控訴審で争われていた一般財団法人日本尊厳死協会の不認定処分に対する裁判で、国の控訴を棄却する判決が出されました。 内閣府にとっては耳の痛い話かもしれませんが、こういうことを通じて制度は改善されていくのでしょう。この判決を受け入れることで、これを奇貨としてはいかがでしょうか? 小生は非常に多くの人とこの処分について話し合いましたが、ひとりとして内閣府の不認定処分が妥当だという人はいませんでした。
パソコンのOSも社会の制度も、最初から完全に出来上がるものではありません。「バグ」が生じることは当然あります。大事なことはそのような「バグ」に素直に向き合うことだと思います。
新しい制度は、法人も行政庁も試行錯誤の状態だったはずです。誰もが間違いをおかさない超越的な存在でないことは言うまでもありません。行政庁が間違えることも想定して最終的には司法の判断に委ねることになっていました。今回の判決は旧制度と新制度との裁量権の比較を明確にした上での判決で、素晴らしいものだと思います。
前回少し触れたイギリスのチャリティ委員会における不正注意喚起のガイドラインには、 最後に、このガイドラインに間違いがあると思ったときにはご連絡ください、と書いてあります。民間との協力に基づく文書と言うこともあったのでしょうが、これは「間違いをおかすものだという前提に立つ」という文化の違いなのでしょうか?
完全な不正防止策などあるはずはないのですから、推奨されるものであっても常に最善策とは限りません。間違いがあることを前提に、様々なフィードバックを真摯に受け止めることが制度をよくしていくものだと思います。
かつて内閣府がホームページを新しくしたときに、公益認定等委員会の英語訳を”Public Interest Corporation Commission”としていたものが、誤植で ”Public Interest Commission”となってしまっていました。間違いを指摘すると、何と公益認定等委員会に「併用されていたから一本化する」と提案して、間違いを間違いでないことにしてしまったことがあります。「行政庁は間違いをおかさないという不文律」でも存在しているのではないかと思ったほどです。
ミスを認めたくないという気持ちは分かりますが、そのような意地の張り方はいかにも時代錯誤ではないでしょうか?
今回の判決もしっかりと受け入れることで、立法趣旨の再確認、認定・不認定のスタンスの再確認、監督の手法の再確認の契機とされることを期待します。とてもいい機会だと思います。判決を受け入れる勇気も賞賛に値するものと思います。
それにしても裁判に当たった弁護士のかたがたをはじめ日本尊厳死協会関係者の皆様方のご尽力に深く敬意を表したいと思います。