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今日の人195.池田 薫さん [2020年08月11日(Tue)]
今日の人は養蜂家であり、はちみつやhttps://hachimituya.jp/の池田薫さんです。
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 薫さんは1964年、東京オリンピックの年に大沢野町で生まれました。大沢野は自然に囲まれたところです。小さい頃は友だちと秘密基地を作るなどしてよく外で遊んでいました。けれど、活発というよりはおとなしい子でした。家は祖父母もいる7人家族で、テレビのチャンネルの主導権はおじいちゃんが握っていましたから、芸能界の話題には全くついていけませんでした。
 小学校高学年の時は、お琴やお茶も習っていました。何か伝統的なものに心惹かれる少女だったのです。お茶は最近また習い始め、当時はわからなかった所作の意味が腑に落ちるようになって、茶道の奥深さを感じています。

 中学校では剣道部に所属。この頃は友だちとお菓子作りをするのもハマっていました。よくケーキやクッキーを作って、学校で友だちと分けていました。「詩とメルヘン」というポエム雑誌も好きで、よく自分で詩を書いていました。それをどこかに投稿するということはなかったのですが、文章を書くのが好きだったのです。
 
 高校は家から遠いところに行きたくて、富山北部高校へ。大沢野町は富山市の南にあるので、一番南から一番北まで通っていたわけです。富山駅で乗り換えなければならないのですが、それは億劫なことではなくてむしろ好きでした。まだ駅前周辺は雑然としていた時で、駅周辺にはバラックのようなお店も残っていました。入ってはいけない場所という雰囲気だったのですが、なんとなくワクワクしたものです。家はお小遣い制ではなかったので、まとまったお小遣いはもらえませんでした。友だちとカフェに入ることなんて滅多になく、たまにハンバーグを買うのが楽しみでした。

 ある時、立山町の粟巣野にあるKAKI家具工房に友だちと遊びに行って、そこで染色家の方とたまたま出会いました。その方に京都に染色の学校があると聞き、とても心惹かれた池田さん。そうして、高校卒業後に京都にある川島テキスタイルスクールに入り、2年間染色の勉強をしたのです。古都京都で開催される蚤の市もとても素敵で、よく足を運んでいました。
 
 卒業後は富山に戻っていたのですが、アフリカを旅した友だちの話に刺激を受け、自分もアフリカに行ってみたい!と思うようになります。アフリカに行くための資金を貯めるために、大和のモロゾフでバイトを始めました。この時、包装の仕事が結構多かったのですが、その時身につけた包装の技術が、今の仕事にも生かされているので、人間万事塞翁が馬ということを感じる薫さんなのでした。そして、友だちを誘って3ヶ月間アフリカ大陸を旅しました。女友達との二人旅でしたが、トラブルに巻き込まれることなく、楽しいアフリカ旅行になりました。ただ、とても残念なのは、その時一緒に旅した友だちがずいぶん早くに逝ってしまったことです。今もいろいろな仲間のいる薫さんですが、アフリカ旅行に3ヶ月も一緒に行ってくれた友だちの存在はとても大きかったのです。
 
 日本に戻ってからは、モロゾフでバイトを再開。そうしているうちに、自然に結婚という流れになったのです。そして今はちみつやの店舗も構える、富山市茶屋町に嫁いで来た薫さんなのでした。
 結婚後は3人のお子さんの子育てに追われる日々でしたが、一番下のお子さんが幼稚園の時に、ヤクルトやんない?と誘われてヤクルトレディを1年くらい経験しました。その後、近所の大学内での事務の仕事に誘われて11年間勤めました。

