こんにちは。
日本ではそろそろ梅雨入りの頃でしょうか。リーズも、ようやく陽の光が暖かくなってきましたが、それでも風は冷たく、最高気温が20℃を超す日は滅多にありません。私は未だにヒートテックとセーターを重ね着して図書館に通っています
さて、今回は私の趣味(そして専門でもある)の英文学について語ってみようかなと思います。
イギリスがイングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドの四つの「国」から成り立っていることは知っている人も多いと思います。
今私がいるリーズという町はその四つのうちの一つ、イングランドの最北端に位置するヨークシャー地方の一都市で、私が去年過ごしたヨークもまた、ヨークシャー地方の中にあります。
このヨークシャー地方、英文学ではよく「荒れた土地」として登場するほか、宗教的にも重要な意味がある土地で、この辺りを舞台にした文学は案外と多いのです。
最初にご紹介したいのはブロンテ姉妹。『ジェイン・エア』で有名なシャーロット・ブロンテ、『嵐が丘』で知られるエミリー・ブロンテ(そして末っ子のアン・ブロンテもいくつか作品を出版している)はリーズ近郊の、ハワースという小さな町で生涯を送りました。特に『嵐が丘』はヨークシャー地方の荒々しい景色の描写が美しい作品で、ハワース近郊に広がる荒地(英語ではmoorと呼ばれる)にはブロンテ姉妹が作品のアイデアを語り合った滝のある岩場や、嵐が丘のモデルになったと噂されている廃屋が残っていたりします。夏場にはヒースの花が咲き誇り、見渡す限り真っ赤な大地が広がるのだとか。私は昨年3月に訪れましたが、いつか夏にも行ってみたいです。
『嵐が丘』のモデルの廃屋
ブロンテの家族が住んでいた家で今は博物館となっている建物
よく知られた児童文学作品である『秘密の花園』もまた、ヨークシャーが舞台です。主人公メアリーはインドで両親が死んでしまい遠い親戚の家に引き取られるのですが、この親戚のお屋敷がヒースの荒野の真ん中に立っています。イギリス人であるメアリーですら、moorという言葉を知らず、ヒースの荒野を見た時には「これは海なの?」と驚きます。ヨークシャーはまた訛りの強い地域でも有名で、本作に登場する地元の人たちのセリフは実際に発音に忠実に書かれているようです。例えば召使のマーサのセリフ”Canna’ tha’ dress thysen!”、おそらく一般的な英語なら“Can’t thee dress thyself?”(あんた自分で自分の服も着られないのかい?) ではないかと思われますが、この直後にメアリーは正直に“I don’t understand your language.”(あなたの言葉全然わかんない)と答えています。もちろん、私も原文で読んだら全然わかりません笑
↓写真はハワースの荒野です。赤黒い植物がヒース。ヒースの生える地面は湿地であることが多く、下手に歩くと足がはまって危険です。
またリーズはそうでもないのですが、ヨークの方は町としてとても歴史が長く、古くはローマ帝国がイングランドを征服していた時の最北端の拠点としてほぼ2000年の歴史を誇り、その渦中で建てられたヨーク大聖堂はイギリス国教会(イギリスで信者の多いキリスト教の流派の一つ)の重要な立ち位置にあります。
それもあってかヨークは度々シェイクスピアの作品にも登場し、『ヘンリー四世』では戦争を裏から操る黒幕として、『リチャード三世』ではリチャードの故郷兼拠点として出てきます。ちなみにこのリチャードの遺体が10年前の2012年、リチャードが最後に戦争をしたボズワースの近郊のレスターという街で、なんと駐車場の下から発見されたのですが(そしてレスターとヨークでリチャードの遺体を取り合った末、ヨークが負けました…。)この発見のおかげで、リチャード三世は生まれつき背中が曲がっていて、腕も足も満足に動かなかった、つまり身体障がい者だったらしい、ということが証明されました(脊椎湾曲症だった、という説が有力です)。私がやっている障害学でも『リチャード三世』はよく取り上げられる作品で、外見が醜い=悪役、という表象はいかがなものか?というテーマでよく出てきます。
ヨーク大聖堂
聖堂内にあるステンドグラス
白イノシシが2体盾の脇に立っているのがリチャード3世の紋章
あとあまり知られていませんがウィットビーという港町はブラム・ストーカーが『ドラキュラ』を書く時、ドラキュラ伯爵がイギリスに流れ着いた時の町として登場しました。『ドラキュラ』が執筆された頃にはすでに廃墟だったウィットビー修道院は今でもどこか暗い気配が漂います。また併設する博物館にはドラキュラ関連の資料がたくさんありファンには見応え満点です。
6月でも寒々しい海
ウィットビー修道院跡地
ほかにもヨークは20世紀最大の詩人の一人W・H・オーデンの出身地だったり、ヨークにあるシャンブルス通りはJ・K・ローリングが『ハリー・ポッター』執筆時にダイアゴン横丁のモデルにしたと噂されていたり、リーズ大学では『指輪物語』の作者トールキンが1920−1925年、オックスフォード大学に移る前に教えていたり…、と小さなエピソードがいろいろあります。ちなみに『オリバー・ツイスト』や『クリスマス・キャロル』の作者として知られるディケンズはリーズが嫌いだったようで”I particularly detest as an odious place”(下劣な場所で嫌悪感しか湧かない)などと手紙に書かれた、という逸話もあったりします
(リーズはヨークと違い、19世紀以降羊毛工業で発展した都市なので、ヨークほど情緒がないのです…)
シャンブルス通りはこんな感じ。なんと15世紀から建っている建物もあります!
…好きなことを話していたら随分長くなってしまいました。
来週は指導教官との面談、論文の方向性も少しずつ固まってきているので、次は自分の研究のことなどもう少し書けたらな、と思っています。