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今日の人89.鈴木秀一さん パート.1 [2013年04月09日(Tue)]
 今日の人は日本メンタリング・マネジメント協会代表鈴木秀一さんです。鈴木さんはアントレプレナーセンターで感動のムービー作りに取り組んできた感動プロデューサー!
 鈴木さんは秀さんと呼ばれているので、ここでも秀さんと書かせていただきます。
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 秀さんが生まれたのは、北海道の札幌です。小さい時からいつもやんちゃだった秀さん、お兄さんの後ろにくっついて外遊びをするのが大好きでした。歩いて30分近くかかったけど林の中や河原に行って遊んだり、近所中を舞台にして鬼ごっこしたりして遊んでいました。ガキ大将ではなかったのですが、ガキ大将の後ろから相手に攻撃するタイプだったそうです。それはスネ夫タイプってこと?

 そんなやんちゃな少年は、小学校4年生から少年野球を始めました。ポジションはピッチャー。大好きなチームはヤクルトでした。プロ野球チップスのカードを集めるのも好きだったなぁ、と秀さん。それ、私も集めてました!なかなか好きな選手が出てこなかったけど。
 
野球と同じく夢中になっていたのはゲイラカイトです。私たち世代にはとってもお馴染みの凧なのですが、みなさんご存じでしょうか。
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 小学校のグラウンドでゲイラカイトを空たかく上げて、落ちたゲイラカイトを自転車で探しに行くのが日課になっていました。
 
 読書では江戸川乱歩の怪人二十面相シリーズが好きでした。小学校の担任の先生が勧めてくれた本は読まずにもっぱら推理小説を読んでいた秀さん。それと、ベッドで横になってドカベンやジャンプを読んでいたので、目が悪くなってしまい、小学6年からはメガネ。今、秀さんはメガネがとってもお似合い。白縁のメガネが似合う人No.1ではないでしょうか。

 そんな秀さん、小学校6年生の時に肩を壊してしまいます。夏の大会で肩が痛くなったのですが、放っておけば治るだろうと思って、そのままにしておくと、1ヶ月後には痛くなくなりました。そして秋の大会でも投げたのです。すると、大会の最中に夏の大会以上の痛みが襲ってきました。かろうじて、その大会は投げ抜きましたが、その後50球以上投げることができなくなってしまいました。それで子ども心に思ったのです。
「ああ、僕はもう野球は無理なんだ」
 
 でも、それを誰にも言いませんでした。それに、今は少年野球でも肩のケアはとても大事にされていますが、まだそういう時代ではありませんでした。お父さんに「お前、中学に行っても野球やるんだろ?」と聞かれましたが、「もう、いいや。勉強するよ」と答えた秀さん。

実は肩を壊した以外にも、野球をやめた原因はありました。でも、秀さんはそのことにずっと蓋をして生きてきました。

そのことについて、秀さん自信が綴ってくれた文があります。
「僕の小学校の時の夢は、プロ野球選手になることでした。
もう30年以上前になりますが、当時は毎晩プロ野球がTVで放映されていて、
そりゃ憧れの選手をたくさん見ることが出来たので、野球にのめり込んでいく訳です。
王貞治、掛布雅之、バース、桑田真澄、清原和弘、野茂英雄。
今でもこの名前を思い出すだけで、当時の映像が浮かんできます。
僕は当時、スワローズファンでした。何故かと言うと、甲子園で大活躍した
荒木大輔ってピッチャーが入ったからです。
ずっと彼の投球フォームを真似て投げていました。
荒木選手の活躍を見ていたら、プロ野球選手になりたいだけでなく、
やっぱりピッチャーになりたいと思ったんです。

そして、少年野球チームに所属していた時の話です。
僕はチームのキャプテンを務めていました。しかもピッチャーで4番でした。
チームの練習は、毎朝4時半から。
夕方は学校が終わったら自宅の壁に向かって投げる練習をしていました。
終わるのは母親に「もうご飯だから、おうちに入りなさい!」と言われる時なので
夏場は7時をとっくに過ぎてました。
もうプロ野球選手になりたい!ピッチャーで活躍したい!
って強い思いが自分を動かしていたと思います。

ある時、チームの練習で紅白戦をすることになりました。
監督の指示で、僕ともう一人のピッチャーを中心に
チームを作ろうとなり、他のみんなは好きな方を選べと言ったのです。
僕は彼との勝負が出来る事をとても興奮していてやる気満々でした!
これで勝って、どっちが本当のエースなのか勝負だ!って。

