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聴覚障害者留学
 
 このブログは、2004年度より特定非営利活動法人(NPO)日本ASL協会が日本財団の助成の下実施しております「日本財団聴覚障害者海外奨学金事業」の奨学生がアメリカ留学の様子および帰国後の活動などについてお届けするものです。
 コメントでいただくご質問はブログに書かれている内容の範囲のみでお願いします。それ以外の留学に関するご質問は日本ASL協会の留学担当にお問い合わせ下さい。
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透明マスクのお礼[2021年01月26日(Tue)]
透明マスクのお礼

大阪にあるNPO法人 Silent Voice様が実施する『Clear Mask Project(クリアマスクプロジェクト)』に応募させて頂き、先日、寄贈の透明マスクが届きました!

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口の動きや表情を見ることが出来る透明マスクは、コミュニケーションする上で大変役に立ちます。面談など対面する機会で有効に使わせて頂きます。ありがとうございました。

事業担当:根本
Posted by 事業担当者 根本和江 at 10:31 | 事業担当者よりお知らせ | この記事のURL
2020年12月生活記録【第16期生 大西啓人】[2021年01月08日(Fri)]
2020年12月生活記録


※手話内容はブログ記事と同様です。
※日本語字幕はついていません。

山場だった秋学期の最終試験を無事終えて、今は1ヶ月の冬期休暇を満喫しています。コロナのこともあり、満足に旅行など外出はできないので、映画鑑賞をしたり友達とZoomで話し合ったりなどをして、過ごしています。クリスマスには他学部の教授や友人、学生の友達などが家に集まりホームパーティー。他にも年末では同居している2人と一緒に2020年を振り返る良い時間となりました。年末年始を家族以外、また日本以外で過ごすのはこれが初めてなので不思議な感覚でした。

さて今月は「英語教育」について少し考えたいと思います。この冬季休暇にろう児童生徒はどのように英語を学ぶのか英語に対して苦手意識を持たないようにするにはどうするべきか、など考える機会がありました。
まずに自分が学生時代にどのように学習したのかについて、述べておきます。

・発音をカタカナで書き、スペルや意味を覚える
・単語は繰り返し書くことで増やす
・文法やニュアンスは日本語や日本語対応手話で理解する。

私はこうして英語を学習しましたが、日本語が苦手な児童生徒は英語を理解するのに時間がかかるでしょう。ろう児童生徒にとって自然言語である“日本手話”が必要だと、様々な論文を通して改めて強く感じました。今の日本には日本手話で英語を学習できる環境が必要なのです。私の意見は以下のようになります。

英語語彙はASL指文字(Fingerspelling)から学ぶ

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聴者は英語を声で話し、自分から発した声を自分で聞くことで脳への定着を図ることができます。ろう児童生徒は声を聞くことができず脳への定着ができません。多く見られるのは英単語を繰り返し書くことです。そこで私はろう児童生徒に必要なのはASL指文字だと考えます。自分の表した指文字を目で見ることによって、英単語を視覚的に脳に定着することができます。最初に指文字の形や動きを覚え、指文字から書記英語にします。こうした過程はアメリカのろう教育で一般的です。


文法やニュアンスは日本手話で理解する

Photo Jan 07, 16 27 10.jpg
文法やニュアンスなど複雑な内容を日本語で理解するにはろう児童生徒にとって難しく、日本手話で理解することに大きな意義があると考えます。例えば現在進行形なら「~中」と表現したり、ニュアンスの違いを非手指標識(Non-Manual Signal)で使い分けたりなどで視覚的に分かりやすく説明します。また日本語力の違いによって英語の理解が左右されることに違和感を覚えます。すべてのろう児童生徒が理解できる日本手話で英語を学習することで、日本語による理解困難を防ぐことができます。

簡単なASLを学ぶ時間を設ける

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ASLを学び、用いることは話すこと、聞くことを通して異文化理解や言語活動に関心を持ち、学習への動機付けができることに意味をもちます。自己紹介や簡単な会話文をASLを用いてコミュニケーションすることで外国語に慣れ親しみ、学習意欲の向上に効果的だと思います。またALT(外国語指導助手)をろう者またはASLを用いることができる人を招いて、担当教師が介することなく直接会話できる経験もろう児童生徒の学習に必要です。私の経験では、ALTが英語を話し、担当教師による通訳(英語→日本語)でコミュニケーションをしました。しかしこれは本当に異文化理解や言語活動を学べるのでしょうか?



ろう児童生徒も英語を楽しく学習し、正しく理解して欲しいのです。日本での一般的な英語教育はろう児童生徒に適するものではなく、ろう者に適した学びが必要だと学びました。ろう児童生徒は視覚的に理解する能力が優れているのでそれを活用するべきだとも感じました。ただ適した教育を提供するには教師が正しくろう文化や手話を理解し高度な手話表現やASLを使いこなす技術が必要なため、簡単ではありません。私はろう児童生徒のための英語学習ができる環境作りを日本で実現できるように多くのことを学びたいです。


16期生 大西
Posted by 大西 at 00:32 | 奨学生生活記録 | この記事のURL
2020年12月生活記録【第16期生 皆川愛】[2021年01月07日(Thu)]
年が明けましたねぴかぴか(新しい)
昨年は予期せぬ新型コロナウイルス感染拡大により、
学びのあり方を含め生活が変化した激動の一年でしたが、
リモートによる活動が普及したことにより、アメリカにいても日本と繋がる機会が増えたように思います。
修士課程の学業生活も残り半年となりました。本年もどうぞよろしくお願いいたいます。