 そんな薫さんに転機が訪れたのは2010年のことです。家に配られて来たフリーペーパーに立山町の養蜂家佐伯元さんのことが載っていました。何か心がワクワクして、佐伯さんに一度見学に行かせて欲しいと頼むと「6月9日に来て」と言われました。きっと見学希望者が何人もいて、まとめての見学になるんだろうなと思って行くと、見学者は薫さん一人だけ。佐伯さんは6月9日のロックの日にはちみつを採りたかったらしく、その写真を撮ってくれる人がいなかったので、それを薫さんに頼みたくて6月9日を指定して来られたのでした。
見学をした薫さんの指に、佐伯さんは雄蜂を一匹のせてくれました。それを見て、可愛いなと思った薫さん。佐伯さんは「養蜂をやりたかったら、やってみたらいいよ」と言ってくれました。佐伯さんのやっているみつばちに優しい養蜂がとても気に入った薫さんはその年から本格的に養蜂の勉強を始めたのです。
翌年の2011年に東日本大震災が起きて、お金をもらうことに価値観を置くのは違うという思いが決定的になりました。生産性のあるものを持っていたい、そういう生き方をしたい、それは自分にとってみつばちだ、そう思いました。
そうして、家の庭でみつばちを一群飼い始めました。最初は可愛いから飼ってる、はちみつが採れなくてもいいやと思っていましたが、案外たくさん採れました。そして道具代くらいは儲けようと思ってはちみつを売ったら売れたのです。薫さん自身知らなかったのですが、呉羽でみつばちを育てる養蜂家はかつては何人もいらしたのです。でも、それを受け継ぐ人がいなかった。薫さんはますます、この地で養蜂することの意義を感じるようになりました。そしてみつばちの巣箱を増やし、庭ではなくて、呉羽丘陵の畑の中で養蜂を続けています。
アカシア、ハゼノキ、カラスザンショウ、ウラミズザクラ、クズ、そして他にも多くの花々。みつばちはせっせとその花蜜と花粉を巣箱に持って来てくれます。そんな薫さんのはちみつは何も加えず、熱もかけない本物のはちみつです。ですから、その時々で味が違い、その時集めた花の香りがするはちみつです。みつばちの命はたった3ヶ月。その短い命を、楽しそうに、そして精一杯生きているみつばちが愛おしくてたまらない薫さんなのでした。
 3年前、自宅を改装して「はちみつや」をオープン。珪藻土の壁は自分で塗りました。庭にはたくさんの花々も咲いています。庭にある花々で花束を作ったり、ミツロウキャンドルやミツロウラップを作るワークショップも開催しています。
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たくさんの植物が迎えてくれる「はちみつや」さんの入り口
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季節季節の花の香りのする生はちみつが並びます。
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ミツロウラップやミツロウキャンドル
ワークショップで作ることもできます♪

薫さんは生活の場の中で仕事をするのがいいと考えています。仕事の場と生活の場が離れているのは、不自然だと思うのです。ですから、家の近くの呉羽丘陵にみつばちの巣箱を置き、自宅の敷地内にあるはちみつやではちみつを売ったり、ワークショップをしたり、花を育てたりできる今の暮らしは、本当に肩の凝らない、自然体で暮らせる暮らし方なのです。
みつばちの世話もみつばちが増えるのを見ることも、庭づくりも、友だちがはちみつを買いに来てくれる時間も、愛犬と過ごす時間も、全部が楽しい時間です。
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落ち着くお部屋

そして今、息子さんも養蜂家になって、一緒にみつばちを育てています。受け継ぐ人のいなかった呉羽の養蜂を薫さんが受け継ぎ、そのバトンを息子さんが繋いでくれた。なんて素敵なリレーでしょう。
薫さんの名刺には表面に「いえがあり かぞくがいて 庭がある」と書かれています。そして裏面はLand of milk and honeyという聖書の言葉から始まります。直訳するとミルクとはちみつの土地になりますが、豊かな大地という意味があります。
「大切な人と、作りだす喜びを分かち合う 生活の場を持つこと。そんな豊かさの中で、ミツバチと共にある暮らしを。
何も足さない 加熱もしない 粗しぼりそのままの 生はちみつの生産・販売」それが薫さんの名刺の裏面の言葉です。
これからも生活の場の中で仕事をして、いろいろな人と作りだす喜びを分かち合っていきたい。そしてずっとみつばちと仕事をしていきたい。薫さんはそう思っています。
皆さんも一度、はちみつやさんに足を運んでみてください。そして花の香りいっぱいの生はちみつの美味しさを味わってみてください。そして薫さんの話を聞いてみてください。
きっとはちみつの価値観、変わります。
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