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今日の人109.北島洋一さん [2014年01月07日(Tue)]
 今日の人は北陸でドリプラと言えばこの方、2013年のドリンピックで金沢ドリプラを金賞に導いた北島洋一さんです。
仕事は何をしている人なのというと、こちら⇒http://www.kitajima-sr.jp/
2013-11-28 19.30.26.jpg

 北島さんは金沢生まれ、金沢育ち。3歳年上のお姉さんがいて兼業農家の両親の元、すくすくと育ちました。昔は子どもがとても多かったので、近所の子どもたちと神社の床下に潜り込んで遊んだり、外で鬼ごっこをしたりして遊んでいました。もちろん、お手伝いもします。田んぼの時期は稲架掛けを手伝ったり、いちご、スイカ、たけのこの収穫、犬の散歩も担当でした。
 そして、子どもの頃からとても賢い子でした。小学生の頃の夢は学者。資源回収に出してあった数学の本を拾って読みふけっているような子どもだったのです。学者の他になりなかったのは漫画家。よく四コマ漫画を描いていました。

勉強はできるけど、生徒会活動などには関わらず、中学から高校まではずっとバトミントン部。同学年に15クラス、600人もいるマンモス校で常に成績は上位でした。ラジオ世代の北島さん。深夜放送を聴きながら勉強するのが日課でした。オールナイトニッポン、パックインミュージック、いろいろなラジオに耳を傾けながら勉強する時間が好きでした。私も聴いていたなぁ。中島みゆきのオールナイトニッポン。

 でも、中学や高校の頃は特段夢はありませんでした。ただ、試験でいい点数を取るのが楽しくて、勉強はおもしろかった。特に中2の時に、大変難しいテストでみんな50点も取れないような中、唯一北島さんだけが99点を取った時に、いつも厳しい先生が北島さんのテストを貼り出して、「すごいな!」とホメてくれたのが勉強をがんばるきっかけになったのでした。塾に行って勉強をするというタイプではなく、ずっとラジオを友にして家で勉強していました。受験期になると帰ってからちょっとだけ仮眠を取り、夜9時から朝5時ごろまで集中して勉強していました。こうして勉強を頑張った北島さん。

 某有名国立大学では理学部数学科で学びました。卒業後は研究職には進まず、大阪の不動産会社に就職します。
 大阪で3年、住宅売買の部門で活躍し、その後金沢に戻り、建設会社に転職して、不動産部門で営業の仕事をしました。そこは支店開設2年目で不夜城のように仕事を行う会社でした。

 仕事に明け暮れていたある日、アルバイトの女子事務員が聞いてきました。
「彼女はいるの?」
「いないよ」
「じゃあ友達を紹介してあげる」
 そうやって紹介してくれた子にビビっときた北島さん。それが奥様です。

 結婚してからはより仕事に集中できるようになり、営業課長に抜擢されて、朝7時から夜12時まで働く毎日。部下は全員年上という中、全国の優秀課長にも選ばれました。激務の毎日でしたが、少し余裕が出来てきて、何か勉強したいと思い(根っから勉強好きでいらっしゃいます)ファイナンシャルプランナーの資格を取得しました。(宅建はもう取得済みでした。)そんな時に、縁があって生命保険会社に転職。そこは北島さんの旺盛な知識欲を満たしてくれる仕事で楽しかったのですが、 まわりの期待と自分の期待に反して、たいした成績もあがらないので、 自分に向いていないのかなーと思いつつ、 上司の勧めで社労士の勉強をしていたら2回目のチャレンジで合格してしまいました。

 世の中に役立てそうな資格を取った以上はいずれ独立しよう、そう思っていました。その時、たまたま10年来の友人が独立するにあたり、 オフィスの一部を使っていいから、と言われ、渡りに舟とばかりに、保険会社を退職して独立開業。それが2000年10月のことです。何ができるかわからないけど、なんとかなる!そういう思いでした。

 それまでに築いてきた人脈からのご紹介で顧問契約を少しずついただく中、県や金沢市からも就職支援のセミナー講師の声がかかるようになりました。
セミナー講師をやっていくうちに、キャリアアップの仕事のおもしろさに目覚めます。会社の人事制度づくりも始めました。

 こんな風にずっと順風満帆に見える北島さんの歩みですが、ご自分の中にはずっとモヤモヤ感がありました。自分には、これをやりたい、どうしてもやり遂げたい、という燃えるような気持で何かをしたことがなかったのです。実際、会社員時代から、「おまえはもっとできるだろう。本気でやってみろよ」と何度か言われました。

