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聴覚障害者留学
 
 このブログは、2004年度より特定非営利活動法人(NPO)日本ASL協会が日本財団の助成の下実施しております「日本財団聴覚障害者海外奨学金事業」の奨学生がアメリカ留学の様子および帰国後の活動などについてお届けするものです。
 コメントでいただくご質問はブログに書かれている内容の範囲のみでお願いします。それ以外の留学に関するご質問は日本ASL協会の留学担当にお問い合わせ下さい。
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2020年2月生活記録【第16期生 皆川愛】[2020年03月08日(Sun)]
新型コロナウイルスの流行によって、大きな不安を感じていることと思います。
特に様々な情報が溢れかえっている中で、
何が正しいのか、正しくないのか、結果的に混乱を呼んでいると思います。

以下,情報が行き届きにくい方(子ども・外国語話者・視覚/聴覚障害など)を念頭に書かれており、
新型コロナウイルスの特徴、対処方法、予防法などの情報が網羅されていて、
信頼できる情報を掲載しておきます。(2020年3月7日時点)
スクリーンショット 2020-03-07 21.59.03.png

こちらより
監修が母校である大学の堀成美先生で、ろう・難聴者へのサポート情報の欄もあります。

一部抜粋「今回の新型コロナウイルスの予防対応のように、多くの方がマスクをして過ごしている状況では、口元の動きを読んで話の内容を理解・予測することが難しくなります。こうした困りごとへのサポートとしては、筆談やスマートフォンにテキストを打つといった代替手段でのコミュニケーションを行うことが有効です。」
と書かれていますが、コミュニケーション方法が限定的ですね。
手話でのアクセスについても言及してもらえるように、メールしておきました。

*3月21日現在、意見が反映され、
「今回の新型コロナウイルスの予防対応のように、多くの方がマスクをして過ごしている状況では、口元の動きを読んで話の内容を理解・予測することや、手話における非手指動作を見ることが難しくなります。
こうした困りごとへのサポートとしては、筆談やスマートフォンにテキストを打つといった代替手段でのコミュニケーションを行うことが有効です。ただし、手話を第一言語とする方の場合、テキストコミュニケーションの内容理解や表出が難しい場合があります。その場合は、その方の無理のないペースに合わせる、イラストや写真をあわせて見せる、身振り手振りを交えるといった工夫をしてみてください。
と追加・修正していただきました。

カチンコ動画はこちらより
(遅れて3/12にアップしました)

@はじめに(0:04
A障害の定義(1:59
Bろうに関する説明とモデル(5:55
Cまとめ(11:52

前置きが長くなりましたが、
今月のお題は、「ろう・難聴者は障害を有しているか」です。
この議論はよくあるようで、しかしながら明確な答えはなく、無意味なのかもしれませんが、
ろう者とは?障害とは?を考える契機になったので、書かせてください。

20代前半の私だったら、その問いに即座に「違う(=ろうは障害者ではない)」と答えていました。ろう文化の概念を学び、ろう者が困難を抱えているのは、社会が手話を言語として承認せず、
それによる生活が保障されていないからだと批判し、角を立てていたように思います。
身体障害者手帳を持ち、行政からの障害というラベルを受け入れた上で、
手話通訳サービスを自己負担なしで依頼していたにも関わらずです。

今、当時の私の答えが間違っているとも、正しいとも言いません。
ただ、どの観点 “standpoint”に立つかで、上記の問いの答えは変化することを学びました。
そして、私の答えも多様に広がっていきました。
12月の生活記録でも書いたように、ろうの意味を何とするかがポイントとなってくると思います。

@障害の定義

まず、障害とは何か、二つの定義を見てみたいと思います。

1. 国際障害分類(ICIDH)
まず、国連下にある世界保健機関の国際障害分類では、障害のレベルを三つに分類しています。
1.jpg

この定義は、疾病⇒機能障害(能力低下)⇒社会的不利というように直線的に障害を捉える、
また障害を個人の問題に癒着しているというその考えに疑問が上がり、
人と環境との関係にも目を向け、かつ生活機能に着目しようという流れから、
WHOから新たに国際生活機能分類(ICF)が提唱されました。

