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民間公益の増進のための公益法人等・公益認定ウォッチャー (by 出口正之)

日本の民間公益活動に関する法制度・税制は、10数年にわたって大きな改善が見られました。たとえば、公益認定等委員会制度の導入もその一つでしょう。しかし、これらは日本で始まったばかりで、日本の従来の主務官庁型文化の影響も依然として受けているようにも思います。公益活動の増進のためにはこうした文化的影響についても考えていかなければなりません。内閣府公益認定等委員会の委員を二期六年務めた経験及び非営利研究者の立場から、公益法人制度を中心に広く非営利セクター全体の発展のためにブログをつづりたいと考えております。


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法律の思想と公益法人のガイドライン案 [2024年09月23日(Mon)]

 今回の公益法人の改革というのは、広く国民からの意見も聴取したいという意向もよく反映されていると思います。とりわけ、「新しい時代の公益法人制度の在り方に関する有識者会議」(雨宮孝子座長)は、法改正時だけではなく、フォローアップ会議(以下「FU会議という」として、その後の政令府令やガイドライン策定などの詳細な事項まで意見交換していることは素晴らしいことだと思います。


その第1回FU会議で、事務方のトップは以下のように述べています。


私からは常々、法律の条文 にはなるべく「思想」を書けと言っています。この規定は、どういう趣旨、どういう社会 的意義で置いているのかという「思想」をなるべくにじみ出すようにと。プリンシプルベ ースというのとちょっと通底するものがあるかもしれませんが、条文でスタンスを明らか にした上で、下位のルールの体系で細目を体系的・整合的に整備していくことを指導して いるところです



「下位のルールの体系で細目を体系的・整合的に整備していくこと」について、今まさに、ガイドラインが検討されているものと思います。


 なるほど、ガイドラインは前半の総論においては上記の「思想」は徹底されているような記述が目について誠に素晴らしいと思います。


 しかし、14頁の「公益目的事業該当するか否かついての判断事例を整理して、判断基準の明確化を図る」というあたりから以降の各論は、やや疑問に感じる箇所もあります。というのも、公益認定等委員会の判断は裁判でしか、中立的にレビューされることがなく、しかもそれは、「考慮すべきでない点を考慮した」として、裁判では国が負けているからです。そのことを冷静に見つめなおす機会が取れていたのでしょうか。時間の経過とともに、一方的に厳しくなっていった判断事例に基づけば、どんどんと無駄な提出書類が増える制度に変わっていかざるを得ないものと思います。


 前回も指摘した通り、公益認定等委員会の判断を前提としなければならないことに伴う、問題をここで再度指摘したいと思います。


 法令が改正されないままに、時間が経つにしたがって、どんどんと変化していくことを学術的には「クリープ現象」といいます。公益法人行政は、「クリープ現象」のオンパレードだったのではないでしょうか?


 報告徴収、勧告、不認定処分などの事例が蓄積すれば、それに引きずられて、当初の状況とは異なる形で徐々に法令の適用をするのに書類が増えていかないでしょうか。もちろん、ガイドラインはそのことを意識して「(公益として)認められた事例」というものを交えながら、しっかりとした配慮をしている状況も読み取れなくはありません。しかし、それは決して十分ではないでしょう。この方法だとどうしても時間軸に対して増えていくばかりの枝葉末節の「規制」を結局は公認してしまって、法改正の「思想」から乖離した運用が増えてしまうのではないかと危惧します。

とりわけ、それが新規参入に対して大きな壁となっているように思います。


 ここで少し話題を変えましょう。日本の公益法人の法規制に関して、外国の研究者に説明が非常に難しいものがあります。


 具体的には、公益認定法の5条10号、11号の理事等に関する3分の1規制です。

 これらは、理事の構成を親族や他の団体の関係者が3分の1を超えてはならないという規制です。


 では、仮に3分の1を超えるような事態が生じたら、何が起こるのでしょうか?


 実は直ちに何か起こって困るということではありません。


 本来独立して活動すべき公益法人が、この規制を設けなければ、親族や他の団体に支配されてしまう<おそれ=可能性=蓋然性>が高まるというにすぎないのです。


 そのような規制をここでは「蓋然性直接規制」と呼ぶとすると、他国には「蓋然性」を直接規制するものが、あまり見られないように思います。


 実際、例えば、米国では親族に支配されている公益法人や他団体に支配されている公益法人も多く、それらが規制されているわけでもなければ、特段、公益活動自体に問題があるわけでもありません。


 他国にあまりない規制という意味では、「蓋然性に基づく規制」は日本の文化的なものだといっていいかもしれないですね。


 ただし、3分の1規制は、日本においては是非を論じるまでもなく、法律であるので守ってもらわないといけません。そこに異論はありません。


 しかし、ガイドラインの各論を見るといくつかのところで、法律に形式要件のないことに関してまで「蓋然性に基づく不安」が随所に現れているように思います。実際、これまでの不認定処分の理由を読むと、「○○というおそれがある」、「(○○という懸念を払拭する)仕組みが構築されているとは認めることができない」といった文言が並んでいる。あきらかに蓋然性が高まるという「不安感」で不認定にしてしまっています。


 公益認定等委員会委員として審査に加わった立場から、委員がそのような不安を感じることに関しては同情しないわけではありません。その気持ちは痛いほどわかるといってもいいでしょう。しかし、だからといって、不認定処分を下したり、それに基づく不要な書類を次々に要求するのは、上記の「思想」から言って正しかったのでしょうか?しかもそうした「判断事例」が積み重なれば、単に委員会委員の不安を払拭するだけの提出書類が累積してしまうことにはならないでしょうか?



 時間が足りませんが、次回以降、「クリープ現象」による提出書類の実例を挙げてもう少し考えてみたいと思います。



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