カチンコ動画はこちらより



@はじめに
今月は、社会の中でろう者に対する差別がなぜ生じるのか、
そのパワー(以下、権力)がどう働くのかについて考えてみたいと思います。

言わずもがな、ろう者は長年マイノリティとして色々な抑圧に苦しんできました。
ろう者が権力に作用されて差別に苦しむのは、単に少数民族だからというわけではありません。
大学院入学当初、先生からろう者学に重要な視座は、
権力の概念の理解フーコーの生権力デリダの音声中心主義だと言われ、
これについてずっと考えてました。
12月生活記録_文字.jpg

そこで今月はそれらの概念に触れながら、
ろう者を取り巻く権力とろう文化の関係について考えてみたいと思います。

今月のポイントです。
・ろうの問題を紐解くと、単純な言説とそれによって構造化された伝統や秩序から来ていることがわかる
・伝統や秩序にある見えにくいものが権力として作用しており、それを解き明かし、解体を行うことを脱構築という
・ろうにまつわる言説の脱構築がろう者学の目指すところである
・権力の存在がなければ、聴社会との分断のきっかけとなるろうコミュニティは生まれなかったかもしれないという見方もある

Aデリダの音声中心主義
まず、デリダが提唱した音声中心主義(Phonocentrism:フォノセントリズム)とその解体についてみていきます。
これは文字通り音声が優位にあり、音声中心に社会が構成されているという考え方です。
手話が言語としてなかなかみなされない一つの鍵となる考えとなります。
デリダがまず着目したのは音声言語(Parole:パロール)文字言語(Ecriture:エクリチュール)二項対立とそこにおける力関係でした。
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ギリシャ哲学者の一人であるプラトンのいた紀元前の時代、つまり約2400年前から、
ろう者が自然言語として使用している手話の存在に気づいていながらも、それはろう者たちのものであって、
言語としてみなされていなかったことがわかっています(Plato, 1998)。
そのプラトン以来、西洋ではパロールである音声が優位にあり、
エクリチュールの文字は従属したものとして下位にあるとしてきた状況
を音声中心主義といい、その体制を批判しました。
さらに、手話は文字より下位のものと位置付けられていると思われます(Bauman, 2009)。

Bフーコーの生権力
フランスの哲学者のフーコーは、抑圧に根付く権力はどこから来るのかという問に対して、言説に着目しました(Faucault, 1997)。
彼によると、言説真理を正当化したものであると言っています。
透明化され、真実であると思われていることであっても、実際は他の知識を排除・禁止したもので、隠されている何かがあるというのです。
私たちが当たり前に使っている言葉の定義も何かを枠に当てはめ、そして、何かを排除しています。
例えば、何が言語で、何が言語でないのか、これは言語学のルールで定めています。
言語は恣意的であるという規則を正当化し、手話は類像的であり、恣意的ではないということから、
言語という箱=定義の枠から除外されていました。(詳細は2019年10月の生活記録をご参照ください)
スライド7.jpeg

学問という正当な真理というものも結局は中立でないのです

また、フーコーは、この権力と紙一重である言説は、上記の学問をはじめとし、
その知識を生成する学校や刑務所など主に施設や制度などの組織(Institution)によって形成されることに着眼しました。

組織には絶対的な権限を持つ人がいます。聴力検査などの分類を通して、特定の集団、すなわちろう者を規格化しようとします。
こうした権限を持つ人は神格化され、周囲はその人の言うことに従順します。
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神格化された人によって行われる検査監視身体を規格化し訓練を通して人々を同一化します

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このように規格化されるプロセスが可視化されることで、あたかも公平であるように映り、
さらに身体を通して規格化されることで、人々は従順し、抗えなくなります
こうして身体の規格化を通して権力が使用されることを、生権力と言います。

C権力の産物としてのろう文化
権力の行使に気づき、それに対抗できるためには何が必要でしょうか。
権力への対抗が具体的な実践として体現化されてできた産物がろう文化というふうに私は解釈しています。
聴者との確固たる分離があったからこそ、ろう者独特の生活様式や価値観が生まれたということです。
だから、ろう文化は単に聴者とのの違いを語るだけでよいのかと思うことがしばしばあります。
こうした言説に基づく社会構造を紐解く作業を行うところの延長線に
ろう文化があることを忘れてはいけないと個人的には思っています。
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Dまとめ
以上より、哲学者や言語学者といった権威ある者たちが築き上げ、正当化された知識によって、
手話は音声言語より劣っているという言説が主流となったという歴史を見ることができます。
口話主義は1880年のミラノ会議を契機に始まったとよく言い伝えられていますが、
それはあくまでも国際的かつ政策的な決定であって、その思想はその当時に始まったものではないということがわかります。
さらに、その口話主義は、生権力を行使する学校や病院といった施設や制度を通して訓練によって強化し、手話を排除しようとしました。
権力は見えない形で抑圧を生んでいるということになります。

一方で、この見えざる権力がなければ、ろう学校が設立されることはなく、
そこでろうコミュニティやろう文化が生まれることもなかったかもしれません。
つまり、皮肉にもろう文化は権力の産物ともいえます。

<参考文献ペン
Bauman, H-D. (2008). Listening to phonocentrism with Deaf eyes: Derrida’s mute philosophy of (sign) language. A Biannual Journal, 9(1), January.
Foucault, M. (1977). Discipline and Punish. New York: Pantheon. In Rabinow, P (Ed). (1984). The Foucault Reader. New York: Pantheon.
Plato. (1998). Cratylus (C. D. C. Reeve、Trans). Indianapolis, IN. Hackett Publishing Company.
Posted by 皆川 at 23:11 | 奨学生生活記録 | この記事のURL