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今日の人113.喜田一弘さん [2014年03月03日(Mon)]
 今日の人は損保ジャパン高岡支社長、喜田一弘さんです。喜田さんは昨年、高岡に来られたばかり。前任地の浜松では「さくや姫プロジェクト」の一環として地域ダイバーシティ交流会を開催し、男女共同参画社会づくり活動に関する知事褒賞を受賞されるなど、企業の最先端でダイバーシティに取り組んで来られた方です。
2014-02-18 11.12.57.jpg
 さくや姫プロジェクトでの取り組みはこちらをどうぞ
http://sakuyahime.jp/?post_type=sengenjigyosho&p=4620

 喜田さんは岡山の倉敷、繊維の町「児島」で生まれ育ちました。国産ジーンズ発祥の地でジャパンデニムの中枢を担う町、そして実は学生服の9割はこの町で作られています。
 子どもの頃はソフトボールをやっていて3年でファースト、5,6年ではサードを守っていました。親は商売をやっていましたが、休みになると山菜採りやアサリ採りに連れて行ってくれたので、自然に触れるのは今も大好きです。

 繊維の町に育ったこともあるのでしょう。服飾デザイナーになりたいという夢を持っていました。実家も親戚もやはり服飾関係の仕事をやっていたこともあって、小学校から高校まで学生服を買ったことがありません。子ども服もジーンズも全部試作品を着ていたのでした。でも、服飾デザイナーになりたいだけあって、おしゃれにはとても敏感で、よく買い物にも出かけていました。当時流行りだったオーバーオールも着たりしていました。

 中学校に入ると1年生の時はバスケ部に入部しましたが、先輩の理不尽な態度でやめてしまいます。2年からはバレーボール部に入り、3年では岡山県代表のメンバーに選ばれました。小学校の時のソフトボールのメンバーが大半というメンバー構成。それだけ、ソフトボールの仲間は運動能力が高かったのです。きっと野球やサッカーをやっていればもっと活躍はできたと思うのですが、中学校はグラウンドが狭くて野球部もサッカー部もなかったのでした。
 この時のバレーボール部が強かったのは、管理されていなかったからだと喜田さんは思っています。他のチームはだいたいジャージから何から揃えるのが普通でしたが、喜田さんたちのチームはユニフォーム以外は何を着ても自由でした。自分たちが思うようにやる中で自分たちで考えを組み立てることができた、それがこのチームが強かった所以だと思っています。

 高校では最初理系を選択していました。医学部か薬学部に進もうと考えていたのですが、小さい時に交通事故を見たのがトラウマになっていて、血を見るのが怖く、解剖実習等があると聞いて、医学部薬学部は断念。次に考えたのは文転しての経済学部でした。心の中には子どもの頃に思っていたデザイナーの夢もまだ残っていました。

 こうして香川大の経済学部に入った喜田さん。勉強もしっかりやりましたが、友だちの下宿で麻雀もよくやりました。昔の学生は朝まで麻雀というのが当たり前のようにありました。
 また石州流の茶道部の部長も務めます。春と秋には茶会を催す本格的な茶道部でした。意外なことに男女比率は半々。そして、同じ部の1年年上の方が、奥さまとなられた方です。茶道部に入ったことで人生の伴侶を得たのですから、大きな選択だったわけですね。

 経済学部では金融のゼミをとっていたのですが、毎年そこから一人、安田火災に就職していました。受けてみるか?と聞かれて、初めて就職の面接に行った喜田さん。他の人はもうとっくに就職活動を始めていましたが、喜田さんにとってはこれが初体験だったのです。
 でも、就職試験くらい楽なものはなかったとおっしゃいます。面接も建前でなく本音をズバズバ話しました。それが面接官に好評で見事内定をもらいます。面接される方ではなく、する方になった今、どんな基準で採用を決めていますか?とお聞きしたところ、シンプルに「本当にこの会社に入りたい人をとる」とのお答えでした。やはり本気でこの仕事をしたいと思っているかどうかは面接すればわかるそうです。
 
 就職試験を受ける時も、まだデザイナーの夢を捨てたわけではなかったのですが、服飾関係の会社があまりに給料が安かったので、現実的にこれでは暮らしていけないと考え、就職先を保険会社に決めました。

 大学卒業後は東京で1年2ヶ月研修を受けました。きっちり9時から5時の定時の規則正しい生活で体重が49キロから65キロになりました。この時は都会でしか経験できないようなこともいろいろ体験できて、本当に毎日が楽しかった。

 その後は岡山の営業所で4年過ごしました。就職3年目には結婚。その後も転勤は続き、高知、神戸、長岡、姫路、鹿児島と過ごして、その次が先の知事褒章を受章された浜松でした。そうしてその後、高岡支社に支社長としてやってこられたのでした。

 喜田さんが楽しいと感じるのは新たなことを考えたり、新たなものを作り出したりする時です。97年に自由化されたとはいえ、まだまだ考えの固い保険業界ですが。周辺を見渡すと、変わっていることがたくさんあります。そしてまだまだ変わること、やれることはあるのです。それを部下にも伝えていきたい。旧態依然としたことをやっていると、お客さんに受け入れられないことを気付いて欲しいと。社内でダイバーシティに率先して取り組んでこられた方だけあって、考え方がとても柔軟でいらっしゃいます。喜田さんのような方が保険業界にイノベーションを起こしてくださる方なのでしょう。

 そんな喜田さんがホッとできる時間は、仕事が休みの時に富山のいろいろな場所をめぐること。まだまだ知らない場所がたくさんある。そうして、素敵な場所やものや人に出会える時間はなにものにもかえがたいものです。

 そしてこれから人作り、教育の分野に関わっていくことが喜田さんの夢です。会社の中じゃなくてもいい。今までやってきたことを教える場が欲しい。そうして今まで関わってくれた人に何らかの形でお返しができたらいいと考えています。
 
 もう一つ、今まで行ったいろいろな場所で味わってきたその土地ならではの“食”に関する希少品を集めたアンテナショップを開きたいという夢も持っています。自分がいいと思ったものを自分のお世話になった人たちにも味わってもらいたい。素敵な空間で素敵なものや素敵な人に囲まれて過ごすのは、最高に贅沢な時間ですね。

 社内で和製コーチング「わもん」の研修も取り入れられている喜田さん。笑って泣いて、笑顔のたえない空間がこれからも生まれていくことでしょう。
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