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今日の人125.長岡由洋さん [2014年08月10日(Sun)]
今日の人は、多機能型事業所 花椿かがやきの支援職員、長岡由洋さんです。
IMG_6186.JPG
花椿かがやきにて。長岡さんが持っていらっしゃるのはダイバーシティサポーター証♪

 私が長岡さんにお会いしたのは富山地域福祉ネットワークの懇親会の時でした。とにかく元気で明るい、それが第一印象。それからは、ダイバーシティとやまの主催する世界自閉症啓発デーのライトイットアップブルー@五箇山菅沼でのイベントをいつも応援してくださり、本当に助けられています。

 そんな長岡さんが生まれたのは1973年。生まれた時に雨が降って、それ以来雨男だという長岡さん。生まれも育ちも高岡市です。実は私とは小学校が同じ(といってもギリギリ1年かぶっているかどうかというところです)
 近所同士がとても仲が良く、長岡さんが泣いていたら、勝手に近所の人が家に入ってきてあやしてくれました。それはお母さんの性格によるところも大きいと思われます。お母さんはとても気さくな人で、誰とでもすぐに仲良しになる人でした。一方お父さんはとても厳しく、長岡さんはこのお父さんがとても怖かった。一度おばあちゃんのうちに遊びに行っていた時に、お父さんが迎えに来て、まだ帰りたくないと泣いたとき、「泣くな!」と一喝されました。それ以来、お父さんの前では一度も泣いたことのない長岡さんです。

 保育園では人見知りで全く自分の意見が言えず、イヤも言えない子でした。友だちにおもちゃを交換してくれと言われ、自分の持っている大きなおもちゃととっても小さいおもちゃを交換させられても何も言えないような子だったのです。
 しかし家に帰ってくると、近所の友だちには言いたいことが言えました。三輪車に乗ってどこまででも行って迷子になってしまったこともあります。

 小学校に入ってもやっぱり人見知りでしたが、学校に行くこと自体をイヤだと思ったことは一度もありません。でも、学校でうんちができず、長休みにうんちをしに家まで帰ったこともあります。
 小学校4年で少年野球チームに入り、それ以後はホントに厳しい練習がずっと続いていくのでした。練習が終わった後にグラウンドを50周することもありました。監督もコーチもスパルタ式でとても怖かった。特訓の成果もあって、長岡さんたちのチームは北陸大会に歩を進めます。
 でも長岡さんがレギュラーになることはありませんでした。その頃、夢を書くときはピロ野球選手と書いていましたが、本当になりたかったのはプロ野球選手よりも自分たちの野球チームのレギュラーだったのです。

 4年生までは教室で意見が全く言えなかった長岡さんでしたが、5年生になって突然積極的になり、先生にも何でも言えるようになります。でも、調子に乗り過ぎてビンタされることも。
 6年の時には犬に噛まれて1週間入院していたこともあります。その時、野球チームのみんながユニホーム姿でお見舞いに来てくれたことを今でもとても鮮明に覚えている長岡さん。よほど嬉しかったのでしょうね。

 中学に入るとまた何も言えなくなってしまいます。中学に入ってすぐに部活の希望届を出すのですが、第1希望野球部としか書かず、第2、第3希望を書かなかったところ、いきなり先生に張り倒されたのです。昔の先生は体罰が当たり前という感じはありましたが、いくらなんでもそれはひどい話です。結局野球部には入れず、足が速かったので陸上部を薦められましたが、陸上には入らず卓球部を選んだのでした。中学時代はなんだかいつも中途半端でモヤモヤしていたことも多くあったのでした。親ともほとんど話しませんでした。でも、お母さんは長岡さんのことをちっとも否定はしませんでした。
 中3の修学旅行の時、同じ班の友だちがおみやげ屋で木刀を買って、それを背中にさしたまま集合写真に写るという事件が起こります。当然、木刀をお土産になど買ってはいけません。こうして富山に戻った後、その班の5人の男子はみんな5厘刈りにされてしまいました。昔は、校則を破った生徒は学校で先生にバリカンで刈られたものです。

