今日の人128.徳倉康之さん [2014年09月12日(Fri)]
今日の人は、NPO法人ファザーリング・ジャパン事務局長の徳倉康之さんです。
イクメン・カジダンという言葉が急速に浸透してきまたが、Fathering Japanは、父親支援事業による「Fathering=父親であることを楽しもう」の理解・浸 透こそが、「よい父親」ではなく「笑っている父親」を増やし、ひいてはそれが働き方の見直し、企業の意識改革、社会不安の解消、次世代の育成に繋がり、 10年後・20年後の日本社会に大きな変革をもたらすということを信じ、これを目的(ミッション)としてさまざまな事業を展開していく、ソーシャル・ビジ ネス・プロジェクトです。 徳倉さんは1979年に香川県高松市で生まれ、18歳まで高松で育ちました。小さい頃は人見知りで引っ込み思案だったのですが、小学校3年生の時にクラスで級長になったことがきっかけで変わりました。自分が話してそれを相手がわかってくれるってなんて楽しいんだろう!伝える楽しさを実感したのです。実は後から知ったのですが、引っ込み思案な息子を心配して、お父さんが担任の先生に息子に何か役を与えてやって欲しいとお願いしていらしたのでした。徳倉さんが変わるきっかけを作ってくれたのはお父さんだったのです。そしてお父さんは、昔から家事、育児を当たり前にやる人でした。お母さんが病弱でよく入院していたというのもありますが、仕事のやりくりをしながら、家事育児を楽しんでやっているお父さんの姿が徳倉さんにとってはスタンダード。だから、あえてイクメン・カジダンという言葉を使わなくても、そうなることは徳倉さんにとってはごく自然なことだったのです。 話すことの楽しさに目覚めた徳倉さんは放送委員にもなり、将来の夢はアナウンサーでした。児童会、その後中学や高校の生徒会でも全て副会長として活躍しました。会長よりも補佐して運営を仕切る副会長の方に魅力を感じる徳倉さん。それは今も変わっていないのかもしれません。 中学に入ると、ソフトテニス部に入り、そこではキャプテンでした。進学校でしたが、勉強は特にせず、本ばかり読んでいました。本と靴は好きなだけ買ってやる、というのがお父さんの教育方針。あらゆるジャンルの本を読みました。釣りも小さい頃からずっと好きで、よく海釣りに出かけていました。ファミコン世代だったので、もちろんゲームもやっていたそうです。中学時代の夢は引き続きアナウンサー、しかし同時に実家の家業を継ぎたいという思いもありました。 香川で一番の県立の進学校に落ちてしまった徳倉さんは私立高校へ。ここはまさにダイバーシティな高校でした。富山もそうなのですが、地方の私立高校は県立に落ちてしまった超優秀な生徒から、遊んでばかりいる生徒まで本当にいろいろな生徒が集まってきます。中学が進学校で優秀な生徒ばかりが集まっていた学校でしたので、高校で初めて多様な価値観を持つ人々に出会うことになった徳倉さん。ですから、この高校に入って本当によかったと思っています。高校では死ぬほど遊びました。でも、同時に勉強もやりました。「お前、勉強できるな」とほめられて、勉強も楽しくなってきたのです。部活は硬式テニス部に入っていました。 大学進学にあたってお父さんから言われたことがあります。それは、「バイトはするな」というものでした。「毎月仕送りする。その金額でちゃんとやりくりしながら生活しなさい」 徳倉さんは硬派なテニスサークルにも入ったので、最初はお金のやりくりがうまくいかず、サークルでお金を使い過ぎたり、好きな服を買ってしまったりで、残ったお金がとんでもなく少なくなりました。そうなると切り詰めざるを得ないのが食費。なんと、77sあった体重が1年で60sにまで落ちたのです。でも、そうやっていくうちに徐々にどうやりくりすればうまくいくのかわかってきました。この時、決まった額で生活したことは社会人になってからもとても役に立ちました。もしあの時、バイトをして自分に自由なお金が増えていたら、決して身につくことのなかった感覚でした。工夫して楽しめというお父さんの教育方針は実によかったのです。 サークルは2年でやめて、大学時代しかできないことをしようと思いました。シアトルに留学している幼なじみがいたので、友だち3人でシアトルからカナダそして南下してメキシコまで超貧乏旅行をしたりもしました。なにしろ治安の悪い所で安いモーテルに泊まったりしたので、怖い思いもいっぱいしましたが、得難い体験もたくさんできたのでした。 こうして充実した大学生活を送った徳倉さんは実家に入る前に、修行として大手メーカーで勤務することになりました。勤務地は埼玉県。およそ3年後転職しかし、仕事に追われる毎日の中、無理に無理を重ね、とうとう十二指腸潰瘍で入院。腹膜炎になり、命の危機にまでさらされたのです。なんとか峠を脱したものの、一ヶ月は水さえ飲めない状態で、骨と皮になるくらいに痩せこけました。