2. 国際生活機能分類(ICF)の定義
2.jpg


活動・参加をゴールに、それを妨げているのは健康状態とそれに関連する心身機能だけでなく、
社会的に求められている活動や、環境、個人因子が複雑に絡み合っていると言います。

2001年にアップデートされた分類のコードを見ると、活動と参加のうちコミュニケーションの箇所に「公式手話によるメッセージの理解 “Communicating with receiving formal sign language messege”」と「公式手話によるメッセージの表出 ”Producing message in formal sign language”」が含まれていました。

しかし、心身機能のうち、音声と発話の機能では、音声言語の産生に焦点が当てられ、
手話による表出は含まれていません。まだまだ発展途上と言えるでしょう。
ですが、人々の生活の中にある活動として、手話が含まれているのは、大きな一歩だと思います。

この枠組みでは、参加が初歩的なゴールです。
例えば、アフリカのある地域で水汲みが日常的な活動として期待される場合、
歩行障害は、大きな制約となり命に関わる事象となりうります。
一方、アメリカにおいて、生活の中で多少の制約はありますが、
労働・雇用においてデスクワークなどの仕事の機会もあり、歩行障害はさほど問題にならないかもしれません(Wendell, 1997)。

ろう者に関してはどうでしょうか。
私は以前、ろう難聴者が利用者である老人ホームで働いていました。
そこでは手話によるコミュニケーションが中心で、建物も視覚的に優位なように設計されていました。
ろう職員の交渉によって、施設内の職員間の連絡方法にタブレットによるビデオ電話が取り入れられました。
そこでは当然、自身の聴覚障害を認識することはありませんでした。
しかし、大学病院への応募では、雇用の可能性はない、あるとしてもコミュニケーションがほぼルーティンでかつ少ない採血室でしか働かせられないと言われました。
前者と後者では、自分が感じる障壁はかなり違うものでした。

また、年代によって、障害というラベルによって経験されることも異なってきます。
1900年代後半のろう教育に見られた厳正な口話教育、手話の禁止は、現在ではかなり変化しています。
また、1950年をピークに実施されてきた強制不妊術は今日では禁止されています。

当事者といえども私が経験している現象は全てのろう者に当てはまるとは言えませんし、
ろう者は障害かと言われるとなんとも言えません。

ただし、
障害は社会的に構築されている=活動や参加の期待は社会的に構築されているといえます。

A障害にまつわる様々なモデル


次に、ろうに関する様々なモデルについても見ていきます。
3.jpg


1. 少数者モデル
アメリカでは、1960年代からマイノリティグループによる権利運動が、
女性→有色人種→性的少数者(LGBTQA)→障害者の順で行われてきました。
これらのグループは、身体のある特質を理由に正当化し、コントロールされてきました(Baynton, 2006)。
例えば、女性は「感情的」「非理性的」という特質を理由に選挙権を与えられませんでした。
有色人種は平均的に白人より「頭蓋骨が小さい」ことを理由に脳が発達していないものとして、
人種的に劣っているとして、奴隷として扱うといったことが行われました。
ある身体的特質をエビデンスとし、合理化し、マイノリティグループにある人たちを排除してきたことがあります。
特に、米国では、ろう者は民族/人種的少数者と主張することもできます。
民族モデル “Ethinicity model” は、身体的特質の差異からそれぞれ特有のコミュニティを形成し、
そこで言語や歴史が代々的に継承されてきたという点で、ろうコミュニティに共通するとは言えます(Baynton, 2007)

2. 文化モデル
その後、1980年代から、Padden&Humphries (1985)やLane (1996) によって、
ろう者特有のろう文化やアイデンティティが提唱され始めました。
障害と引き換えに、文化・言語的マイノリティであるという主張が出てきました。
身体的特質による差別化、障害というラベルは優生思想をはらみ、強制不妊術や口話教育を生み出しました。
こうした従来の障害の枠組みから離脱するための抵抗としては必要な過程だったとBaynton(2007)は言います。
アイデンティティを基盤に、自分たちの権利を主張する手段としてです。
ただし、文化モデル “Cultural model”は、手話や行動様式を前提としているため、
身体については触れていません。
かといってろう者は、身体的特質を抜きにして感覚体験などの違いについて説明するのは困難であると指摘しています。
また、誰かがろう者ではないと言ったように排除するのにも問題があります。

