今日の人87.森田由樹子さん [2013年03月22日(Fri)]
今日の人は、株式会社エコロの森 代表取締役の森田由樹子さんです。
エコロの森はエコツーリズムを主催している会社で、今、富山でエコツーリズムと言えば真っ先に名前が上がるのが森田さんです。 森田さんは北海道札幌生まれで大学時代まではずっと北海道で育ちました。 小さい頃はおてんばで友だちと公園や庭でよく遊んでいたそうです。でも、リカちゃん人形で遊ぶのも好きでした。1961年生まれの森田さん、その頃の女の子でリカちゃん人形を持っていない子はいないと言っていいほどリカちゃん人形はポピュラーでした。 本好きで、図書館に通うのも好きでした。北海道の子らしく、スキーやスケートも当然やっていました。ずっと札幌で合唱団にも入っていたのですが、小6と中1の時に流氷の町、網走に転校します。そこでスピードスケートを体験したりもしました。 ただ基本はインドア派で音楽と英語が好きでした。いずれ英語を使った仕事がしたい、通訳になって海外に行って仕事がしたい、そんな風に考えていました。 子どもの時からおしゃべりが大好きで、友だちがたくさんいました。今も森田さんの周りには素適な人がたくさん集まってきます。 北海道大学では言語学を専攻します。ESSに入り英語の教職課程もとり、その頃は英語教員になろうと考えていました。 しかし、大学4年の時に就職雑誌で女性が新聞社で働いている記事を読み「新聞記者もいいな」と思ったところ、就職相談室に新聞社の願書が積んであってすぐに応募したのです。実は森田さんのうちはご両親とも放送局勤務でマスコミ一家でした。ですから、マスコミ業界に進むことには抵抗はありませんでした。 密かに英語を勉強している人にとっての花形でもあるスチュワーデスの試験も受けようと応募していた森田さん。でも、新聞社の試験と重なってしまい、森田さんは新聞社の試験を受ける方を選びました。その時、航空会社の試験を受けていたら、また全く違った人生になっていたかもしれませんね。 こうして森田さんは北海道の筆記試験を受けた100名のうちからただ1人だけ2次試験に残ります。面接試験もクリアして、本当に高い倍率をくぐりぬけて読売新聞社に合格。 新入社員50名のうち女性社員は5名でした。森田さんが新聞社に入った84年は新聞社が女性記者を採用しだしてまだ2,3年の頃でした。男女雇用機会均等法もまだない時代です。 最初の2週間は新入社員研修でした。その間地方から出てきた新入社員は鎌倉にある社員寮に2週間共同で住むのですが、これが夜は毎晩宴会で、みんなすっかり仲良くなりました。実はその同期の中に後に森田さんの旦那様になる方がいました。 二人は意気投合し、互いに支局勤務になった後、毎晩電話するようになりました。遠距離恋愛が5年続き、初デートの地は山形でした。 さて、その話はしばらく置いておいて仕事の話に戻ります。 研修が終わって、森田さんが最初に配属になったのは秋田支局でした。でも、支局長に「女はいらないんだよ」といきなり言われる始末。実は秋田支局に女性記者として入ったのは森田さんが初めてでした。当時の新聞社は思い切り体育会系の職場。怖い人もたくさんいました。まだこんなにも女性は働きにくいのか、愕然としました。しかも仕事は昼夜関係なく呼び出されてとてもきつい。そのきつさでやめてしまう人もいましたが、森田さんはこの仕事、おもしろい、と思いながら働いていました。 ただせっかく新聞社に入ったのだから、好きな英語が生かせる特派員の仕事ができたらいいなと考えていました。でも、当時は女性の特派員なんてとんでもない、という時代でした。そんな時、経済部から支局に来た先輩から経済部なら特派員のルートがあるという話を聞き、経済部への希望を出しました。時はバブル前、家庭でも経済について勉強しようという時代でしたので、家庭向けにわかりやすく経済のことを書いた新聞が創刊され、その創刊スタッフに選ばれます。 プライベートも充実していました。前述の同期の彼と5年間の遠距離恋愛を経て結婚。しかし、その時森田さんは東京で旦那様は宇都宮。最初の頃は休みの日になるとじゃがいもを持って宇都宮へ行き、コロッケを作ったりしていました。しかし、なんといっても激務のお二人。やがて旦那さんも東京勤務になりますが、それぞれに仕事が忙しく基本は外食で、1週間に1度「やぁ、元気?」と会うような生活。それだけ新聞社というところは激務なのです。 けれど30を過ぎて子育てもしたいな、と思うようになっていました。もちろん仕事は充実していました。ちょうどその頃、通産省を担当したいと考えていました。経済部には女性記者が少なかったので、森田さんはそこに風穴を開けたかったのです。 そんな時、妊娠したことがわかりました。まさにその時に部長から、通産省担当に異動と告げられたのです。もちろん、そんな激務は無理だとわかっていました。残念だけど、経済部での仕事はあきらめよう。 森田さんは育休制度をとって子育てし、育休後は短時間勤務で子どもを保育園に送迎しながら首都圏に出している新聞に週1の記事を書いていました。