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今日の人92.張本哲也さん [2013年05月30日(Thu)]
 今日の人は、有限会社新栄商事部長、ドリプラ千葉初代実行委員長、ドリプラ2012世界大会では感動大賞を受賞したぬまっちこと沼田聡さんのパートナーだった張本哲也さんです。
写真 12-09-15 16 35 38.jpg

 張本さん、愛称てっちゃんは1972年に千葉の市川で生まれました。3人兄弟の長男でしたが、小さい時は恥ずかしがり屋で、幼稚園の運動会でかけっこがあると、ゴールではなくお父さんやお母さんがいる観客席に走っていくような子でした。
 
家では1人遊びをするのが好きでした。当時大好きだったミニカーを50~60台並べて、ちょっとずつ進ませるのです。並べる順番もちゃんと決まっていたそうですから、そうとうこだわりがあったのですね。

 お父さんはダンプの運転手をしていました。しかし、オイルショックで仕事がなくなり、お母さんは家計を助けるために食べ物屋さんを始めます。そのお店に行って1人で遊んだり、家で1人で遊ぶ…それが幼稚園時代のてっちゃんの毎日でした。

 小学校に入ると鬼ごっこや缶蹴りなどをして外遊びもするようになりましたが、ガンダムなどのプラモデルを作るのも好きでした。集中してコツコツやることが大好きだったのです。図書室で本を借りて読むのも大好き。どちらかと言えば内向的だったてっちゃん。理科や算数が好きで、絵を描くのも得意。この頃美術クラブで部長を務めてしました。

 中学に入ると卓球部に入ったてっちゃんはまたもや部長に任命されます。しかし、技術的にはてっちゃんより上手だった子がそれに反発して、ランニングをしている時に勝手にコースを変えたりしました。そっちに付いていく部員もいて、部が割れたようになるのが嫌でした。内向的だった少年が外に意識を向けるには、相当な勇気がいったはずです。しかし、てっちゃんを部長に任命した先生はてっちゃんの中にある粘り強さや人間的な優しさをきっと見抜いていたのでしょう。

 中3の時、お母さんが子宮頸がんで入院しました。病室に行く度に弱々しくなっていくお母さん。本当に心配でした。
でも手術は成功し、元気になったお母さんを見て、てっちゃんは思いました。
「医者って尊い仕事だな。自分も大人になったら医者になって元気になる人を増やしたい」
そして、その中でも獣医か歯科医になりたい、そう思うようになりました。

 努力家のてっちゃんはコツコツ勉強し、成績は常にトップクラスでした。高校での模擬試験も、獣医学部や歯学部の合格ラインにいました。
「自分はこのまま大学に進んで獣医か歯科医になろう!」そう思って頑張っていた時に、待ったがかかります。

 てっちゃんのお父さんは、てっちゃんが小学校1年の時に、パチンコ屋を開いていました。ダンプカーの運転手だった時に、ダンプカーやショベルカーを置いておくために買っておいた土地の前にちょうど駅が建てられ、こんな場所を駐車場にしておくのはもったいないと思ったからでした。
 しかし、パチンコ屋をやっていくというのは、本当に大変な苦労があり、それこそお父さんは血を吐くような思いでなんとか商売を続けてきたのです。
 
 家族会議が開かれ、てっちゃんはお父さんに言われました。
「歯医者や獣医になるのはやめて、自分の店を継いでほしい」と…。

 親にそう言われてノーと言えるてっちゃんではありませんでした。
てっちゃんは医者になる夢を封印し、文転して経済学部を目指しました。
 しかし、それまでずっと理系の勉強ばかりしてきたので、一浪して、経済学部経営学科に入学したのです。

 大学ではゴルフ部に入り、キャディのバイトもしました。このバイトは楽しかった。
でも、授業もまじめに出て、単位はひとつも落とさなかったあたりは、さすがにコツコツ努力家タイプのてっちゃんです。
ただ、パチンコ屋を継ぐと決めていたので、就職活動は一切しませんでした。

 大学卒業後は実家とはちがうパチンコ屋さんで2年半修行をしました。パチンコをしたこともなかったてっちゃんは、お客さんに何か聞かれてもわからないことが多く、バカにされてしまうことがよくありました。上司も厳しく、怒られてしまうこともしょっちゅう。

 休憩時間や就業後はビルの屋上で寝転んで空を見上げながら考えました。
「お父さんはどうしてこんな仕事を始めたんだろう。僕は医者を目指していて、受かりそうだったのに、どうしてここにいるんだろう…」

 精神的につらい日々でした。このまま蒸発してどこかに行ってしまいたい、そう思ったことも一度や二度ではありませんでした。事実、大卒で就職した人はてっちゃん以外みんな辞めていきました。それだけキツイ仕事だったのです。
 てっちゃんを辞めさせなかったもの、それは「親に迷惑をかけられない」その一心に他なりません。

 こうしてつらい修行の日々を乗り越え、てっちゃんはお父さんに言われました。
「戻って来い」

 戻るとすぐに部長としての日々が始まりました。
お父さんの会社はお父さんが一代で築いた会社です。それ故、我流が多くて、会社としての仕組みができていませんでした。てっちゃんは仕組みを作っていこう、会社を大きくしようと努力して、少しずつ状況を変えていきました。