3. 障害モデルと少数者モデル
そして、Baynton(2007)は、ろう者を少数者として主張するのと、障害者と主張するのでは、
どちらの方が合理的か、という疑問を投げかけています。
米国の法的根拠に鑑みれば、後者の方が合理的配慮が受けられ、ベネフィットも多いだろうと指摘しています。
もし、ろう者が障害者のラベルを廃棄するのであれば、合理的配慮と言われるサービスが受けられなくなり、
ろう者の生活はさらに後退するであろうと主張しています。

4. ポストモダンとしての未開発モデル

Davis(2007)は、こうした枠組みとなる様々なモデルを踏まえ、新しい視点の必要性を唱えています。
男女の二項対立に固執していた従来の女性学はジェンダー学となって発展し、対象を広げています。ろう者学も伝統的な枠組みからの脱構築としてポストモダンの視点での発展が必要だと主張しています。

そうした流れを受けて、生物学的、文化的多様性の枠組みでろうを捉えるデフゲイン(Bauman & Murray, 2015)が提唱されたのだと私は理解しています。
障害は社会にとって何をもたらすのか、生物学的多様性のレンズでみると、
人間は凸凹、差異があるからこそ、社会が発展し、健全な社会に貢献できると言えるからです。
そこにヒエラルキーもありません。

Bまとめ
障害の定義、ろうに関する様々なモデルを概観すると、「ろう者は障害者か」という問いへの答えは簡単ではないと思います。
ろう者としての自分の立場をどう主張するか、どの観点に立つか、次第だとも言えると思います。
この機にみなさんも考えてみてください。


<参考文献>
Baynton, D. C. (2006). Disability and the justification of inequality in American history. In L. J. Davis (Ed.), The disability studies reader (p.17-34). Routledge.

Baynton, D. C. (2007). Beyond culture: Deaf Studies and Deaf body. In H-D. Bauman (Ed.), Open your eyes: Deaf studies talking (p.293-313).  Mississippi, MI. University of Minnesota Press.

Davis, L. J. (2007). Postdefness. In H-D. Bauman (Ed.), Open your eyes: Deaf studies talking (p.314-325).  Mississippi, MI. University of Minnesota Press.

Lane, H. (2002). Do Deaf people have a disability. Sign Language Studies, 2 (4). 356-379.

Wendell, S. (1997). The rejected body. New York: Routledge.

世界保健機構 (WHO). (2001). 国際生活機能分類. Retrieved March 7th, 2020 from https://apps.who.int/iris/bitstream/handle/10665/42407/9241545429-jpn.pdf?sequence=313&isAllowed=y
Posted by 皆川 at 14:55 | 奨学生生活記録 | この記事のURL
2020年2月生活記録【第13期生 山田茉侑】[2020年03月08日(Sun)]
みなさまこんにちは。
アメリカでも、コロナウィルスの流行でボストン大学やあちこちの聾学校が休校になっています。前月から実習でお世話になっているテキサス州立聾学校はまだ休校の話が出ていません。ただ春休みが明けた後はどうなるかわかりません。わたしのクラス(幼稚部)では毎日誰かが風邪で休んでいます。出来る限り手洗い消毒の時間をとり、口周りや鼻を触らないよう指導しています。

今月は、わたしのクラスで発見した、役立ちそうな“テクノロジーを活用した教育”をいくつか紹介したいと思います。

1)インスタグラム
先生が、日々子どもたちの写真やビデオを撮っているのです。毎日そんなに写真を撮ってどうするのかなと思っていたら、「クラス限定のInstagramがあるのよ。」なるほど!これはいいアイデアだと思いました。
子どもたちの創作活動中の写真や、「何をしているのか、何を習ったのか」を子どもたち自身が説明したA S Lビデオを、毎日放課後に幼稚部クラスのアカウントからインスタグラムにアップロードしています。インスタグラムを通して、保護者は子どもが学校で何をしているのかを知ることができます。