その時、他の部署でも子育てしながら働いている女性記者がどんどん出てきたので、社内に子育てのメーリングリストを作って情報交換をしたりもしました。 ワークライフバランスというのはここ最近はよく使われる言葉ですが、森田さんは子育てをしながら、家庭と仕事のバランスを考える機会を得ました。特にバリバリ働いていると、この仕事は私がしないと成り立たないんだ思いがちですが、それではよくないと考えています。職場で支えあう体制がとても大切だと。 実は森田さんの息子さんは小1の時に不登校になりました。アトピーもある子だったのですが、そのお医者さんに「このお子さんはビタミン愛が必要です」と診断書を書いてもらい、森田さんは息子さんと一緒にいようと考えて介護休暇をとります。半年べったり一緒にいたことで、息子さんは落ち着き、2年生からは元気に学校に行けるようになりました。 会社に復帰した後に自分の居場所がなくなっているということはなく、自分がいなくても会社が回らないということはないし、帰ってきてもちゃんと自分の仕事がある。会社というものはそうなのだ、と思ったのです。でも、子育てにおいては自分の変わりをできる人はいない。ですから、子どもにかける時間というのはとても大事なのです。 その点でもひとつの仕事を2,3人でできるようにするワークシェアリングは必要です。 森田さんの考え方は実に理にかなっていると思います。フルタイムで働くことを想定しているワークライフバランスより短時間労働でも働けるようにするワークライフバランスを考えた方が、女性や高齢者にとってはずっといい。世界的に言えば、それが主流になってきているのではないでしょうか。 森田さんは女性読者向けのツアーを組み、それを記事として取り上げるということもやっていました。単なる観光ツアーではなく、体験型のツアーです。例えば、牧場に行って牛乳を搾って、搾りたての牛乳でチーズを作り、ワインセミナーを開いて、チーズとワインを合わせて料理を作って食べる、というようなツアーです。こちらから行ったお客さんと地元の方が一緒に交流できる、このツアーの形は森田さんがエコツーリズムの会社を起業するときの原型になりました。そして観光と地域づくりは表裏一体だとこの時に気づいたのです。 やがてご主人が富山に転勤になり、最初は単身赴任で富山に行っていたのですが、「ここはいいところだから、ここに家を建てて住まないかい?」と持ちかけます。ちょうど子どもたちが中学に入るタイミングでした。45歳、このまま会社に残って女性管理職として働くことにも魅力はありました。当時まだ珍しかった女性管理職として後進のためにもがんばりたい。でも、たくさんの起業家の話を取材の中で聞いていていつか起業するのも悪くないという思いもありました。かなり迷いましたが、森田さんは富山に来る道を選びました。 富山に来てちょうど募集していた起業塾に入った森田さん。環境保全と地域振興を両立させるエコツアーをやろう、そう思いました。富山ではまだエコツアーをやっている会社はなかったし、お客さんとも触れ合えて地域づくりでも主体者としてかかわれるエコツアーにすごく魅力を感じたのです。 旅行の経験は新聞社の時にプランニングをしたことだけでしたが、ツーリズムの考えを教えてくれた友人に相談したところ、10年たったら絶対にスタンダードになるし、その地域の旅行、地域のツアーを出すことはとても大切だからぜひやりなさいと薦めてくれて決意が固まりました。 ちょうど旅行業法も変わり、小さい会社でも募集型の旅行ができるようになっていたことも後押ししてくれました。 2006年に富山に来て、2008年に起業。 今は本当に多くの富山の人とつながって、富山生まれの人以上に富山の魅力を発信し続けていらっしゃいます。 スノーシューを履いて雪山で遊ぶツアー、富山の自然を満喫できる森林セラピー、風の盆ではなく静かな時に八尾の町を歩くエコウォーク、地元の人と一緒に作るサバ寿司つくりetc…きっと森田さんのツアーに行けば、今まで以上に富山が大好きになること請け合いです。 詳しい情報を知りたい方は、ぜひエコロの森のホームページまでどうぞ。 エコロの森⇒http://www.ecolonomori.com 富山に森田さんが来てくださったことは、富山にとって大きな財産になりました。 今は地方こそいろいろな人が活躍できる時代、森田さんはそう考えています。地方にいながら世界をまたにかけて仕事ができる時代が今です。そして森田さん自身もそうなろうと思っています。地域がツーリズムを作り、地域にとっても会社にとっても利益になって回っていく、そんなエコツーリズムの収益モデルも確立したいと森田さん。 こんな素適な女性の先輩がいてくださるのですから、富山の若い世代にとっては頼もしい限りです。もちろん、先輩の歩いてこられた道の通りに歩くのではなく、自分でも新しい道を見つけていかねば、そしてみんなで「Think Globally, Act Locally」な富山にしていこう! 改めてそう思った今回のインタビューでした。 |