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今日の人194.古川陽一さん [2020年08月02日(Sun)]
今日の人は、Webサイト・システム開発を手掛けるマルチメディア工房陽https://creators-navi.jp/archives/1711代表の古川陽一さんです。
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 古川さんは1962年、魚津市で生まれ育ちました。小さい頃は恥ずかしがり屋で保育園で劇をする時も、やりたい役になかなか手が挙げられず、最後に残ったアヒルの役を女の子に混じってやっていた思い出があります。
 ご両親とも音楽の先生で仕事が忙しかったこともあり、小学校4年生までは知り合いのお宅に預けられていました。そこのおばさんがとても優しい人で、古川さんはその近所の女の子と一緒に遊んでいました。おままごともやらされていたそうです。
 高学年になってからは缶蹴りや野球など、積極的に外遊びもするようになりました。その頃はやっていたケーキ屋ケンちゃんの影響もあって、将来はケーキ屋さんになりたいと考えていた古川さん。家にお菓子作りのレシピ本もあって、レシピ本を見ながらよくケーキを作っていました。ある時、プリンを作って蒸した時に、冷ますのが待てなくて、外の雪の上に置いておいたら、野良犬に食べられてしまったことがありました。せっかく美味しそうなプリンだったのにショックでした。そういう記憶ってずっと残るものですよね。

 中学校では、軟式テニス部に入りました。自分ではおとなしい性格が変わったとは思っていなかったのですが、勉強も得意で文武両道だったからか、キャプテンをやらされました。文化委員会の委員長もやっていました。部活も学校も忙しかったのですが、海釣りに一人で行く時もありました。さほど釣れた訳ではありませんが、一人で釣り糸を垂らしている時間はなにかホッとできる時間でした。

 高校は地元の進学校、魚津高校へ。高校2年生の時、他校からお父さんが赴任してきました。古川さんの芸術の選択科目は音楽だったので、2年間、お父さんから音楽を習うことになってしまいます。頑張っても普通点しかつけられなかったので、なんだか腑に落ちなかったのですが、今となってはいい思い出です。高校でも軟式テニス部のキャプテンだった古川さん。部活と勉強で忙しく遊びに行った記憶はほとんどない高校時代でした。
 
 そうして金沢大学工学部電気工学科入学します。大学でも体育会の軟式テニス部に入ったのですが、体育会なだけあって上下関係も練習も大変厳しかったのです。そして、先輩に教えられた麻雀やパチンコにもハマってしまい、わずかな単位が取れずに2年生の途中で留年が決まってしまいました。そこで、古川さんは軟式テニス部を辞めました。留年と言っても取れていない単位はわずかだったので、その1年間はバイトに精を出しました。縄文式土器を発掘したり復元したりするバイトです。貯めたバイト代で自転車で四国一周もしました。金沢から名古屋へ出て、そこから大阪、そして神戸からフェリーで四国へ。23日間の旅の間、ほとんどはユースホステルに泊まりましたが、野宿をした日もありました。旅の中では思い出に残る出来事もいくつかありました。四日市では膝が痛くなってしまい、コンビニで休んでいると、女性に「膝が痛そうですね」と声をかけられ、手を当てられました。すると、本当に痛みが引いたのでとても不思議に思いました。愛媛の食堂では帰り際に食堂の女将さんに「お金はいらないから」と言われ、常連さんらしきお客さんに冷やかされたりしました。
愛媛県の一番西の佐田岬半島の突端まで行った時は雨も降っていたのですが、着いた時にさーっと晴れ間が出て、海を挟んだ大分県の佐賀関半島も見えてとても感動したのを覚えています。

 専門課程に入ってからは、勉強に専念します。自分が長男だということも考え、富山に戻って就職することにした古川さん。県内の大手企業から複数内定をもらいましたが、その中から就職先に選んだのはYKKでした。新入社員だけで100人以上もいた時代です。そして、職場の隣にいたのが奥様でした。就職して2年目に初めて話した二人。最初はグループ交際をしていましたが、やがて付き合うようになり、古川さんが26歳の時に結婚しました。

 この頃、古川さんはコンピューターの設計部門にいて、工場で使う制御パソコンを作っていました。とにかく厳しい部署で、朝の8時半から夜の7時半まで集中して仕事をして毎日ヘトヘトになるという生活が続いていました。
 古川さんは走るのが好きで、駅伝に出たり、ハーフマラソンに出たりもしていたのですが、練習が終わって何か膝が痛いと感じるようになったのは30歳を過ぎた頃でした。湿布をしても痛い日が続き、そのうち足首まで痛くなってきました。医者をいくつか転々としましたが、原因がわかりませんでした。関節リウマチに近い症状だけれど、リウマチ因子は見つからず、それでもどんどん腫れてきて歩くのも大変になってきました。