2)iPad、keynote
教室には4つiPadがあり、英語や算数、そのほかのクラスで大活躍してくれます。例えば、絵本の読み聞かせのあとに、物語の「起・承・転・結」をiPadのkeynoteを使ってビデオに撮るアクティビティなどに使えます。ただ普通にカメラを開いて動画を撮るような方法だと、5歳児の子どもたちはiPadで遊びはじめます。なのであらかじめ3つしか動画を撮れない、というような「限定」をkeynote上で作るといいと思います。

以下の写真の左端にある3つの動画をクリックすると、その場で動画を撮れてそのまま簡単に埋め込めるようにしています。

keynote.png

手続き:
Keynoteに写真を貼り付け、その写真をクリックしたあとに上部にあるフォーマット欄の一番した「詳細」の中にある「メディアプレースホルダーとして定義」をクリックすると、写真の中にこのような写真の枠が出てきます(赤い丸で囲んだところ)。

Screen Shot 2020-03-07 at 4.54.03 PM.png

iPad上でそれをクリックすると、簡単にビデオ撮影ができ、勝手に指定した写真の中にアップロードできるようにしています。この方法だと、子どもたちもあといくつ何の
動画を撮ればいいのか見てわかりやすいので、モチベーションアップにもつながります。



この方法を応用してある授業の総締めでは、恐竜図鑑を作るアクティビティ(3日間 計30分)をしました。

1日目:好きな恐竜を選んで色を塗り、恐竜の名前を描く。説明したい部位にシールを貼る。
放課後、macを使って子どもたちが描いた恐竜のイラストをkeynoteにアップロードし、その写真を「インスタントアルファ」で背景を透明にしました。(インスタントアルファの詳しい使い方: http://www.keynote-study.com/apple-lesson_3-5.html
そして、先ほど説明したビデオ埋め込みの方法を使って、子どもたちが自らkeynote上でA S Lのビデオを撮り、それを直にキーノートに埋め込めるようにしました。

Screen Shot 2020-03-07 at 5.38.04 PM.png

2日目:今まで習った恐竜の体の各部位をA S Lで説明し、ビデオを撮る。
子どもたちが自らkeynote上でA S Lのビデオ撮り、それを直にキーノートに埋め込みます。

Screen Shot 2020-03-07 at 9.43.02 PM.png

3日目:撮影したA S Lビデオを参考にしながら英文を書き、それを各ビデオの下に埋め込む。
まずは授業中に子どもたちが英文をパーッと書きます。放課後にその紙を撮影してmacを使ってkeynoteにアップロードし、「インスタントアルファ」の上にある「マスクを編集」を使って文ごとにトリミングし、各ビデオの下に各文を置きました。

子どもたちも、自分の絵がkeynoteにある、嬉しい!図鑑みたいにいっぱい説明したい、いっぱい書きたい!と楽しく取り組んでいました。ビデオを使った授業作りの参考になれば幸いです。


3)朝の会の歌
先生オリジナルの朝の会の手話歌をビデオに撮ったものを毎朝流しており、みんなで真似して歌っていました。前週ボストン大学の先生が見学に来て、アドバイスでちょっと手を加え、ワーキングメモリーを強化させるような歌に変えました。
例えば、日本手話でいうと二拍子で手の形手(パー)(パー)を共通して使った手話を「頭周り/口周り/胴体/腕/空間」の順番で流していきます。「オープンマインド/本当?/わかる/プロ/CL: スムーズに進む」 それをスピードアップさせたり、スピードダウンさせたり、順番を逆にした手話歌のビデオを何回も何回も流し、リズムに合わせて太鼓を鳴らすことで、聴者が電話番号を瞬間的に覚えられるように、5つの手話を通して子どもたちのワーキングメモリーを鍛えられるのです。



