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今日の人81.岩堀美雪さん  [2012年12月05日(Wed)]
 今日の人は、ドリプラ2012世界大会プレゼンターで、福井県鯖江市 立待小学校教師岩堀美雪さんです。
写真 12-10-14 10 56 40.jpg
 
 美雪さんは兼業農家の長女として生まれました。祖父がとにかく田んぼ第一の人で、母が逆子になっていた美雪さんを帝王切開で産むことを許してくれませんでした。手術をすると農作業に戻るのが遅れる。子どもはまた生めばいい、そういう考えの人だったのです。逆子で生まれた美雪さんは仮死状態で生まれました。産声を上げない娘に母は必死で頼みます。「この子を助けてください!」
もうダメかと思われたその時、大きな産声が響きました。

 こうしてこの世に生を受けた美雪さん。とにかく田んぼが大事だという家だったので、美雪さんも幼稚園の時から田んぼの手伝いをしていました。みんなが遊んでいるのに、自分には専用の田んぼ靴があるのが恨めしかった。

 そんな祖父だったので、テスト期間などお構いなしでした。肥料を運び過ぎて足から腰が冷えきって左足がずっとしびれていても、農作業やめるわけにはいかなかったのです。それでも母の姿を見ていると文句はとても言えなかった。美雪さんのお母さんは看護師をしながら田んぼと家の仕事もしていて、ずっと働き通しの人でした。お母さんが休んでいるのを美雪さんは見たことがありません。そしてそんなに働き詰めでもお母さんはお給料を全部おじいさんに渡していて、ほんのわずかの生活費しかもらっていませんでした。

 お父さんは夏場は土建業の現場で働き、冬は失業保険をもらっていましたが、お母さんが爪に火を点す用にして貯めたわずかな貯金を通帳ごと全部持って行ってしまうような人でした。それでもお母さんは決して愚痴をこぼすことなくいつも明るい笑顔で接してくれました。そんなお母さんの涙を美雪さんはたった一度だけ見たことがあります。突然お母さんの部屋に入った時に、パッと涙をふいてニコッと笑ってくれた母。なけなしの貯金を持っていかれてしまい、美雪さんの中学校の制服を買うことができなかったのです。自分が貧乏をするのはどれだけでも我慢できる。でも娘に惨めな思いをさせるのは忍びない。

 結局母方の実家の祖母が見るに見かねて制服を買ってくれて、美雪さんは中学校に進みます。その頃、アタックNo.1等のバレーのアニメがすごく流行っていて、なんと女子70人のうちの30人はバレー部に入部。美雪さんもその中の一人でした。1年の夏に3年生が引退すると、美雪さんは1年生の中でたった1人だけレギュラーに選ばれます。友だちから、何であんただけ?と言われてそれがとてもつらかった。それでも厳しい特訓に耐え、3年生では名実ともにエースアタッカーになりました。
 
 そこまで鍛えられたので、高校もバレー部に入ったのかと思いきや、その頃流行っていたエースをねらえに触発されて、テニス部に入ります。そして、高校1年の夏休みの宿題で「二十四の瞳」の感想文を書いた時に、私も大石先生のような先生になりたい!そう強く思いました。でも、日中はどうしても田んぼ仕事に時間を取られてしまいます。美雪さんは夜遅くまで勉強を続け、福井大学教育学部に合格。国立大学なので、元々授業料は安いのですが、それでもやはり親に金銭的負担をかけたくない!そう思って1回目の授業料だけ払ってもらって、残りは授業料免除制度を利用したり、奨学金制度を利用して一切負担をかけませんでした。もちろん、生活費もかかりますから、ありとあらゆるバイトもやりました。ふとん運び、世論調査、車屋さんでの旗振りガール、店頭販売、変わったところでは県警本部でのネクタイ売りなんていうのもありました。

 その頃美雪さんは自分のことが嫌いでした。背が高いのも嫌い。大きな指も嫌い。そんな美雪さんに転機が訪れたのは大学2年。美雪さんに「付き合ってください!」という人が現れたのです。こんな私を好きになってくれる人がいるなんて!美雪さんは彼を離してなるものかと思いました。ですから100%自分を殺しておどおどしていました。そういう態度で接していたのですから、当然といえば当然なのですが、彼に振られてしまいます。
 
