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今日の人115.水内豊和さん [2014年03月25日(Tue)]
 今日の人は、富山大学人間発達科学部准教授水内豊和さんです。
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向かって右が水内先生♪

 水内さんは岡山市生まれ、ベネッセの本社ビルの向かい側が家でした。両親とも特別支援学級の教員という家庭で育ちます。本人曰くしつけにはとても厳しい両親で、クリスマスにラジコンがほしいとサンタさんにお願いしましたが、袋に入っていたのは百人一首だったことは忘れられない思い出です。そういうこともあったせいか、自分は先生にはなりたくない、と思っていました。しかし、社会の役に立ちたいという思いは持っていたので、弁護士になりたい、小学校時代の水内少年はそう思っていました。
小3まではみんなと外で遊んでいたのに、小4の時にファミコンが登場すると、遊び方が一気に変わりました。みんな外で遊ばなくなった。それが子ども心にとても寂しかったと水内さん。

 ハマるととことんやるのも特徴でした。ハンダゴテで電子工作するのも好きだったし、小4でアマチュア無線の免許も取りました。小・中・高と卓球部に所属し、部長も務めました。おじいさん、お父さんに仕込まれた釣りも得意でした。中学校の時は週末になると自転車で海へ行っていました。特に、紀州釣りでチヌ(黒鯛)を釣っていました。ピアノも小4から始めます。ベートーベンのピアノソナタ第14番「月光」、特に第3楽章を弾きたい、との思いで自分からやり始めました。水内先生の月光、いつか聴く機会があったらぜひ聴きたいです。

 高校の時は卓球部に加え、書道部の副部長も務めます。本当に多岐にわたって才能を発揮してきた水内さん。そんな水内さんにとっての大事な友だちが高校の同級生でした。その友だちは障がいのことに目が向いている人でした。それで大学ではその分野を学びたいと。それまで水内さんは先生になるのはやめようと思ってきましたが、やはりずっと特別支援に携わる両親を見てきたので、その同級生の想いは本当にすんなりと胸に入ってきたのでした。そしてその友だちと一緒に岡山大学教育学部養護教員養成課程を目指し、2人揃って合格。

 大学ではクルマにはまります。B級ライセンスを取り、エンジンを自ら分解して草レースにもいつも出場していました。と同時にバンド活動も始めます。前述のようにピアノをやっていた水内さんですから、キーボードを担当。レッド・ツェッペリン、ミスチル、レベッカ、そしてオリジナル曲と幅広く演奏していました。

 バイトもいろいろやりました。バイトでいちばんはまったのは「つまり抜きセンター」のバイトです。バキュームカーによるつまり抜きですから、あまりみんながやりたがらないような仕事でしたが、それ故、世の中の裏のこともいろいろ知ることができました。社長もとてもおもしろい人で、水内さんのことをとても可愛がってくれ、最後はリーダーも任されるくらいになっていました。ここで学んだことはとても大きかったと今も思います。

 もうひとつ大学1年生の頃からずっとはまっていたことがありました。それは保育園。水内さんは4年間、ずっと保育園に入り浸っていました。ボランティアと名のつく仰々しいものではなく、本当に好きで行っていたのです。4年間でいったいどれくらいオムツ替えをしただろう、というくらい楽しくてオムツ替えもやりました。その頃から、障がいのある子も一緒に受け入れてはいたけれど、インテグレーション(統合教育)・インクルージョン(包括教育)の方法論がないと強く感じていました。自分がその部分を担うにはどうしたらいいか、そのためにもっと学ぼうと思いました。それで大学院に進むことを決意します。博士課程の後、教務補佐員を経てやって来たのが富山大学人間発達科学部でした。

 水内さんが院で勉強している時に、痛ましい出来事がありました。岡山大学在学中にバンドを組んでいた時に、ひとつ下だった後輩がいました。彼女はバンドでボーカルを務める、とても明るい子でした。彼女は大学を卒業後、特別支援学校の先生になっていました。新任の彼女に対して、そのクラスの担当の先生は3人。彼女はその先生方の指導法の対立に挟まれて悩み、研究授業の日に自殺してしまったのです。なぜ、彼女が死ななければならなかったのか?水内さんの中に悲しさと共に怒りがこみ上げてきました。学校教育という場に反発を覚えました。なぜ彼女はそこまで追い詰められなければならなかったのだ。彼女を必要とする場面は教育以外にもあったはずなのに…

 だから、水内さんは自分のゼミを取る学生たちには言っています。ぼくは君たちに教員になってほしいと思っているわけじゃない。いろんな体験をし、いろんな生き方があることを知った上で、先生という選択をする、そういう先生になるならいいけど、先生にしかならない、そう思っている学生は自分のゼミには入ってほしくないのだと。
 ですから、水内先生のゼミに入ると実に多様な体験が待っています。企画立案するのも実施するのも学生自身、そうして学生のうちから社会との接点をたくさん持つことで、彼らには授業とは離れた多様性を大事にする心が育っていきます。かつて水内さん自身もつまり抜きのアルバイト等で多様な人を多様な生き方を知ることができました。学生たちにもたくさんの体験を積んでほしい。そして人の縦軸(発達)と横軸(障がいを含めた多様性)を両方見てほしい、それが大事だと考えているのです。

