日本語クラス
[2011年06月24日(Fri)]
先日、ボストン大学での日本語クラスを2つ見学させていただきました。
というのも、日本語クラスは見方を考えてみれば
聴者相手に第二言語として教える訳ですから、
もし日本で聾•難聴児相手に日本手話を第一言語
日本語を第二言語として教えるのであれば
どのように教えるかヒントが得られたらと思い
見学することにしました。
アメリカではバイリンガル教育、
つまりアメリカ手話を第一言語、書記英語を第二言語として
教えるというやり方があちこちの聾学校で行われているのですが
そもそも英語と日本語が異なる言語である上に
自分の個人的な所感では英語は音韻優位なのに対し
日本語は視覚優位(漢字とか)なので
その辺りも違いが出てくるだろうと思っています。
まだバイリンガルアプローチについては習っていないのですが
(おそらく次の秋学期、春学期で学んでいきます)
とりあえず見てみるだけ見てみようと。
日本語1と3の両方を見学して、
共通して思ったことはやはり音声で説明を聞いて
漢字の読み方を覚えたり、
クラスメイトと会話練習をしたりと
コミュニケーション重視なところがありました。
先生は日本語1だと英語と日本語を交互にしゃべって
教えるという感じでした。
日本語3となると、ほぼ完全に日本語。
文法など何か大事なことを伝えたいときになると、
英語での説明になります。
受講生たちは発音に苦労したり、文法に苦労したりと
いろいろあります。
漢字の書き取りなんかもあったりしますが、
漢字はそこまで悪くはないような気がします。
てにおはの使い方は聾児と似ているのかもしれません。
全体的に見て感じたことは、やはり耳で聞いて覚えることが
重点になっているようです。
もちろん漢字などを見て覚えたり、文章が読めるようになるには
目で見ることもポイントですが、
そもそも聾•難聴児は耳で聞きながら目で確認することが出来ないので
この問題をどう解決するかは
それぞれの学校でいろいろ工夫がなされていると思います。
(聾学校への見学などの経験がまだ少なすぎるので
あまり多く語れなくてすみません。)
このクラスへの見学にはアメリカ手話通訳をつけてもらいましたが、
日本語/日本手話が少し分かる人にお願いしてあったので
何とかなったという感じです。
話される言語についての知識/経験がないと
通訳は全く出来ないということは明らかですね。
また機会があれば、いろんなところを見ていこうと思います。
The learning Center for the Deaf その2
[2011年06月22日(Wed)]
続きです。
(関係ない話ですが、このブログを大学のマックから書いてるのですが
マックを使った方がこのブログ使いやすいなぁ…と。)
中学部/高等部
ここで先生やっている友達に何人か会いました。
(ボストン大学で同じ聾教育コースです)
普段から学校内で手話で話しているからなのか、
生徒たちは積極的にコミュニケーションを取ってきてくれます。
たまたま日本についてのプロジェクトが貼ってあったので
それについて質問して来たりなど
興味津々な生徒たちでした。
高等部の重複クラスではドキュメンタリーを観て、
それに対する自分の感じたことを述べたり、
その感想をノートパソコンのカメラを使って撮影して
編集する作業をしたりしていました。
と、簡単に見たことを述べさせていただきましたが
TLCでのあらゆる工夫が一通り見れたという感じです。
昨年フリーモント聾学校で一時期ボランティアをしていて
いろいろ得られたことも多かったので
改めてこの秋学期からボランティアを始めようかと
考え中ですので、その際はまた何か発見したことなどを
ブログに書き留められたらと思っています。
The learning Center for the Deaf その1
[2011年06月22日(Wed)]
先日にタイトルのTLCに見学に行ってきました。
日本語表記にすると、聾学習センターでしょうか…
聾学校と何ら変わりありませんが、ここではTLCで使わせていただきます。
重複学級を中心に見学したいとお願いしてあったので、
無理矢理スケジュール組んでくれたそうで
ちょっと申し訳ないなと思いつつも、感謝しながら見回りました。
幼稚部
新しく建てられた校舎なので、何もかもきれいでした。
教室はもちろん、廊下や先生の部屋なども学校とは思えないほど
ピカピカでした。
校舎に入って目についたのが
1人の男児に先生が3人がかりで床に押さえついていたところです。
多動性のある児童には先生が2人ついて、多動を押さえるために
校舎に馴染むように行動を抑制するんだとか。
(だから小学部で見かけた多動性のある重複児は