 心に大きな大きな傷ができました。私が悪いんだ。悲しすぎてもう私なんか生きている価値がないとまで思いました。美雪さんは本当に一途な性格なのです。福井の自殺の名所“東尋坊”まで車を走らせましたが、両親の顔が思い浮かび海に身を投げることはできませんでした。何日も何日も泣いて、泣きつかれてヘトヘトになった時にふと、自分の手の平を見ました。すると、手の平の中に自分がいました。小さくて今にも消えそうなありのままの私。ちゃんとこの子の側にいてあげよう。手が大きくても足が大きくても、それは愛しい私。そう思った時から、ちょっとずつちょっとずつ自分のことが好きになっていきました。するとどうでしょう。就職前は165cmだった身長がなんと大人になってから伸び始め、とうとう169cm、足は24.5から25.5になったのです。それまでいかに自分を殺していたか、ということでしょう。
 
 そして迎えた教員採用試験。1年目はダメでした。でも仲良しの友だちと一緒に勉強して、2年目に見事合格。先生になれたことが嬉しくて嬉しくて美雪さんはお母さんに言います。
「こんな大好きなことをしていてお給料をもらってもいいのかな」

 思い込んだら一途な美雪さん。教育にも情熱を注ぎ込みます。水泳の授業で4年生は25m、5年生は50m、6年生は100m目標というのがあるのですが、美雪先生のクラスは全員それをクリア。というのも全員泳げるようになるまでひたすら練習をしたからです。逆上がりも全員できるようになるまでやりましたし、県名や百人一首を覚えることもやりました。
県の陸上大会の持久走でも優勝が4,5回。全くコーチ歴などない、美雪さんでしたが、圧倒的な指導力から“炎の岩堀”と呼ばれていました。

 岩堀先生の信念は“子どもには無限の可能性がある。どの子にも必ずいいところがある”ということ。

 当時美雪さんのクラスにいたAくんは勉強は苦手でしたが、友だちが給食をこぼしたりすると、嫌がる顔ひとつ見せず、一緒にふいてあげたりと、とにかく友だち思いの子どもでした。美雪さんは放課後いつもAくんと一緒に勉強してあげました。美雪さんは1,2,3,4,年と続けてAくんを受け持っていて放課後教室はいつも続いていました。
 
 しかし、Aくんたちが4年生の10月の美雪さんは2人目の子を切迫流産しかかります。前置胎盤で大出血をして、もうダメかと思われましたが、まだ心音が聴こえました。ですから、そこから美雪さんはとにかく安静に寝ているのが仕事になりました。点滴しかうけつけず、その栄養もお腹の子に取られるので、髪は抜け、ガリガリに痩せました。ベッドの上で2ヶ月間考えつづけました。私には何が足りなかったのだろう。そうして思ったのです。私には感謝が足りなかった。普通に動けることがどれだけありがたいことだったか。
 
 そして、なんとか無事に出産し、また学校に戻った時はAくんたちは6年生になっていました。教室に行くとみんな元気がありません。彼らは言いました。「先生、僕らは先生と一緒に勉強していた時のぼくらじゃないんです。輝いていた僕らじゃない。」
  Aくんも5年生の時は一回も放課後個別指導をしてもらっていなかった。そして、あんなに優しかった彼が、家庭内暴力までふるったというのです。お母さんはボロボロ泣きました。Aくんは僕は何をやってもダメなんや!と自己否定の塊になっていました。「何いってんの!そんなことがあるはずない!」美雪さんはまた毎日放課後教室をやるようになりました。そしてクラスの子達にも、「先生ね、このクラスは世界一のクラスを目指すから!みんなできるよ!」そうしてクラスの目標に立てたことはことごとくやり遂げていったのです。
 七夕集会のあった時のことでした。教頭先生が美雪さんに言います。「岩堀先生、短冊を見たの?短冊にはね、中学校に行っても岩堀先生に担任をしてほしい!と書いてあったんだよ」子どもたちは中学校に行くと岩堀先生に受け持ってもらえないのはわかっていました。それでもそう書かずにはいられなかった。それほどまでに岩堀先生は大好きな先生だったのです。こんな素適な先生に受け持ってもらえた子どもたちはどんなにか幸せだろうなぁと私も思います。
 
 そして卒業式の日、クラスの子どもたちから素適な素適なプレゼントが手渡されました。それは画用紙で作られた「世界一証書」でした。
「岩堀先生、あなたは世界一のクラスを立派に作り上げました。よってここに表彰します」
みんな涙がとまりませんでした。子どもたちも美雪さんも…。
 そして世界一証書は、美雪さんにとって何より大切な宝物になりました。

 Aくんは中学生になっても遊びに来てくれましたが、やがて美雪さんはちがう小学校に赴任します。Aくんも中卒後働き始めたという噂は聞きましたが、その後どうしているかはわからずにいました。
 