 それでも、いろいろな問題が起きます。信頼していた人に裏切られたりして、悩みました。何であんなことをするんだろう。常に相手にベクトルを向けていました。
仕事がちっとも楽しくなかった。数字を伸ばすことしか考えていなかった。

 そんな時に、大嶋啓介さんの「会社を変える日本一の朝礼セミナー」に参加する機会がありました。居酒屋てっぺんの朝礼に参加してお店に入って感じました。スタッフがみんなイキイキと輝いているのです。はっとしました。
 自分は数字を伸ばすことばかり考えていた。でもそれじゃあ、ダメだ。スタッフが輝ける職場にしないとダメなんだ。

 こうしてスタッフと一緒に朝礼に参加したりして、お店のスタッフが輝くにはどうしたらいいのかを考えるようになりました。

 でも、一緒に出会った人たちは変わっていくのに、自分はちっとも変わっていかないと焦ります。自分にはリーダーシップがないんだ。子どもの頃から人を引っ張っていくのが苦手だった。こんな自分はどうやって変わればいいんだろう。

 そんな時に、大嶋啓介さんの師匠、福島正伸さんの講座に出たのです。
そこで、いろいろなタイプのリーダーに出会いました。その中には全然引っ張らないリーダーもいました。でも、その人はひたすら愛を注ぎ続けてスタッフを輝かせていました。
ああ、無理に引っ張らなくてもいいんだな。そう思った時、肩の力がふっと抜けたように感じました。

 パチンコ屋の仕事は、なかなか“ありがとう”を言ってもらえない仕事です。どうしたらスタッフがこの仕事に誇りを持って働けるようになるだろう。てっちゃんはいろいろ考えて、スタッフと街の掃除をしようと考え、それを実践するようになりました。
そして、会社の感動ムービーを作成しました。このムービーを作ったことによって、スタッフとの絆がぐっと縮まりました。

 しかし、それに反比例して、お父さんとは意見が合わなくなっていきました。お父さんには自分が会社を作ったという自負があります。チームワークよりもリーダーシップだ、というタイプのお父さんとてっちゃんには隔たりが出来てしまい、てっちゃんはお父さんとあまり話さなくなってしまいました。

 そんな時、お父さんが不慮の事故で突然亡くなってしまったのです。

 屋上に上って泣いて泣いて泣いて…いくら泣いても涙が止まりませんでした。
『なんでお父さん、なんで…』

 てっちゃんはお葬式の時に、改めてお父さんの偉大さを知りました。お父さんはてっちゃんの知らない所で、いろんな人のお世話をしていました。本当にたくさんの人がお葬式に来てくださって、てっちゃんに言うのです。「お父さんにとてもお世話になったから、何かあったら言ってね」
 そんなたくさんの声を聞いて、てっちゃんは決意しました。
「お父さんの作った会社で仲間を日本一幸せにしたい、いや、幸せにしよう!」
お通夜には地域の人もたくさん来てくれた。だから地域にも恩返しをしていきたい。

 こうしててっちゃんは、お父さんが亡くなった翌年に、千葉で初開催のドリプラの実行委員長になったのです。自分が生まれ育った千葉を、お父さんが愛した地元を元気にしたい、そう心から思ったのです。

 始めは仲間もほとんどいませんでした。
てっちゃんは、「夢」という検索ワードでひっかかった会社に片っ端からメールを送りました。そして会ってくれる人には一人一人会いに行きました。
 こうして、てっちゃんの姿勢に心を打たれた人がたくさん集まり、最終的にドリプラ千葉のスタッフは100人にも膨れ上がったのです。
 そして震災を挟んで2回、ドリプラ千葉で実行委員長をやり遂げたてっちゃんなのでした。

 今、てっちゃんが楽しいことは、会社で働いているスタッフが幸せになってくれることです。
 そして会社を日本一幸せな会社にすることがてっちゃんの夢です。
 ぱちんこ情熱リーグで優勝することも夢の1つです。

 そんなてっちゃんですから、仕事時間は半端なく帰宅時間はいつも朝の4時頃。平均睡眠時間は3時間という激務の毎日です。それでも、疲れたと感じることはあまりなく、充実した毎日を送っています。仕事に関しては常に本気。本気というのは命をかけることだと思っています。たとえ命が尽きても会社をよくしたい!てっちゃんはそんな熱い心の持ち主です。

 でも、てっちゃんは8歳と4歳のお嬢さんのお父さんでもあります。普段あまり遊んであげられないので、行事に関しては100%参加している優しいパパなのです。

 誰に対しても優しく、大きな愛で包み込んでくれるてっちゃん。そんなてっちゃんにはたくさんの仲間がいます。てっちゃんが無償の愛で接してくれるので、てっちゃんのためなら何でもしたい、という人がたくさんいるのでしょうね。
 
 パチンコの仕事に誇りを持って、命がけで仕事をしているてっちゃん。心はどこまでも優しく、行動はどこまでも熱い、本当にステキな人なのでした。

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ぬまっち沼田 聡さんと一緒に
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