本日4月1日より、いよいよ新公益信託法が施行されます。施行に当たって太田達男氏がステートメントを発表しました。ここに同氏の許可を得て全文を掲載いたします。
その前に、なぜ太田氏がステートメントを公表するのかという点について、小生から簡単に説明したいと思います。
公益信託は信託法(1922年)に盛り込まれながら、その後50年間全く利用されていませんでした。いわば、「眠れる森の制度」だったわけです。この制度を目覚めさせたのは、当時信託銀行に勤務されていた太田さんであり、1972年8月に『金融界』という雑誌に「公益信託にスポットライトを」という一文を寄稿したことが契機となっています。
この論文が嚆矢となって様々な動きがあって、第1号の公益信託が1977年に誕生したのです。
したがって、太田さんは公益信託に命の息吹を与えた方であり、その後も一貫して公益信託の発展に思いを抱いておられました。104年を経て公益信託が名実ともに市民社会において活用可能なものとして生まれ変わるときに、ステートメントを発表されることについては当然のことであり、関心ある者すべてが謹んで傾聴すべきものと思いましたので、本ブログで全文を掲載させていただきました。
2026年4月1日
公益財団法人公益法人協会
理事・会長 太田達男
新公益信託の施行にあたって
新しい公益信託に関する法律が今日4月1日に施行されました。1922年に制定されて実に104年ぶりの大改正です。我が国における公益信託の歴史は大変苦難の道を歩んできたといってよいでしょう。
そもそも大正初期に信託法の制定が論議された際、政府が臨時法制審議会に提出した原案は私益信託だけで、公益信託に関する条文は全くありませんでした。この審議会で江木衷という学者がただ一人「公益信託を欠く信託法は信託法ではない」と主張、原案を固執する政府とそれに従う他の委員を相手に孤軍奮闘した結果、原案の最後に公益信託の規律8条文が追加されました。
しかし、その後50年間、公益信託が設定されたことはなく冬眠状態にありましたが、財団法人と比較して簡便に財産を基礎として公益活動を実行できる器として、見直しの機運が進み1977年に第1号の公益信託が2件誕生しました。この時代の公益信託は、受託者が実質的に信託銀行に限られ、信託財産や事業内容なども様々な制約があり税制上も厳しい条件があり、市民社会に根付くというまでには至りませんでした 。
そして、今回公益信託は抜本的に改正されました。誰もが受託者になれる、信託財産の制限も基本的になくなり、事業も助成型だけでなく、公益法人同様様々な事業展開が可能となりました。公益信託への寄付税制もほぼ公益法人並みに優遇されることになりました。
少子高齢化が超スピードで進んでいる日本では、単身高齢者の急増、富裕層の拡大、価値観の多様化も進み、生前・死後における公益組織への財産寄付も急拡大していますが、これらの受け皿として公益信託は、寄付者の願いを信託財産に込めることできるユニークな制度です。
公益信託制度が生まれたものの冬眠状態にあった約50年、実用化はされたものの規制が厳しく成長が止まってしまった約50年を経てようやく今回を迎えました。市民社会における大きな役割を果たす次の50年の始まりと捉えたいと思います。

