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今日の人101.鄭暁彤さん [2013年07月25日(Thu)]
 今日の人はドリプラ富山2013プレゼンター、現在富山の日本語学校富山国際学院で留学生として日本語を勉強している鄭暁彤さんです。
写真 13-07-17 11 42 13.jpg

 鄭さんは中国西安で生まれ育ちました。西安と言えばシルクロードでもおなじみの中国の古都。かつては長安と呼ばれていました。
 鄭さんは中国のこの世代では当たり前と言っていいのですが、一人っ子です。
両親は共働きだったので、10歳までは祖父母の家で育ちました。これは中国では珍しいことではありません。
 
おじいさん、おばあさんはとても優しく、鄭さんは愛情をいっぱい受けて育ちました。
中国の小学校は給食ではなく、家に帰ってお昼ごはんを食べるのが一般的です。授業時間は午前8時から12時までと午後2時から6時まで。その間の2時間がお昼休みなのです。
鄭さんはいつもおばあさんの作った美味しいお昼ごはんを食べに帰っていました。おじいさんは朝早く体操に出かけていましたし、おばあさんは近所の人たちと麻雀をするのが大好きでした。中国では当たり前のように麻雀が出来る人が多いのです。おばあさんが麻雀をしている横でよく遊んでいたという鄭さん。
 
 両親と一緒には住んでいませんでしたが、出張の時によくいろんな場所に連れていってくれました。そうした中で、特に印象深かったのは自然がたくさんある田舎でした。
西安は都市なので、空気もきれいだとはいえません。ですから自然が豊かで空気も美味しい田舎に惹かれました。

鄭さんが10歳になった時、祖父母の元を離れ、両親の元で暮らし始めました。ちゃんとした教育を受けさせるにはその方がいいと両親が判断したからでした。
でもそれは、鄭さんにとってはそれまでの自由で楽しい生活との別れを意味していました。

 勉強、ダンス、そしてピアノ。息つく間もないほど時間に追われます。
友だちとちょっと遅くなろうものなら、
「あんな友だちとは遊ばないで」
成績が下ると
「なんでこんな悪い点しか取れないの?」
いろいろ言われました。
「なんでこんな悪いことをするの?」
そう言って椅子で殴られたこともありました。
鄭さんの腕にはその時の傷がまだ残っています。
「なんでこんなつらい思いをしなくちゃいけないかなぁ。こんなつらい思いをするなら死んだ方がいい」
そう思って部屋で一晩中泣いていたこともありました。

でも、学校は決して休みませんでした。
鄭さんは思います。学校の先生はいいなぁ。いつも堂々としていてえらくて。
私は学校の先生になろう。そしたら、もう殴られることもない。

そんな風な思いから学校の先生になろうと思い始めた鄭さんなのでした。

 ただ、両親とは仲が悪かったわけではありません。殴られたりした翌日には、必ず美味しいごちそうが食卓に並んでいました。それでなんとなく和解、というわけです。
 中国では家族の絆はとっても強いのです。

 こうして、両親からのさまざまなプレッシャーに耐えながら、鄭さんは大学に入学します。大学では日本語を専攻しました。
 元々日本語には興味がありました。日本アニメは中国の若者の間ではすっかり定着しているし、日本語には漢字が使われている。だから、他の言語より勉強しやすいはずだ。
 それに西安は昔から、日本人観光客が多い場所でもありました。そういうわけで、日本語を専攻したのです。

 大学生になってから、家庭教師をやり始めました。
鄭さんが担当した男子生徒は最初やる気がなく、心も閉ざしていました。
「どうせ僕はできないから」
そう言って投げやりな態度を見せる男の子。鄭さんは言いました。
「じゃあ、私と一緒にちょっとずつ覚えようよ」
鄭さんは粘り強く教えました。そうして、ちょっとずつですが努力が実を結び、彼はテストでついに満点をとったのです。
やったー。お互いに本当に嬉しかった。
彼は、勉強のことだけではなく、恋愛のことも鄭さんに相談したりしました。
自信のない子を笑顔にすることのできる先生という仕事。
最初は「先生はえらいから」という理由で先生になりたいと思ったけれど、先生は子どもたちを笑顔にできる仕事なんだ。そう思うとなんだか心がすっきりしました。

 大学2年の時には鄭さんにとって忘れられない出会いがありました。
それが日本から来られた佐々木先生との出会いでした。
 最初はこの先生が苦手でした。なにしろ、まじめだし、黒板に板書したものは全部ノートに書いて提出しなければなりませんでした。しかも佐々木先生は夏の暑い時であろうと冬の寒い時であろうといつだってきちっとスーツを着ていました。
 なんでこんなに固いんだろう。

ある時、佐々木先生が自分がここにいるわけを教えてくれました。
「私は山登りが好きで、いろいろな山に登ってきました。そんな中で出会ったのが西安の山々です。私は中国が好きです。そして特にこの西安が大好きです。私はここにずっといるつもりです。私が死んだら西安の山のふもとで眠りたいと思っています」

衝撃を受けました。なぜならそれまで日本人はみんな中国が嫌いだとばかり思っていたからです。それは幼い時からの教育や新聞報道のせいもあると思いますが、とにかく日本人は中国をそして中国人を嫌いだとばかり思っていた鄭さんは、佐々木先生の言葉を聞いてとても感動したのでした。

それからは、真剣にノートも取るようになりました。今ではそのノートは鄭さんの宝物になっています。
佐々木先生との出会いで、ますます先生になりたいという思いは強くなりました。そして、日本に留学したいという気持ちも強くなりました。

こうして、鄭さんは富山に留学しました。知り合いが富山にいたということもありますし、都会より田舎に行きたかった。なにしろ小さい頃から自然が豊かな所が大好きでしたから。

まず入ったのは富山国際学院という日本語学校です。ん?富山国際学院?そうです。このブログを書いてる宮田が日本語教師をしている学校です。

日本語学校の先生はみんなとっても優しくて、日本のお母さんやお姉さんみたいでした。困ったことがあったら親身に相談に乗ってくれました。
佐々木先生の厳しさに触れ、日本語学校の先生の優しさに触れ、ますます日本語教師へのあこがれは強くなりました。
 そして、今年の10月からは富山大学の大学院で勉強したいと思っています。

 鄭さんの夢は、日本語教師になること。そしていろいろな人の心の壁を崩すこと。
今、日本と中国の間にはいろいろな問題があります。
中国人のことを知らずに中国のことを悪くいう日本人。
日本人のことを知らずに日本のことを悪くいう中国人。
でも、それじゃあ、いつまでたっても心の壁は壊せません。
それは日本と中国の間のことだけではなく、他の国の間だってそうです。

そのために作りたいものがあります。
 それが、誰でも参加できる放課後多文化教室「大家」(ダーヂャ)。大家は中国語で「みんな」という意味。
 誰もが参加できていろんな国の人が集える場所。
 そして、日本語を教えてもらったり、逆に自分の国の言葉を教えられる場所。
 外国人が、そして日本人も抱えている「ことばの壁」そして「心の壁」を取ってくれる場所。
 そんな大家を作る夢を鄭さんがドリプラ富山2013でプレゼンします。

 鄭さんは今も佐々木先生と文通しています。
中国に骨をうずめる覚悟の佐々木先生が鄭さんの夢を聞いたら、なんと言ってくれるでしょうか?佐々木先生にお会いしたことがありませんが、私も同じ日本語教師として、教え子が日本で夢を描いてくれることはすごく幸せなこと。こういうの、教師冥利に尽きます。
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