でも、結果は試合をする前に決まっちゃっていました。
チームメンバーのほとんどは、彼の方を選んだのです。
紅白戦だけど、僕の方には他に仲間は誰もいない・・・。
当時12歳の自分には、その理由がよく分かりませんでした。
でも涙がずっとこぼれていたのをよく覚えています。
結果的に同情してくれたメンバーが、
「可哀そうだから、秀ちゃんの方に行くよ」と言ってくれて、
紅白戦のチームが出来ました。

試合の結果は、実は今はよく覚えていません。
あれからずっと今まで蓋をして生きてきたと思います。
思い出したのは、何と今年のお正月です。(笑) もうビックリです。
友人と小さい頃の話をしていた時に、30年以上を経て思い出したんです。」

 キャプテンでエースで4番だったのに、チームメイトが自分の方についてくれなかった…。そして肩まで壊してしまった。
 その時の小学6年の少年の気持ちはいかばかりだったでしょう。

 中学生になった秀さんはバスケ部に入りましたが、おもしろくなくて、一ヶ月で辞めてしまいます。しばらくうだうだしたりもしましたが、そのうち生徒会で活動したり、生徒会絡みで放送部に出入りしたりするようになりました。
 
 教室の中でグループワークをしている時、なぜかいつも秀さんが盛り上げないと物事が進んでいかないグループでした。たまに手を抜くと、物事が一向に動かず、これは俺にやれって言っているんだな、と思うようになりました。この頃から、場が動かない時は中心になって引っ張っていったのです。

 中学生は恋愛を学ぶ時期だ!と秀さんは言います。今もとてもカッコイイのでさぞかしモテたと思いますが、詳細は秀さんにお聞きくださいね。きっといろいろ教えてくださると思います。

秀さんにはとても優秀なお兄さんがいて、お兄さんと比べられるのが小さい時から嫌でした。お父さんから、「進学校に行けないなら手に職をつけろ。」と言われたこともあって、工業高校の電気科に進みます。電気科は真面目な子が多かったのですが、土木科、建築科はかなり荒れていて、狙われたのが電気科でした。なんと授業中に花火が飛んできたこともあったそうです。スクール☆ウォーズを地で行っていたのですね。

 秀さんは、そんな風に荒れることはなかったけれど、自分のエネルギーをどこにぶつけたらいいのか、いつも悶々としていました。電気科の勉強は好きでしたが、それでその悶々とした気持ちが晴れるわけではありませんでした。2年の後半から放送部に在籍し、放送部の部屋でバンドの練習をしたりしていました。バンド仲間はBOYを聞いて「俺らもこのバンドで食ってんだ」といきがっていました。秀さんもなんとなく、そのノリに合わせていました。

 秀さんはお兄さんがビートルズ好きだったこともあって、洋楽が好きでした。
ジャーニー、ポリス、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース…。
邦楽では小学生の頃からオフコースが大好きで、今も小田和正のファンです。

 放送部だった秀さんは卒業式に尾崎豊の「卒業」を流します。先生にはこっぴどく怒られましたが、生徒たちからは大拍手でした。
「あと何度 自分自身 卒業すれば
 本当の自分に たどり着けるだろう」
 秀さんは、どんな想いで卒業をかけたのでしょう。そして、今は、本当の自分にたどりつけましたか?

 こうして高校卒業後、レジスターのメーカーで働き始めました。
札幌で採用の予定でしたが、1年目は静岡県三島市で、2年目は東京での勤務でした。
ちょうど、スーパーやコンビニでレジを中心にしたシステムを事務所のコンピューターで管理し始めた時代でした。コンピューターを使って、実社会の商品が動き始めたのです。スーパーは土日関係なしだし、コンビニも急速に成長している時だったので、夜中の2時3時に呼び出されることもしょっちゅうでした。デート中に仕事が入って、スーパーの駐車場で3時間彼女を待たせることもざらでした。それを我慢できる人じゃないと、秀さん達の業界の人の彼女にはなれなかったのです。

 3年目、札幌に戻ってからは仕事以外にスキーにものめり込むようになりました。
秀さんは常にお兄さんへのコンプレックスがありました。
「お前はダメだ。兄貴はいいのに」
そう言われてきたので、何かお兄さんに勝てることをどうしても作りたかったのです。それで、スキーインストラクターの資格を持つおじさんに習って、スキーに没頭するようになっていったのでした。
スキー場でポケベルが鳴って、仕事場に駆けつけたこともありました。