 ですから、水内ゼミでは特別支援教育についてのベクトルが、指導や介入というように支援者から対象者に向いているのではないのです。むしろ逆のベクトルを大事にしていると言っていいでしょう。つまり、こちらから何かをしてあげるのではなく、子どもたちや保護者自身の力をどうやって引き出すか、その参加の場づくりや、環境を整えることを大事にしています。そのために親子サークルや成人当事者のサークルなど、いろいろなサークルを作って当事者自らがアクションを起こせることをいろいろ学生たちと考えています。ですからゼミ生はとても忙しい。でも、みんな本当にイキイキとしています。
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水内ゼミはiPadを全員持っています♪

 水内さんのテーマは教育×アクセシビリティ。アクセシビリティとは、高齢者・障害者を含む誰もが、さまざまな製品や建物やサービスなどを支障なく利用できるかどうか、あるいはその度合いのこと。特にICT活用を中心に、生活のしやすさをどう促進させていくか、それを学生たちと喧々諤々しながら仕掛けを考える時間がたまらなく楽しいと水内さん。そんな話をしていると、なんでもハマるととことんという水内少年の顔がのぞきます。今はそんな風に好きなことを思い切りやっていますが、富山に来たばかりの頃は、いわゆる特別支援教育の流行に沿って、教育現場が期待しているソーシャルスキルトレーニングやペアレントトレーニングをしなければという観念に迫られ、行っていました。でも、それでは全然楽しくないのです。スキルトレーニングをスキルトレーニング然としてやることが全く性に合わない水内さん。そんなことをするぐらいなら当事者本人が行きたいと思うレストランに行く機会をサポートし、その中で経験を積む方がよほどQOLが上がる。それで何か問題が生じるのなら、自分がしっかり責任を取ればいい。今はそう思って、ゼミ生と一緒にどんどん新たな取り組みを始めている水内先生なのでした。水内さんは思っています。学生たちには水内ゼミだったことを誇りに思ってほしい、それだけの経験を積める場なのだと。

 そんな水内さんのkeywordは、まずファン。自分自身が楽しくないといけない。うん、納得です。
 そしてノーリミット。限界をもうけてしまわない。自分で自分ができないと考えることほど面白くないものはありません。
 もうひとつはノーレジャー・ノーライフ。なんでもハマってきた水内さんらしく、今ハマっているのは山登りです。単純なきっかけですが、飛行機の中で見た「岳」という映画の虜になった水内さんは、それ以降誰に教えられたわけでもなく独学で自らリュックやテントを背負い、山に入ります。テントで一人で見る星空のキレイなことと言ったら!その瞬間、この小さな小さな自分はまぎれもなく生きているのだ、この宇宙の中で!きっとそういう感慨に包まれていらっしゃることでしょう。

 水内さんの今の夢はプライベートでは自転車に乗って、四国霊場をお遍路さんをすること。
そして仕事では、本気の家族支援をしていきたいと思っています。お母さんが自己実現できるサポートをしたい、それでなくても今の母親は社会に追い詰められています。ベビーシッター殺人事件のようなことが起こればなおのこと。お母さん一人にしわ寄せが来る現状。それではお母さんも子どもも不幸です。
 でも、水内さんはいわゆるカウンセリングは好きではありません。カウンセリングをするくらいなら、その日から使える子どもに向き合うときの具体的なコツ、それはたとえば遊びや絵本、おもちゃなどですが、それをこっそり教えたい。お母さんが楽しければ子どもも絶対に楽しいのです。お母さんが義務感で何かをやっていれば、もちろんそれも子どもは敏感に察知します。発達障がいを抱えたお子さんはなおのこと敏感に反応するかもしれません。
 そんな水内先生のとっておきの、保護者が子どもに向き合う時のコツのひとつを特別にご紹介。まず、お母さんは子どもの名前をちゃんと呼んであげること。そして具体的にほめること。上手ねえ、だけではなく、何が、どんなふうに、そこを伝えてほめることが大事です。そして、決定的に大事な言葉。それは「お母さんも嬉しい。」っていう言葉。ついつい否定的な言葉を口にしているお母さん、ぜひ今日からこの水内流を実践してみてください。きっと、お子さんのとびきりの笑顔が見られると思います。

 そして、水内さんは近い将来、保育園もつくりたいと思っています。子どもたちの発達が個々に保障されながら育っていく保育園。きっとそこはお子さん自身もお母さんもお父さんも兄弟姉妹もみんな心から笑顔になれる場所になりますね。

 少年のようなはにかんだ笑顔でたくさんの夢を語ってくださった水内さん。どんな人もその人らしくキラキラしていけるそんなソーシャル・インクルージョンな社会を目指してこれからもめいっぱい夢を追いかけてくださいね。私も一緒にその夢追いかけます!

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