 高校は福岡高校へ。ここでようやくまた野球部に入ります。でも、1年生の時は友だちができませんでした。しかし、そこである先生と運命の出会いがありました。その先生は人のいい所を見つけてほめてくださる方でした。3ベースコーチだった長岡さんに、お前は声の大きさが光っているとすごく誉めてくれるのです。今でも、長岡さんの声の大きさはピカ一です。そして最後の練習試合の時に、先生は長岡さんを3番に抜擢してくれたのです。でも、送りバント失敗、スクイズも失敗、結局何も決めることはできませんでしたが、こうして出番を与えてくれたことで大きな勇気をもらいました。何より自分を認めてもらえた、それが本当に大きな自信になりました。
 
 大学は北海道に。アメフトの強い札幌学院大学に入り、長岡さんもアメフト部に入りました。しかし五月病になったり血便が出たりしたことが重なり、夏休み前にはアメフト部を辞めました。その後は野球同好会に入り、いきなりレギュラーに。遊びのサークルも自ら作り、コンパ、パーティ、コンサートのチケットを男子学生に売りまくっていました。3年生になるとパワーリフティングにもハマりだし細マッチョな身体になりました。

 アルバイトもいろいろやりました。犬の散歩から不倫調査まで、ちょっとあまり大学生が体験しないようなバイトもやっていました。スポーツ用品店でバイトしていた時は、売上が全北海道で11位になったこともあります。とにかくしゃべりがうまかった。そしてお客さんの心理もうまくつかんでいたのでした。

 就活は警察を中心にやりました。警視庁を受けた時は新宿警察に泊まらせてもらいました。夜には新宿2丁目に行ってカオスの世界を体験したりもしました。大阪府警を受けた時は西成地区にも行ってきました。当時から長岡さんは社会の穴に落ちそうな人々のいる世界に興味のあったのでしょう。
 しかし、結局色盲があることがわかり、警察関係は二次試験で落ちてしまったのでした。

 そうして金沢の金物会社に就職した長岡さん。最初は言葉遣いひとつとっても叱られていました。しかし、売上を上げるために坊主頭にし、お客さんの所では必ずダッシュ、題して佐川作戦を実行します。そして飲み会と納期をひたすら大切に仕事をしていった所、売上がぐんぐん伸びていったのです。こうして物を売るポイントや仕組みを抑えることの大切さを体得していった長岡さん。2年目に会社で横に座ったのが何を隠そう奥さんになった人でした。
しかし、仕事のミスを全部長岡さんに押し付けられる事件が起こったこと等があり、この会社を去ることにしたのです。

 次に就職したのは老人ホームでした。ここでは社会福祉主事として働きました。しかし、そこは理事長のワンマンぶりがあまりにひどかったのです。それでも、さびしいお年寄りと話す大切さはしみじみと感じましたし、素晴らしい人にも会えました。ここで、また一人忘れられない人との出会いがありました。裏の道を歩いていて伝説をたくさん持っているHさん。彼はいつでも誰に対しても全く態度が変わることがありません。誰に対しても接し方が一緒で、誰に対しても普通に話す、そんなHさんを長岡さんは尊敬しました。立場が上だからへつらう、下のやつにはエラそうにする、そんな人とはちがってなんて清々しいんだろう。

 しかし、職場でどうしても認めがたいことがあって、長岡さんはこの老人ホームを去ることになりました。その後、しばらく沖縄に一人旅に出かけました。安宿での出逢いも楽しく、一人でも寂しいことは全然ありませんでした。石垣島に渡った時は沖縄の本当の凄さを感じたように思いました。子どもからお年寄りまでみな踊り明かす、そんな人々との触れ合いで、ささくれだっていた長岡さんの心は徐々に癒やされていったのです。

 こうしていろいろなことが吹っ切れて、富山に戻ってから就職したのが、知的障害者更生施設 花椿でした。その後、障害者自立支援法に基づく多機能型事業所花椿かがやきになるわけですが、建てる時に地元住民と意見の食い違いがありました。長岡さんは思いました。彼らのことを地元住民は誤解している。障がいがあっても、彼らは決して地元住民に迷惑をかけるようなそんなことはしない。それをわかってもらうには、まず彼らと触れ合ってもらうことが大切だ。よし、かがやきは町を歩こう!長岡さんは決意します。もちろん、何かあったらどうするんだ。誰かに迷惑をかけたらどうするんだ。いろんな声が出ました。でも、一歩踏み出さないと何も変わらない。そうして、どんどん町に繰り出したことで、今では地元の住民の人たちとの交流も生まれ、とてもいい関係を築けています。