 秀さんが23歳の時、パソコンでDOS/Vと言うのが日本に上陸します。互換性があるパソコン!今では当たり前ですが、当時は衝撃的でした。価格もものすごく高かったけれど、秀さんは思い切ってそれを買うことにしました。モニターも合わせると40万ほどかかりましたが、それでもどうしても欲しかった。
こうして、秀さんの生活は仕事とスキー以外にも、パソコンという柱が出来ました。これらが情熱3本柱でした。

 パソコンの世界はその後どんどん変わって行きました。パソコン通信、ホームページ、そしてインターネット、チャット…。アメリカの人と徹夜でチャットしてたこともあります。それが楽しくて楽しくて仕方がなかった。

 その頃から、自分の得ている情報やノウハウと、会社とのギャップを感じるようになります。このまま、この仕事を続けていていいのか…?
秀さんは上司に言います。
「東京に転勤させてください。さもなくば、会社を辞めさせてください。」
 秀さんはこうして東京に転勤することになりました。27歳の時でした。

 東京に出てきてすぐに人生を変える一冊に出会います。それは村上龍の「希望の国のエクソダス」でした。(2002年秋、80万人の中学生が学校を捨てた。経済の大停滞が続くなか彼らはネットビジネスを開始、情報戦略を駆使して日本の政界、経済界に衝撃を与える一大勢力に成長していく。その後、全世界の注目する中で、彼らのエクソダス(脱出)が始まった―。壮大な規模で現代日本の絶望と希望を描く傑作長編)
 
 秀さんはこの本がきっかけで初めて経済に興味を持つようになりました。そして通信制の大学で経済を学び始めます。
 
 経済の知識も身につけた秀さんは、いくつかの異動を経て、やがて経営企画の仕事に携わるようになりました。しかし、それまでやったことのない仕事で当然わからないことが多かったので、いろいろな本を読んで勉強しました。その中に大前研一さんの本が何冊かあったのです。それらを読んでe-Learningも始めた秀さん。その流れの中で通い始めたのがアタッカーズ・ビジネススクールでした。

 このアタッカーズ・ビジネススクールの講師のお一人が、福島正伸さんでした。秀さんはスクールのスタッフに勧められて福島さんのアントレプレナーシップ講座を受講します。第2期の受講生でしたが、このまま終わるのはつまらないのでOB会を始めました。

 そのOB会も単なる飲み会になるのは面白くなかったので、講座の最終プレゼンでもやった自分の夢を5分で語る会をずっと続けようよ、ということになりました。第1期生、第3期生、みんなを巻き込んで、福島さんも来てくれる時は来てくださいと声をかけて、その夢を語る会は毎回30〜50人の人が来てくれました。
2回、3回と回を重ねるごとに、みんなのってきてくれて、中学生がその夢を聞きに来てくれることもありました。こうして、2006年後半から2007年後半にかけて、その夢を語る会は続いたのです。

 2007年、夢を語る会の4回目をやる直前に、福島さんの秘書を通じて、「ドリームプラン・プレゼンテーションをやるので手伝ってくれませんか」と打診されます。
ドリプラ、もちろんこのブログの読者なら、もうすっかりお馴染みのこの言葉ですが、これが記念すべきドリプラ世界大会のスタートの年でした。ドリプラのイベントを12月にやりたいと思っている。そして発表者はそれなりにいるので、運営スタッフを募集したい!
そこで夢を語る会を運営していた秀さんたちに白羽の矢が立ったのです。

これが、秀さんがドリプラに関わるようになった最初でした。

 こうしてビジネスのセンスをどんどん磨いていった秀さんは、社内では社長のスピーチ原稿を書くまでになっていき、ポジションもどんどん上がって行きました。そして経営企画室は、会社の中でちょっと目立ちすぎたため、紆余曲折を得て解散という結果に・・・。

 そして経営企画室での仕事を持ちながら営業推進部に移ったのが、2008年のことでした。経営企画室での仕事を持ちながらの営業推進部の仕事は当然忙しく、これはもっと仕事に時間を取らなきゃダメだと思いました。そして福島さんに言ったのです。
「ドリプラに関わるのは辞めたいのですが…」


パート.2に続きます。
 
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