比較的おとなしいかったのもうなづけます。)
残念ながらこの日は重複児が2人お休みだったので、
通常の授業が行われず、とりあえず先生にいろいろと話を伺う。
家族の名前がまだ言えないレベルなので、
写真を見せてママ、パパ、お兄ちゃん、お姉ちゃんというように
教えたり、
1日の予定を見せて、今日はどんなことをやるかイメージしてもらったり
いろいろ視覚的工夫がありました。
だけど、児童の目線は泳いでばっかりなので、
どうしたら注意がこっちに向くんだろうかと考えているそうです。
10秒でも目を合わせられたらそれこそ成長と言っていました。
小学部
2つのクラスを見せてもらったのですが、両方とも助手がついていました。
英語を教えるところでは、
主語、述語、修飾語など文章のルールに基づいて
文を書く練習がなされていました。
主語を○、述語を□、目的語を△というようにシンボルを使って
最初に並べておき、
○の箇所にはどの単語が入るか主語の単語リストから選んで埋める
というようなやり方でした。
生徒は自分で文章を考えて作ることが出来ないので、
まず先生がイラストを示して、
このイラストは何を意味しているか説明してから
文章を書くという流れで進めていました。
英語の特徴として I am a student.
というようにスペースがありますよね。
このスペースを空けるのがなかなか難しいようなので、
わざとこのスペースにマーブルチョコなどのお菓子をおいて
スペースをあけるということを認識してもらっていました。
ちゃんと文章を書くことが出来たら、
そのお菓子が食べられるという面白い方法でした。
上級生のクラスでは、生徒の姿勢の特徴に応じて
机の形や椅子の形が違っていました。
いつも腕をうなだれている生徒に対しては
ちゃんと腕が固定できるように、腕掛けがついている椅子に
座らせたりなど工夫がありました。
続く
iPadからテスト投稿
[2011年05月25日(Wed)]
iPadから日記アップできるかどうかテスト。
未だにタッチパネル式のキーボードに慣れません。。。苦笑
bluetoothのキーボードを購入するかどうか
ずっと迷っています。
確かにメールを打つときなどは
キーボードがあったほうが便利なのですが、
iPadはもっぱら閲覧用です。
早く使いこなせるようになりたいなぁと思います。
それでは今から講義です。
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武田 太一 at 07:45 |
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日本で手話が認められない理由?
[2011年04月11日(Mon)]
友人から日本で手話が言語として認められていない理由として
何が考えられる?と聞かれました。
メールやり取りした内容を整理して、私個人の意見を述べてみます。
日本は大陸つながりではない島国であり、
これまでの歴史を振り返ると他の文化や言語を持つ民族が
なかなか入ってこないのも大きな要因ではないだろうか。
確かに他の国の人々が日本にいますが、
「郷に入れば郷に従え」のごとく、彼らの文化や言語はそれほど
尊重されていないと思います。
日本は一言語一文化とも言われ、
それをなかなか崩そうとしない姿勢が見られます。
それに対して他の国では陸つながりということもあるのか、
いろんな民族や、他の国の人々を歓迎している上に、
様々な文化や言語を吸収しています。
実際にアメリカは英語だけではなく、スペイン語もあちこちに
ありふれています。実際に自分のスペイン語のメニューや
注意書きを出されたことがあります。
手話も言語として定着しているので、外国語講義としては人気があります。
一般的に日本では、義務教育の段階で英語を覚えたとしても
学校以外の場で使う機会がほとんどありません。
日常生活で英語が必要!というわけでもないので、
ニーズがないものを覚えても意味がないと思います。
ですので、英語を覚えても、英語圏の国に行く機会や
英語を使う人に会う機会がなければ
英語がすんなり身についてくることは出来ません。
手話も同じで、例えば地域の講座や手話サークルで手話を覚えたとしても
それ以外の場で手話話者に会う機会がなければ忘れていきます。
実際に日本では手話通訳者がだんだん増えてきていますが、
聾者から見て分かる手話なのかどうかは怪しいです。
ただ聞こえてくる日本語に手話を当てはまるだけだったり、
聾者の手話をまともに読み取れなかったり
“通訳”とは言いがたいのを結構目にします。
もし日本手話が言語として認められれば、
日本語と日本手話がはっきりとした別々の言語としてみなすことができ、