 長岡さんのモットーは楽しんで仕事をすること。スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドでイベントをしたり、先の先生がその時監督をされていた高校の野球部のみんなと野球をしたりもしました。この時、先生は利用者のみなさんを障がい者としてではなく、一人の大人として接してくださった。この時の想いはその後活動していく時の大きな宝物になっています。

 そして花椿に入って2年目に結婚。
次の年には長男も生まれ、おむつを取り替えたり夜泣きするのをあやしたり、ホントに未知との遭遇といった感じでした。しかし、第二子の長女は切迫早産で予定より3ヶ月も早い超未熟児で生まれます。この時ご夫婦ともに不安が頂点に募り、お互いにぶつかって離婚の危機かと思われる事態にまでなりました。結局それは回避できたのですが、ご自身がうつ病になったり、お母さんの死があったりとまさに激動の日々。第3子に元気な男の子が生まれたのもつかの間、今度は奥さんが病に伏せました。実はこの時がいちばんこたえました。娘がNICUにいるときは、喧嘩をしながらも、つらさを妻と2人で分かち合えた。けれど、奥さんが入院していると、そのつらさを分かち合えない上に家事も育児も一手に担わなければならない。この時ほど奥さんの存在の大切さを思った時はありませんでした。
 
 そんな長岡さんが救われたのは職場の大きな理解があったからです。そして心の葛藤を誰かにちゃんと話すことの大切さを痛感しました。今も職場の方には家庭のことを率直に話して、いろいろフォローしてもらっています。

 これらの経験を通して、長岡さんはかがやきの利用者のみなさんの凄さに気付きます。彼らは人によって態度を変えることがない。私たちは多かれ少なかれ、肩書や国やいろんなちがいで相手を判断しそうになりますが、彼らにはそれが一切ない。そんな彼らの生き様を支えることが自分の仕事であり、それは自分にとってかけがいのないことだとわかったのです。

 こうして今までお世話する相手だった人が、一緒に何かをする相手に変わったことで、たくさんの変化が生まれました。作業所が変わった。やることが変わった。利用者さんは誕生日には好きな職員と好きなことをしてもいい、それが誕生日プレゼント。どこも行かないことも選択。全て自分で決めることでみんなホントにいきいきします。そして、これはお年寄りにとっても言えるのですが、外に出る一歩で、どれだけ身体が活性化されることか。QOL(Quality Of Life)にとって移動するという行為は本当に大切だと実感している長岡さんなのでした。

 そして、実はしがらみや差別は大切だと長岡さんは考えています。それらがあるから、ひとりひとり能力を発揮できる場所にいけるのだ、と。

 そんな長岡さんのモットーは今を一生懸命に生きること。もちろん失敗もするし、後悔もするけれど、今を楽しく生きていきたい。その言葉通り、所属している野球チームで首位打者をつとめたり、保護者会会長でがんばったり、全てに全力で取り組んでいます。子どもたちもすくすくと育ち、長男は空手で全国大会にも出場するほどに。超未熟児だった長女も元気に育っています。次男は放っておいても元気に育つ3人目の特徴そのままに成長してくれています。きっと、なんにでも一生懸命なお父さんの後ろ姿を見ているのでしょうね。

そして、いつか五月晴れの日に縁側に座って、眠るようにして逝くのが、長岡さんの理想です。

今、長岡さんが自分の気持ちをそのまま表しているとおもっている歌がLet it goです。

降り始めた雪は 足跡消して
真っ白な世界に一人の私
風が心にささやくの
このままじゃだめなんだと

戸惑い傷つき
誰にも打ち明けずに
悩んでたそれももう
やめよう

ありのままの 姿見せるのよ
ありのままの 自分になるの
何も恐くない
風よ吹け
少しも寒くないわ

悩んでたことが嘘みたいね
だってもう自由よ
何でも出来る

どこまでやれるか
自分を試したいの
そうよ変わるのよ 私

ありのままで 空へ風に乗って
ありのままで 飛び出してみるよ
二度と涙は 流さないわ

冷たく大地を包み込み
高く舞い上がる思い出描いて
花咲く氷の結晶のように
輝いていたい
もう決めたの

これでいいの
自分を好きになって
これでいいの
自分を信じて

光浴びながら
歩き出そう
少しも寒くないわ


ありのままに生きるのは勇気のいる生き方だけど、これからもそんな長岡さんを応援しています。
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