 ある日、学校に青年団の代表が挨拶にきました。「◯◯青年団です。体育館使わせてください!」とてもハキハキした元気な声でした。ふっと顔を上げると、懐かしい顔がそこにはありました。Aくんでした。Aくんは青年団の団長もつとめていました。そして、会社でもみんなに支えてもらっていることもわかりました。Aくんと一緒に外に出た時、うすくらい街灯の下で、Aくんの車がピカピカに光っていました。ああ、これでもうこの子は大丈夫だな。そう思うと、泣けて泣けて仕方ありませんでした。

 そしていよいよ美雪さんがポートフォリオに出会う日がやってきます。2000年、小学校の授業に「総合」が導入されます。総合でポートフォリオができないかと思って読んでいた一冊の本の中の一文に目を奪われた美雪さん。そこにはこう書いてありました。「ポートフォリオは世界にたった一人しかいない自分を大切にすることにつながる」と。「これだ!」身体の中を稲妻が入ったような感覚でした。

 こうして独自にやり方を考えながら「自分大好き宝物ファイル」のポートフォリオの活動を12年続けています。その活動の中で、本当に子どもたちはキラキラ輝き出すようになりました。そして子どもだけでなく、家族にも変化をもたらしました。
 
「あんたには良い所がひとつもないね」と言っていたお母さんが「宝物ファイル」でお友達からわが子の良い所がいっぱい書いてあるのを読んで、自分はこの子の何を見ていたんだろうとはっとします。そして、家族会議を開いてみんなでその子の良い所を書いていきました。そして一番最後に「最後に大輝がお母さんの子どもであったことがいちばんのいいところです。」そう綴ってありました。

 仕事がうまくいかなくなって会社をたたもうかと思っていたお父さんが、娘からの手紙でたったひと言「お父さんのいいところはいつも仕事をがんばっている所」と書いてあるのを見て号泣し、その後見事に会社を立て直したこともありました。

 数えきれないほどのドラマを産んできた宝物ファイル。そして、このノウハウは絶対に広めていかなければならないと感じた美雪さんはポートフォリオについての本を自費出版することに決めました。そして「心がぐん!と育つパーソナルポートフォリオ」という本を出版(現在この本はプレミアがついている位の人気商品です)しかし、案の定本はなかなか売れませんでした。

 2004年7月、福井を未曾有の豪雨が襲い、多くの被害が出ました。美雪さんの小学校も泥で覆われました。同じ時、県立病院の緩和ケア病棟に入院していた親友が息を引き取りました。大学も一緒、教員採用試験の勉強も一緒にした親友でした。なくなる一週間前にお見舞いに言った美雪さんをどうしても送っていくと彼女が言ったとき、満面の笑顔で「美雪バイバーイ」と言ってくれました。それが今生の別れになりました。
 
 …こんなにもいっぺんに悲しいことが起こるのか…泥除けの作業をしながら美雪さんは考えていました。今まで受け持ってきた子どもたちの顔が次から次へと浮かんできました。
「あの子は先に天に召された。でも、私はまだ残されている。私は一生かけてでもやり抜こう!」そう決意しました。
 
 そして、埼玉のとある図書館においてあった美雪さんの本がNHKのディレクターの目にとまり、美雪さんの活動はNHK北陸スペシャルという30分番組で放送されたのです。しかも2005年、2006年の2年に渡って。

 こうして美雪さんの活動は徐々に広まり、今は土日はほとんど講演会や研修会の講師を頼まれて各地に出かけています。

 美雪さんはなんと作詞も手がけていて、自らが歌う歌のCDも出しています。本当はミネハハさん(CMソングの女王で、グリコやクロネコヤマトの宅急便♪は全部ミネハハさんの声です)という有名な歌手にその歌を歌ってもらっていたのですが、美雪さんの歌声を聞いたある会社の所長さんが「あなたが歌いなさい」と言って下さったのでした。そしてミネハハさんもお呼びしたコンサートでは、普段なかなか満席にならない福井県立音楽堂を満席にするという奇跡も起こしました。

 自分が大好きになって自己肯定感が高まれば、世の中は絶対に平和になる!美雪さんはその強い信念で今日も突き進んでいます。
 そして、さらに学ぼうと50歳にして大学院を受験し、今2年生で現役の大学院生です。また、今年1月には感銘を受けた心理学書の著者に会いにフランスまで飛んで意見交換をしてきた美雪さん。まさしく行動と信念のかっこいい女性なのです。
 同じ北陸人として、同じ女性として、これからも美雪さんのことをずっと応援しています!

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