手話を教えるにしても、通訳を教えるにしても
やりやすくなるのではないでしょうか。
ここ数年、日本手話言語の研究が進んでいると思います。
ちゃんと言語的な解説で書かれている書籍も出ているので
これらも踏まえて日本手話の教科書なるものが本格的に
出始めたらいいのにと思います。
そうしたら、小学校や中学校で国語の教科書があるのと同じように
手話の教科書を使って教えていくのもいいのではないでしょうか。
総合的学習の時間などのたった短い時間では身につきません。
大人になったときに、そういえばちょこっとやってたなぁという記憶でしかありません。
また国リハや世田谷など手話通訳の専門学校はありますが、
全国的に見たら、たったそれだけですよね。
もっと日本の各地に、専門学校あるいは大学のカリキュラムに入れてくれれば
手話や通訳者養成についても飛躍的に伸びるのではないでしょうか。
ただそのためには人材養成も課題になってきますが…。
アメリカでは確かに手話が言語として認められ、
大学での講義も手話通訳が当たり前のようにつけられますが
あくまでも講義保障の面であって、
聾者と聴者の立場が平等になったかと思ったらまだそうではありません。
みんなが気がつかない精神的差別もあったりします。
また自分は聾教育課程で学んでいるのですが、
他の同級生も手話を覚えるという挑戦をしています。
彼女たちが使う手話は聾児に分かる手話なのかと思ったら
そうではなく、英語に手話を補っているのも結構いますので
(要するに英語対応手話)
彼女たちとどう向きあって、手話を身につけてもらっていくかも課題です。
話が支離滅裂してしまいましたが、
手話に対して思うことはまだこれから考え方が変わっていったり
何らかの変化があると思いますので
個人の意見として受け止めて頂けたら幸いです。
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武田 太一 at 06:09 |
アメリカ手話 |
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Deafhoodワークショップ その3
[2011年01月30日(Sun)]
これまでに聴覚差別(=Audism)を受けてきた中で
下のようなおかしな例もあった。
アメリカでは陪審員制度があり、国民の中から選ばれます。
ある裁判で、ロシア人、メキシコ人、アメリカ聾者が呼ばれました。
陪審員になるためには、英語が第一言語であることが条件であり
最初に呼ばれたロシア人はロシア語が母語なので、免除され
次にメキシコ人が呼ばれ、スペイン語が母語で免除、
そして聾者はアメリカ手話が母語で、英語は第二言語なので
当然免除されるかと思ったら
聾者は手話通訳を配置すれば裁判に参加できるので免除されませんでした。
障害者だから裁判に参加できないという差別はないものの、
手話が母語という言い分は伝わらなかったのである。
アメリカ手話が大学で講義として組み込まれるようになり、
各地で手話が出来る聴者も増えてきた。
そんな中でギャロデット大学も手話が出来る聴の教職員も増え
聾教員の需要がなくなっていくのではないかという危惧もある。
そんな中で、同じ聾だ!と思えるような特性として
○ 他の人と繋がろうという感覚を持つ
○ 社会構造と責任を理解する
○ 強い自己認識があり、決してエゴではない
○ 進めていこう、変えていこうという意欲がある
○ 力づくでではなく、力を共にという考え方である
○ 正直に、柔軟性があり、そして限界もあることも知っている
○ 歴史を理解し、認識している
○ 苦しむことも受け入れる
○ 自分自身のルーツを知っている
などが掲げられました。
現在、聾者の存在を脅かすものとして、
○聴覚口話療法
…この資格を有している人が300人いるとか
○出生前に聴覚障害が判明したら中絶
…どこかの国でそういったことをやっている(やっていた?)そうで
○口話学校への出資
…手話学校と比べると口話学校への予算がかなり大きい
○人工内耳
…大型チエーン店並みにCEOの給料が高いほど潤っている
などがあります。
今自分たちが出来ることはデフフッドの再構築である。
そのために必要なことは、
■ 骨組み
■ 語彙の置き換え(例:聴覚障害ではなく聾を使うなど)
■ 再び骨組み
の繰り返しが必要であると。
ここでワークショップで聞いたことは終わりますが、
英語と日本語が混じったメモで、
英語も和訳しにくいので省略したりと中途半端ですみません…。
またどこかで何かを学んできたら
ブログに載せていこうと思います。