25歳の時でした。療養のため、故郷に帰っていたのですが、その時に10年ぶりに再会したのが、中学校の同級生でもある奥さまでした。その時研修医だった奥さまと恋に落ちた徳倉さん。1年後修行していたメーカーへ復職して埼玉へ戻りましたが、遠距離恋愛が始まり、27歳で結婚します。奥さまは埼玉でお医者様として働きはじめました。 大病後に復職した徳倉さんは働き方を考えないとバランスを崩すと痛感しました。ワーク・ライフ・バランスの概念に出会ったのです。そして、29歳の時に長男が誕生。奥さんのキャリアを重視して、息子さんが4ヶ月から1歳になる間、徳倉さんが育休を取ることにしました。徳倉さんの会社では男性の育休第一号でした。当時の営業部長は怒って2年も口をきいてくれないくらいでした。でも、徳倉さんは気にしませんでした。自分は営業でbPの成績を挙げていたし、何より自分のキャリアに対する考え方が変わっていたのです。何を大事にすべきか、一度死にかけた徳倉さんは仕事が全てというような生き方だけはしたくなかったのでした。 2011年の5月には2人目のお子さんが生まれ、その時は奥さんが産休の時に徳倉さんが育休を取りました。1人目の時は奥さんは里帰り出産をしていたので、生まれた直後の育児は体験していなかった徳倉さん。ですから、2人目は、住んでいる町で産んでもらって最初から2人で一緒に育てたいという思いがあったのです。ちょうどその頃にファザーリング・ジャパンに出会い、ボランティアスタッフとして活動に参加するようになりました。活動する中で、ここでは自分の経験を生かせるという想いが大きくなり、2012年の2月に、「ここで働きたい」と申し出ました。 こうして、やっていた仕事の引き継ぎ等をキチンとこなし、夏前にそれまでの営業の仕事をやめて、ファザーリング・ジャパンの事務局長となった徳倉さん。その後、イクメンという言葉は急速に広がり続けています。それはきっと徳倉さんが尽力された部分も大きいからでしょう。 そうして、3,4年前は総論でさえNGだったイクメン話が今は、OKになってきました。しかし、各論ではまだまだNG。男が育休を取るなんてとんでもないという部署はまだまだたくさんあります。 もちろん、今の流れでいけば、10年もすれば放っておいても変わる、そう思います。でも、10年を5年、3年にしたい。そのために、今やりたいのはイクボスを増やすこと。イクボスとはつまり、男性が育児をすることに理解のある上司のこと。イクメンのボス、つまりイクボスというわけです。 管理職を変えていくことが社会の流れを変える近道になると思う、と徳倉さん。 何より、夫婦で子育てできるのは本当に楽しいのです。子育てにもパートナーシップが肝心。お互いの苦手を把握して、補完し合えるからいいのです。子どもを授かって、子育てできるそんな環境に恵まれたなら、それを楽しまない手はありません。この楽しさを知らずに過ごすのは実にもったいないし、人生を損していると思います。期間限定でしかできない子育てを楽しんでもらいたい、と徳倉さんはおっしゃるのでした。 そして今年1月には3人目も誕生した徳倉家。男、男、女という3人のお子さんたちと毎日めいっぱい楽しんでいます。特に今楽しいのは、3人目の娘さんとじゃれあう時間。やっぱりお父さんって女の子にはメロメロになっちゃうようですね。でも、もちろん、息子さんたちと戦いごっこをしたり、釣りに行ったりする時間も心から楽しんでいます。 今の仕事は世の中が変わっていくきっかけを作っているという手応えがあり、とても充実した毎日を送っている徳倉さん。出張も多く、東奔西走して日本中でイクメンカジダンのお話をされています。もちろん、今は世の中が変わっている過渡期ですから、いろいろなことを言ってくる人もいます。でも、25歳の時に一度死にかけた徳倉さんは、不思議とそういうことは気にならなくなりました。もう死ぬかもしれない、と思った時は、空が青いことさえありがたかった。だから誰かがとやかく言っていることなんてどうでもいいと思ってしまうのです。まさに死ぬこと以外はかすり傷、といった感じで達観されている徳倉さんなのでした。 そんな徳倉さんの夢は、奥さまと世界中の素敵な所を旅すること。特に今いちばん見せたいのはドイツのエアフルトという街です。街の建築物は中世から近代にいたる各時代の荘厳な建築物が林立しており、「建築物の博物館」と評する建築家もいるくらい素晴らしい建築物がたくさん残っています。ゲーテやナポレオンが訪れた場所もそのまま残っていて、街全体の雰囲気がたまらないくいい。そんな街を奥さんとゆっくり歩いてみたいと思っています。 そう、徳倉さんは誰よりも奥さんをまず愛していらっしゃる。実はそれがイクメンの一番大切なポイントなんだろうなぁと思った今回のインタビューでした。 徳倉さんたちの活動が広まることは、まさにダイバーシティな社会につながります。これからもますますワクワクのご活躍を! |