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今日の人79.志水哲也さん [2012年12月02日(Sun)]
 今日の人はドリプラ2012世界大会プレゼンター、株式会社タービン・インタラクティブ代表取締役の志水哲也さんです。
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 とってもクールでかっこいい志水さんがどうして熱いドリプラのプレゼンターになろうかと思ったのでしょう。

 志水さんは名古屋生まれの名古屋育ち。親の期待通りに育っていった優等生でした。昔から優しくてカッコ良かったので、女の子にモテモテ。
 中学の時は当時まだ大変珍しかったコンピュータを既に持っていましたし、高校に入るとコンピュータとシンセサイザーをつないで自ら曲を作っていました。人のやっていないことをやるのが大好きだったのです。しかし、コンピュータで曲を書いているということが当時はなかなか理解してもらえませんでした。それほど走りの頃でした。
 
 高校の学園祭の時には映画を作って発表したのですが、監督・原作・脚本・演出・メイクそして音楽を一手に引き受けるマルチな才能を発揮。ものを作ることの楽しさを心から実感したのはこの時だったかもしれません。そして志水さんの作った作品は学園祭で見事大賞を受賞。こういう経験からクリエイティブなことをやりたい、と思うようになりました。
 
 ただ、高校を卒業したらほぼ100%の生徒が大学に進学する進学校にあって、志水さんの中にはこのまま何も考えずに大学へ進んでいいのか?という疑問が抑えきれずに湧いてきたのです。そして高校3年生の進路指導の時に担当の先生に言います。「このまますんなり大学に行くのはやめようと思います。僕はしばらく自分探しをしたいんです。」すると先生は眉一つ動かさずに「それはいいな」と言ってくれたのです。先生がわかってくれたので、次は親の説得に当たりました。なにしろ小さい時から親の思う通りの道を歩いてきた息子です。その息子が大学に行かないなんて言ったら…。しかし、そこで志水さんは共感と感動の説得をします。「僕はこれまで何でも器用にやれて、大した苦悩もないまま思春期を迎え時を過ごしてきました。それはお父さん、お母さんのおかげです。ですが、このままやはり何の苦労もないままぬくぬくと大人になるのは僕にとってよくないことだと思っています。ですから、新聞配達をして苦労をしたいのです」こうして、新聞配達のバイトをし始めた志水さん。でも、それ以外はほとんど引きこもりのような生活でした。家庭教師のバイトをすると、評判を呼んで子どもたちが集まってきましたが、それでも心は晴れません。自分はいったい何をしたいのかわからない。何でもできるような気がするけれど、何も出来ない。こうして悶々とした思いを抱いたまま、1年たって仕方なく大学に行きました。  

 みんなが晴れやかな顔をしている早稲田大学の入学式でひとり最悪に落ち込んだ顔でそこにいた志水さん。普通、入学式といえばサークルの勧誘で声をかけられまくるのですが、誰にも声をかけられなかったというから、いかに暗い顔をしていたかということでしょう。
 
 けれど、大学生活の中で志水さんは次第に元来持つ輝きを取り戻します。そしてそれは、悩みを経た上での輝きであるゆえ、前よりより強くなりました。
 こうして音楽サークルでプロモーションビデオを作ったり、演劇サークルで音響係をしたり、映画研究会で活躍するようになります。早稲田は演劇関係でもたくさんの人を世に輩出している大学ですから、志水さんの仲間の中には、今も演劇界で活躍している人もたくさんいらっしゃいます。こうした人とのつながりの中で、人の役に立ちたいという想いだけではなく、みんなが求める所を出せば人に喜ばれるのだ、と感じるようになりました。
 
 ゲームメーカーからゲーム音楽を作ってくれないかという声もかかりましたが、志水さんは名古屋に戻って広告代理店で働き始めます。仕事で面白いものを作るとほめられる。それが楽しくて、死ぬほど働きました。仕事が大好きで仕事で心が救われたのです。
1994年、インターネットが始まり、広告代理店もネットの世界に足を踏み入れることになりました。そして志水さんはネットの担当を1年目からやらされます。今では当たり前のことですが、当時はファイルを開いた時に、それが地球の裏側でも一緒に見られるなんてものすごい革新的なことでした。頭の中がすごいスピードで進んでいくのを感じ、インターネットってなんて面白いんだ、と思いました。そしてお客さんにネットのことをひたすら話しました。ホームページを持ちましょう!インターネットでこういうことができるようになるんですよ!説明しながら自分が一番ワクワクしていました。インターネットの初期に、まっさらなところからいろいろ作り出していけたことは自分にとって大きな財産になった、そう思っています。
 
 こうして、いろいろなことを地道に取り組んで5年たちました。当時はネットのクリエイティブな会社がありませんでした。これを担うのが自分ではないのか?そう決意した志水さんは1999年4月2日に会社を設立。がむしゃらに働きました。働いて働いて、誰よりも働きましたが、社員がついてきてくれず辞めていってしまいました。なんでこんなにバラバラなんだ?なんでみんな俺のことをわかってくれないんだ?またしても葛藤が始まりました。
 
 そんな時に出会ったのが福島正伸さんでした。「経営者が変わらないと、会社は変わらない。」はっとしました。今までの自分はクールでどこかかっこつけていました。でも、それじゃあだめなのだ。まず自分が変わろう!
 
 こうして志水さんは社員の誕生日にはサプライズの誕生日パーティをやったり、社員のためにムービーを作ったりするようになりました。元来持っていた演出家の本領を発揮して、社員が喜ぶことを第一に考えたのです。そうするうちに社内の雰囲気が劇的に変わっていきました。志水さんの会社には、なんとステージがあります。そして仕事をする時は常に心地よい音楽が流れています。こうして、志水さんの会社は35名のスタッフがいつも気持ちよく仕事できる環境にあふれているのです。
 
 そして志水さんはここまで培ってきたweb制作全般のノウハウを過疎の市町村で活かせないかと考えています。ITの仕事で過疎の問題を解決したい!そう思ってドリプラでは宮古島を舞台に感動のクリエイティブライフを送ろうというプレゼンをします。
 
 てっちゃんの事業で過疎の問題が少しでも解決できたら、地方都市にとってこれほど嬉しいことはありません。富山にも過疎で苦しんでいる市町村はたくさんあります。てっちゃんの事業が富山でも広がる日を心から楽しみにしていますね!
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