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武田 太一 at 14:33 |
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1ヶ月振りの更新
[2011年01月30日(Sun)]
気がついたら1ヶ月も更新していませんでした。
12月下旬から1月中旬まで日本に一時帰国していて、
その間にたくさんの人に会ってリフレッシュしてきました。
改めて日本での過ごしやすさや、
日本にいる仲間たちのありがたみなどを痛感してきました。
残る留学期間、悔いのないように全うしていきたいと思います。
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武田 太一 at 14:30 |
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Deafhoodワークショップ その2
[2010年12月25日(Sat)]
1880年のミラノ会議の後に、聾教員が減少し、
聾者の就職も難しくなるなど問題が発生してきました。
この時代、有利な立場に立つのは聴者/白人/男性であり、
聾者/黒人/女性は不利な立場に立たされてきました。
性差別、人種差別という言葉があるように、
聴覚差別(=Audism)という言葉もあります。
この聴覚差別は
個人レベル、組織レベル、社会レベルでも起こるもの。
このミラノ会議が与えた影響はかなり大きなものです。
しかし、口話法が果たして聾教育において大きな成功を成し遂げたのでしょうか。
その答えは「いいえ」である。
難聴者/中途失聴者 >>> 聾者
白人 >>> 黒人・ラテンアメリカ人・アジア人
キリスト教 >>> ユダヤ教/ムスリム教
男性 >>> 女性
成人 >>> 子ども/高齢者
異性愛者 >>> 同性愛者
裕福層/庶民 >>> 貧困層
健常者 >>> 障害者
上記のように、太字のところが有利な立場に立ってきました。
極端な例かもしれませんが、口話法はある意味
日本でよく言われてきた家事は女の仕事!と同じように
聾者は口話法!と決めつけられているに等しい。
確かに女性の中には家事が合っているのもいれば、
聾者の中には口話法が効果的な人もいますが
全ての人に有利な立場の人たちの考え方を押し付けてもいいものでしょうか。
無意識的な聴覚差別として以下のような仕組みがあります。
○医学的な観点
↓ 聾であることは病気と同じようなものであり、治癒されるべきもの
↓
↓
○社会福祉的な観点
↓ 聾はかわいそうだから、助けてあげなければいけない
↓
↓
○人権的な観点
↓ 聾は法律で守られるべきものである
↓
↓
○言語少数派的な観点
↓ 聾であろうと、手話だけでなく口話ができるようにならなければならない
↓
↓
○デフフッド(聾であること)
これらの無意識的な聴覚差別を超えて、自分が聾であることを誇りにもつ
要領の悪いメモの取り方していたので、話がバラバラですみません…。
次回で最後です。
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武田 太一 at 14:33 |
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Deafhoodワークショップ その1
[2010年12月07日(Tue)]
先日に行われたDeafhoodワークショップで学んだことを
手元にある汚いメモを頼りに整理してみようと思います。
Deafhood(デフフッド)はイギリスのPaddy Laddが考案した言葉であり
適切な和訳が分からないのですが、ここでは「聾であるべきこと」と解釈します。
Paddy Laddが執筆した“Understanding Deaf Culture”などを元に
Deafhoodを広めようとカリフォルニアから
講師3人が招かれワークショップが開かれました。
この“Understanding Deaf Culture”は日本でも和訳が出されていて、
タイトルが“ろう文化の歴史と展望”です。
この2冊、まだ読んだことないので、まだ読んでもいないくせに
ブログを書くなんておこがましいと思いますが、
個人的な主観で述べていこうと思います。
きっと本を読んだ後で、また見方が変わってくると思うので
そのときはまたブログに書き連ねていこうかと。
講師は
Elle Mae Lentz氏
David Eberwein氏
Genie Gertz氏
の3名で、最後のGenie Gertz氏は昨年度に通っていたオーロニ大学の
デフセンター長です。何度かお会いしたことはあるものの、