 それに、ずっと恩師、師匠と呼べる人がいなかった。上司や先生に恵まれ、素晴らしい人と巡り合いはしてきたけど、自分の中途半端さから、自ら縁を切ってきたのでした。
苦しい、つらいことがあったら、自分のできる範囲のことはやりましたが、上手な言い訳を見つけて、それを本気で乗り越えることなく、避け、逃げてきたと感じていました。
このままでいいのか、ずっとやりきった感がないままの人生を送っていていいのか…

 そんな時に初めて福島正伸さんに出会ったのです。2007年5月、たまたま上京していた時に、福島正伸さんの第一回超人気コンサルタント養成講座が開催されていたので受講しました。はじめは斜に構えて講義を聞いていました。でも、講義が進むうちにすっかり福島先生のお話に魅了されてしまいます。講義が終わる頃には完全にやられた、と思いました。

 その後の北島さんの姿勢はずっと一貫しています。
「僕はこの人が大好きだ。だからこの人を喜ばせたい。この人の笑顔が見たい」

 これが北島さんのパワーの源になっていると言ってもいいでしょう。2011年から金沢でずっとドリプラを開催しているのも、ドリームメンターとしてドリプラ世界大会や各地のドリプラに関わり続けるのも全てはそこが根源になっているのです。

 究極のコンサルタント養成講座を受けた年の2007年末に、初めてのドリームプラン・プレゼンテーションが開催されました。その舞台を見て、金沢でも絶対にドリプラをやろう!と決意しました。

 2008年にドリプラ世界大会でドリームメンターをしたのが、北島さんの支援者としてのターニングポイントになりました。その年、北島さんが支援していたプレゼンターの一人がプレゼンがギリギリまでできなかった。前日支援会で写真を撮り、夕方4時から5~6人で作り始めて、早朝4時になんとかプレゼンデータが仕上がります。
ですからそのプレゼンターが予選の舞台に立った時は、もうそれだけで泣けて泣けて仕方がなかった。でも、そのプレゼンターは、本選に進むことはできませんでした。彼は本選後の懇親会で、本選に行けなかったことが悔しいと言った。けれど、前日までプレゼンができなかったのに、自分はドリームメンターとして何もできなかったではないか。それで思ったのです。メンターは、支援者は、一緒に悔しがって泣いてちゃいけない。ただ、尽くすという姿勢に徹するだけだと。そうしなきゃいけないと。

 自分がやったことを「ふ~ん」と軽くあしらわれようが、感謝されなかろうが、とにかく自分ができることを探してやってみる。
「自分ができることなら、やってみようと思います」は面白く無い。
「自分ができないことをやってみたい!!」でなきゃ。

 もちろん、それは自分との戦いだし、苦しい。仮にメンターが支援に行かなくても「今日は都合が悪いから行けません」と言えばそれで済むけれど、やると決めたんならやれよ、という自分の声が聴こえるのです。こうして、北島さんは徹底的に「尽くす」という支援者であり続けているのです。

 そして、2011年6月に初めての北陸開催となるドリプラ金沢も開催しました。次の年からドリプラ金沢は毎年2回開催しています。そして北島さんはそのうち1回は必ず福島正伸先生をゲストとして招きます。
 ドリプラはやはりドリプラ生みの親の福島正伸さんがいてこそ、という当初の思い、それを忠実に守り続ける北島さんなのでした。それになんと言っても、福島先生のコメントはプレゼンターをとことんやる気にさせます。究極のメンター、それが福島正伸さんであり、その究極のメンターの姿を1年に1度金沢でたくさんの人に見てもらいたい、感じてもらいたい、そして福島先生ご自身が笑顔になってもらいたい、それが北島さんの想いなのでしょう。

 北島さんの夢は、これから変わっていく世界をみんなで一緒に見ること、みんなが夢を語る社会を、みんなと一緒に見たい。そのためにずっとやり続けるのが自分の使命だと力強くおっしゃいました。

 そんな北島さんの今の楽しみは京都旅行に行って、京大在学中のお嬢様に会うこと。お嬢様は三十三間堂の通し矢にも参加されるまさに文武両道の才媛。2014年の三十三間堂の通し矢で、袴姿の凛々しいお嬢様のお姿に目を細めていらっしゃる北島さんの様子が目に浮かびます。

 北島さんの愛称は“親分”。これからも北陸のドリプラチームの親分として、たくさんの夢と笑顔を紡ぎだしていってくださることでしょう。
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