詳しくは2018年12月のわたしの生活記録をご覧ください。


長かった実習も終わりに近づいています。毎日無我夢中で夢にまで実習が出てきてうなされる日々が終わるのかと思うと嬉しいような、大好きな子どもたちや先生たちとお別れするのかと思うと悲しいような、複雑な気持ちです。逃げたいと思ったことは数えきれません。でも、アメリカで教育現場に立ち、いろんな感情と戦いながら子どもたちと向き合えたことは一生の宝物になるのだろうな、と今からしみじみと感じています。

みなさまも体調に気をつけてください。
それでは来月にまたお会いしましょう。
Posted by 山田 at 12:44 | 奨学生生活記録 | この記事のURL
2020年2月生活記録【第13期生 橋本重人】[2020年03月07日(Sat)]
みなさん、こんにちは。日本にいる友人からコロナウイルスのニュースがメールで送られてきて、見てみると日本での感染者は360人になったようです(3月6日時点)。公立の小中高への臨時休校要請やトイレットペーパーやティシュの買い占め騒動など、あちこちで影響が出ていて心配ですが、早く収まって欲しいものです。一方、アメリカではインフルエンザが爆発的に流行しているので、手洗いとうがいを念入りにしています。

今回の生活記録は、印象に残ったある友人たちの会話をシェアしたいと思います。

二人はアメリカ人のろう者です。

IMG_3001.png


A:「また気温が下がったなぁ。こないだまでは暖かかったのに。」
B:「ほんとだね。」
A:「気温が上がったり下がったり(手のひらを下に向けてジグザグと後ろから前へと動かす)していて、嫌になるね。」
B:「そうそう、それを英語でFLUCTUATE(変動する)っていうの、知ってるよね?」
A:「ううん、知らない。」
B:「え!知らないの?!」
Aはあまりいい気分ではなくなってしまいました。

そういえば以前にも、ギャロデット大学の図書館で、あるろう学生が書くことを苦手とするろう学生に対して、そういった「え、知らないの?!」という態度を示していた場面を何回か見たことがあります。そう言われたろう学生は言い返すことができずにその場を去っていきました。私自身も英語学習者なので、立ち去った側の気持ちが分からなくもありませんが、私は明らかに国際学生のため周りからそういうことを言われたことがありません。

例えば日本手話で、左手の甲の上に右手を垂直に乗せてから右手をあげまて「ありがとう」と表現した時に「それをイタリア語では『Grazie』って書くんだよ、知ってた?」と言われても、へぇと抵抗もなく聞き入れますよね。なぜなら、日本手話とイタリア語は全く違う言語であると受け入れているからです。
では、「それを日本語では『ありがとう』と書くんだよ、知ってた?」って言われたらどう思いますか?前者と同じ気持ちにはならないのでしょうか。
なぜでしょう、それは日本手話と日本語がセットになっているからです。日本手話と日本語は違う言語のはずなのに、あれ?って思いますよね。

もし「知らないの?」と言われても、自分の書記言語の語彙数に嘆く必要はありません。手話で意味を理解できているから、自分を恥じる必要はありません。「へぇ、そうなんだ、一つ新しい単語を知ることができた!」という気持ちでいくといいです。

日本手話を日本語に置き換えることが苦手な人に対して「え!知らないの!?」という態度を示すことは失礼なことになります。私自身、日本のろう学校教員時代を思い出してみると、児童たちに無意識にそんな態度を示してしまったような気がします。今まで担当した児童・生徒たちに申し訳ない気持ちになりました。ろう学校の先生は、日本手話と日本語は別の言語であることを理解した上で、子どもたちの手話表現を読み取り、日本語ではこのように表現するよと常に伝える必要があります。先生たちのそういった些細な言動で、児童・生徒の言語学習意欲が左右されることを肝に命じておく必要があります。

そんな失敗をしないようにと、前述の友人たちの会話を自分の戒めとすることができました。

それでは、また来月にお会いしましょう。

IMG_3002.JPG
1月から週に1〜2回程度、ギャロデット大学のフィールドでジョギングをしています。
Posted by 橋本 at 12:39 | 奨学生生活記録 | この記事のURL