講演はまだ聞いたことがなかったので今回が初めてです。
Deafという言葉を聞くと、マイナス面で見たら「聴覚障害」
プラス面で見たら「手話」「視覚中心」というイメージがあります。
DeafはDeafnessとして、聾のことを指しますが
Deafhoodはそうではなく、聾であること、聾者でいるべきことを指します。
あるデータが出され、
(たぶんアメリカ)生まれてくる聾の子どもたちの70%は手話を覚える機会がない。
聾の子どもたちの76%は学校で一人ぼっち。(メインストリーム)
英語も手話も使うバイリンガル教育のトレーニングを受けた先生は全体の6%
聾学校の先生のうち11%が聾。
ギャロデッド大学にいる教授のうち30%が聾。
聾者の66%が収入の少ない職あるいは無職。
アメリカ手話クラスを開講している大学が数年前のある期間で432%増加。
といろいろ興味深いものが出てきました。
そもそも事の始まりは1880年のミラノ会議。
この会議で口話教育が採択され、手話教育が不利になってしまったのです。
1870年代までは聾者も学校を建てたり、大衆新聞の編集をしたり
あらゆる職に就くことができたのですが、
この会議以降、そういった機会が失われました。
この会議にはアレキサンダー・グラハム・ベル氏も関わっており、
ベルというと電話の発明をしたということで有名ですが
実際に電話を発明したのは別の人で、彼はそのアイデアを盗作したんだとか。
おそらく彼の教育を受けた生徒がミラノ会議で
(どこかに詳しい文献か何かがあるはず…後ほど探してみます)
口話教育の成功例として紹介されたのですが、
この生徒は後天性の聴覚障害であり、すでに音声言語の習得経験があったからこそ
口話教育が適応できていたのです。
この会議以降、手話で教育が行われていたところは口話教育に
どんどんと切り替わっていき、
1882年に7.5%
1990年に47%
1905年に51%
1919年に80%と口話教育が増えていきました。
続きはまた後日に。
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武田 太一 at 06:57 |
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ノームチョムスキー氏
[2010年11月21日(Sun)]
ちょっと前の話になっちゃいますが、
ボストン大学で、言語発達カンファレンスが行われました。
(Boston University Conference of Language Development)
最初はこんなカンファレンスなんて、到底理解できそうもないと思って
参加する気持ちはまーったくなかったのですが、
・言語学入門の講義で先生が宣伝していた
・アメリカ手話に関する発表もある
・日本でも有名なカンファレンスらしい
・日本人の発表もある
・友達が何人かボランティアしに行くらしい
で、極めつけが
・ルームメイトがこのカンファレンスのスタッフ
・ボランティアをやらないかと誘われた
ので、参加させていただきました苦笑 (しかも無料で)
いくつかの発表を見てきたのですが、
言語学の知識がほとんどない、自分の脳みそでは
処理しきれません
でも部分的に見ても、勉強になることはありました。
例えば、手話には1つの表現でもその手の形や表情など
複数の意味が含まれているとか、
絵本を読み聞かせするとき、声で読み聞かせする場合と
手話で読み聞かせする場合では母親と目を合わせる比率が違うとか
聾の幼児が使う指さしも1つの文法として含まれているとか
かなり面白かったです。
さて、タイトルのノームチョムスキー氏。
実は存命人物だとは知りませんでした
日本で言語学といえばノームチョムスキー!と何十回も聞いていたので
有名な人物だけど昔の人だろうなーとずっと思っていました。
82歳ながらも、トレーナーとジーンズというラフな格好で
ステージに立ち、講演されました。
どんなお話だったかというと、
ごめんなさい1%も理解できませんでした汗
他の聴衆に聞いたら、理解できなかった人もいたようです苦笑
ですが、こんなに有名な人物が身近にいるのは改めて驚きです
来年も行われると思うので、
それまでに言語学の勉強こつこつやっていこうと思います。
来年春にはASL Structureという講義を受ける予定なので
少なくともASLの構造について言語学的な見方で学ぶはず…。
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武田 太一 at 12:49 |
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