 そうして34歳の時に、1年仕事を休んで治療に専念することにしたのです。金沢の病院にも通いました。それでも症状は一向に改善せず、これ以上会社で仕事を続けるのは無理だと判断した1年後、会社を辞めたのです。

 この時には古川さんには二人のお子さんがいました。二人のためにも仕事はやらなければなりません。しかし1998年、36歳の年、腰まで痛くなってきて、とうとう寝たきりの状態になりました。ちょうどその頃、インターネットが世の中に普及し始めていました。富山県でもホームページを作りませんか、という仕事があって応募します。県の仕事を請け負っていたのがCAPで、CAPから仕事が来るようになりました。某ホームページの動画編集の仕事の依頼もあり、毎日2〜3時間、動画編集をするようになりました。全く仕事がない中での仕事は本当にありがたかった。それからは徐々にホームページ制作の依頼が来始め、仕事が広がっていきました。

 2002年日本と韓国が舞台のW杯が開催されます。その時、中田英寿の姿から勇気をもらった古川さん。自分もずっと寝たきりじゃダメだ!と強く思いました。そして看護師の友人に相談し、手術をする決意をします。それは腰と膝に人工関節を入れるというものでした。こうして2002年の夏に腰、冬に膝に人工関節を入れる手術をし、見事成功。運転までできるようになったのです。
それまで寝たきりだったことを思うと、何をしても楽しい、第2の人生が始まったと思えるのでした。徐々に仕事も増えていきました。

 次の転機になったのは、8年前にWordBench Toyamaの勉強会のコミュニティに参加したことです。最初は高岡の伏木で開催していましたが、その後富山でやるようになり、富山開催から古川さんが代表をすることになりました。Toyama WordPress Meetup https://www.meetup.com/ja-JP/Toyama-WordPress-Meetup/という名前に変わりましたが、活動は今も続けています。そしてこの中で人脈がとても広がり、それが仕事にもつながっています。
SOHOの集まりも富山で立ち上げていて、その時は会員が100人くらいいました。そこで知り合ったのが以前このブログでもご紹介した齋藤秀峰さんです。齋藤さんに誘われて2012年の富山ドリプラの支援会でプレゼンターの動画作りを手伝った古川さん。それがご縁で私もお会いすることになりました。
  
 古川さんは、50代後半になって、自分の知識をもっと後進に伝えていきたいと思うようになりました。自分のように体の都合が悪い人がよりしっかり仕事できるように伝えたいとも思っています。古川さんの仕事は言ってみればずっと前からリモートワークでした。それが今急速に広がって、古川さんたちスペシャリストの知識を必要としている人はたくさんいます。だからこそ、人と人をつなげる仕事も自分の役割だと思っているし、そうやって社会貢献できることがとても楽しいのです。いろんな人に助けてもらって今の自分があるから、これからはお返ししていく時だと思っています。寝たきりになっていた4年間も心のどこかではなんとかなるだろうと思っていて、実際にその時に回ってきた仕事もあった。それは古川さんが腐らずに、できることに最善を尽くしてきたからに違いありません。

 そんな古川さんは好きなこともたくさんあります。カメラもライフワークの一つで14、5年前に一眼レフに出会ってからはいろいろなメーカーを使い、今はキャノンのカメラを愛用しています。その腕は古川さんの作るホームページにも生かされています。こちらは3年前に撮った蜃気楼の写真。なんとこの写真、フジテレビのあまたつのお天気コーナーに使わせて欲しいと連絡があったのだとか!
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映画やテレビドラマを見るのも好きです。以前は週1で映画館に行っていたくらいでした。そしてもちろんスポーツ観戦も大好きです。野球、サッカー、バレーボール観戦はテレビだけでなく、スタジアムに足を運ぶことも多かったのです。今年はコロナで小休止ですが、また生で観戦できる日を楽しみにしている古川さんなのでした。そしてご自身で体を動かされることも好きです。25mプールで息継ぎせずに泳げるので、パラリンピックに出られるかなと思ったのですが、調べてみたら、パラリンピックに出る基準タイムには遠く及びませんでした。そんなわけでオリパラは応援することに専念しようと思っています。
 
 スポーツマンで健康でマラソンまで走っていた方が、全然歩けなくなって寝たきりにまでなったら、人生を絶望して悩んでどん底にまでいってしまいそうですが、古川さんはそうならなかった。いつもケセラセラ、なるようになると人生を歩んできました。そこに古川さんの強さを見た気がした今回のインタビューでした。
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