CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
«今日の人117.笹野瞳さん | Main | 今日の人119.落合良幸さん»
<< 2020年02月 >>
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
プロフィール

宮田妙子さんの画像
カテゴリアーカイブ
リンク集
最新記事
https://blog.canpan.info/diversityt/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/diversityt/index2_0.xml
月別アーカイブ
このブログをSNSで紹介
最新コメント
おかうえ
今日の人152.吉谷奈艶子さん (08/21) りんりん
今日の人114.村木真紀さん (05/19) ゆかり
今日の人114.村木真紀さん (05/09) 宮田妙子
今日の人149.河除静香さん (09/24) 橋本桂
今日の人149.河除静香さん (09/08) 高木敏夫
今日の人123.高橋太郎さん (04/14) 大太
今日の人4+.森本耕司さん (07/17)
最新トラックバック
今日の人118.小熊昭良さん [2014年06月17日(Tue)]
 今日の人は木田流津軽三味線奏者、米谷流尺八奏者として大活躍の小熊昭良さんです。
2014-06-06 15.08.16.jpg
小熊さん、通称くまさんは1956年、魚津漁港の近くで生まれ育ちました。男2人兄弟だったのですが、お兄さんは8歳離れていて、小3の時には東京の大学に進学したので、ほとんどひとりっ子のようなものでした。
 近所にあまり遊び友だちがおらず、小さいころのくまさんの友だちは国語辞典でした。辞書を引くのが大好きな子だったのです。そんな辞書引きの少年だったにもかかわらず、お兄さんが超優秀だったため、両親は弟にもそれを望みいつも「勉強しろ」とばかり言われました。それが昭良少年の悩みの種でした。

 そんなくまさんの心に光を与えてくれたのが音楽でした。くまさんの音楽との出会いはクラシックギターが始まりです。小6の時におじさんがクラシックギターをタダでくれたので、独学で弾き始めたのですが、あまり上手に弾けませんでした。それが悔しくて通信教育で習い始めたところ、メキメキ上達し、クラシックの古典曲をかなり弾けるようになり、ギターに夢中になります。そうなると自分のギターも欲しくなり、お小遣いローンでクラシックギターを購入。ギターにどっぷり浸かった中学時代でした。ですから、この頃の夢はギタリストになることでした。ギター、ギターな毎日を過ごし、高校に進学します。

 高校は魚津高校の理数科へ。高校では友人にそそのかされて吹奏楽部に入部し、ホルンを担当します。一度やるとハマってしまうのがくまさん。今度は見事にホルンにハマり、ホルン漬けの毎日を過ごしました。とはいえ、一方ではギターサークルを作ってギターも続けていました。当時はクラシックギターの人気があまりなかったこともあって2人だけのサークルでしたが、文化祭で発表する等していました。同時にフラメンコギターもやっていたので、独学でスペイン語を学んだりもしました。そういうこともあって、漠然と仕事は旅行業がいいのではないかと思い始め、大学も理数科とは縁遠い京都の外国語大学のスペイン語学科へ進学します。
 大学では吹奏楽部にするか軽音楽部にするか悩んだ末、軽音楽部に入部。トランペットに転向しましたが、部の在り方に疑問を感じ、退部しました。そして大学の方も勉強にちっとも熱が入らず退学。
 退学した後も京都に残り、呉服屋で丁稚をするなどして、都合3年間京都で過ごしました。しかし、富山で歯科技工士をしている両親がくまさんの将来を心配し、歯科技工士の専門学校へ行くよう強く薦めました。しぶしぶOKし、富山に戻って歯科技工士の専門学校へ通い始めたくまさん。しかし、ここで運命の人となる奥さまと出会うのですから、今となってはご両親に感謝感謝ですね。

卒業し、石川県の歯科医院で働き始め、2年目に結婚。結婚生活が落ち着いて来た頃、石川の吹奏楽団に参加して再びホルンを吹き始めました。一度音楽熱に火がつくと止められないのがくまさん。立て続けに何十万もするホルンを購入して、吹奏楽団の活動に夢中になっていた頃でした。

やがて歯科技工士として独立し、富山に戻ってきたくまさん。今度は富山の吹奏楽団に参加しましたが、何年か経った時に音楽の方向性のことで上層部ともめ、あれだけ心血を注いできたホルンをきっぱりとやめたのです。35歳のことでした。

しかしやめたものの、やはり音楽からすっかり離れることは寂しくてなりませんでした。そうした時に、義母が三味線を習うと言い始め、一緒に習い始めることにしたくまさん。
実は幼い頃、花街で育ったので、街のあちらこちらから流れてくる三味の音が耳に残っていたのです。
 こうして加賀山流民謡教室「昭滋会」に入会し、民謡三味線を習い始めました。民謡用の細棹三味線を購入し、その後合奏用に太棹の三味線も購入。やり始めると途中で投げ出すのが嫌いなくまさんですから、とにかくとことん練習し、たった2年で名取になってしまいます。2年で名取になるなんて、ちょっと信じられない速さです!
 
