありません。
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