1990年に三味線を始めたくまさん。奥さんと二人三脚の歯科技工士の仕事も順調でした。2000年に「昭滋会」は名前を「藤浪会」に変更し、同時に富山県民謡連合会に加盟しました。そして三味線を始めてちょうど12年たった2002年、くまさんは藤浪会会主の出村先生の紹介で砺波の木田貫松輝先生の元で本格的に津軽三味線を習い始めることにしたのです。思えば、これが大きな転機になりました。

 津軽三味線のお稽古はとにかく厳しく、お稽古の間はずっと叱られっぱなしだったとくまさん。昔気質のお師匠さんで、楽譜も何もなく、とにかく覚えてこい、それだけでした。しかし、くまさんはそれを毎回完璧に覚え、ひたすら練習に励みました。そして、津軽三味線を始めてからたった2年で津軽三味線の大会に個人と団体でエントリー。団体で4位に入賞したのです。その後も次々にいろいろな大会に参加し、2005年には富山市の「街角パフォーマンスオーディション」で最優秀賞、2006年にはシニア津軽三味線全国コンテスト実年の部(50歳代の部)で準優勝の栄冠に輝いたのです。この頃、生徒さんも引き受け始め、いよいよ先生としても活躍が始まったくまさんなのでした。

 これだけ充実していたら、それで満足できそうなものですが、そうならないところがくまさん。2007年には尺八米谷流師範の米谷威和久先生に師事し、なんと尺八も習い始めます。こうしてまたまた尺八もあっという間に上達して、三味線と同じように習い始めてからわずか2年の2009年5月に名取になってしまいます。「米谷威久昭」を襲名しました。
同じく2009年5月に津軽三味線木田流貫松栄派の名取「小熊貫昭」も襲名。

その後もさまざまな大会で数多くの成績を残してきたくまさんですが、なんと今年行われた津軽三味線世界大会ではミドル級で優勝という快挙を成し遂げたのです。みんな幼い頃から津軽三味線を弾き続けているのに、30代半ばで三味線を始めた人がこの大会で優勝するなんて異例中の異例。

 何がくまさんをここまで三味線に駆り立てるのでしょうか。くまさんは三味線を弾いている時は無になれるのだとおっしゃいます。そして、どんな日でも必ず練習する時間を取る、とおっしゃいます。「みんなから器用だと言われるけれど、自分では努力タイプだと思っている。努力すればちゃんとできるようになることを体がわかっている。」とくまさん。どれだけ上達しても日々の練習を忘れない、その芸を追い求め続ける姿勢が、彼の三味線の音に表れ、あれだけ大きな大会での結果につながっているのでしょう。

 そんなくまさんが今楽しいことは全国の邦楽仲間と集まること。
くまさんはブログをずっと続けているので、そこで邦楽仲間がたくさんできました。そのオフ会を毎年12月に開催しているのですが、飲んで話してずっと三味線や尺八を演奏して、本当に楽しい時間です。そういう集まりをぜひ北陸の若い人たちとの間でも開催したい、そう思っています。
 そう、くまさんはもっともっと若い人に邦楽のよさを知って欲しい、そして実際に楽器を手にとって欲しい、そして受け継いでいって欲しい、そう思っています。そしてそれがくまさんの夢です。
 今、実際に和楽器をやっている人は、祖父母や親がやっていたという人が圧倒的に多いのです。どこか敷居が高い楽器だと感じている人が多い。そんな垣根をとっぱらって交流できるようにしていけたら、いや、そうしていこう、そう思っています。

 三味線をやっていると、全国に、いや世界に、友だちができます。その楽しさをたくさんの人に知ってほしい。尺八にしても、今や外国でも流行っています。日本の尺八人口は減る一方ですが、外国の尺八人口は増え続けています。だから、日本の若い人たちにも、もっと気軽に和楽器に触れて欲しいのです。

 そしてもちろん、くまさんがこうやって和楽器に打ち込めるのは、奥さんの理解があるからこそです。一緒に家で歯科技工の仕事をしているくまさんと奥さんは周囲の人がいつまでたってもラブラブだね、という程、大の仲良しです。仲良しの秘訣は?と尋ねると、「文句を言わずに家事をシェアすることと、ありがとうの言葉を忘れないことかな。」とくまさん。世の殿方、これほんとに大事なポイントですよ!

 くまさんには実はバイクの趣味もあります。毎年お盆に3泊4日位で一人で走るのが命の洗濯になっています。去年は九州へのバイクの旅でした。かねてから行きたかった知覧に行って大きな衝撃を受けたとくまさん。知覧はご存知、多くの特攻隊員が飛び立っていった場所です。果たして今年はどこに命の洗濯に行かれるのでしょうか。

 大学で挫折して帰ってきた時、くまさんは相当落ち込んだとおっしゃいました。けれど、くまさんがこうして三味線に打ち込める環境になって、そして津軽三味線の世界大会で優勝するまでのなられたことを考えると、本当に人生万事塞翁が馬ですね。
 
 そして、まだ一度も和楽器に触れたことのないみなさん、ぜひ一度気軽に和楽器に触れてみてください。きっと今まで感じたことのないワクワクを感じるかもしれません。

くまさんの教室はこちら⇒
http://61.213.216.174/jh9cdz/shamisen_school.html

くまさんの楽しいHPはこちら⇒
http://kuma555.fc2web.com/index.html

トラックバック
ご利用前に必ずご利用規約(別ウィンドウで開きます)をお読みください。
CanpanBlogにトラックバックした時点で本規約を承諾したものとみなします。
この記事へのトラックバックURL
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
トラックバックの受付は終了しました

コメントする
コメント