2020年2月生活記録【第16期生 皆川愛】[2020年03月08日(Sun)]
新型コロナウイルスの流行によって、大きな不安を感じていることと思います。
特に様々な情報が溢れかえっている中で、
何が正しいのか、正しくないのか、結果的に混乱を呼んでいると思います。
末筆に情報が行き届きにくい方(子ども・外国語話者・視覚/聴覚障害など)を念頭に書かれており、
新型コロナウイルスの特徴、対処方法、予防法などの情報が網羅されていて、
信頼できる情報を掲載しておきます。(2020年3月7日時点)
今月のお題は、ろう者は障害者かです。
この議論はよくあるようで、しかしながら明確な答えはなく、無味乾燥かもしれませんが、
ろう者とは?障害とは?を考える契機になったので、取り上げることにしました。
動画はこちらより
(遅れて3/12にアップしました)
@はじめに(0:04)
A障害の定義(1:59)
Bろうに関する説明とモデル(5:55)
Cまとめ(11:52)
20代前半の私だったら、その問いに即座に「違う(=ろうは障害者ではない)」と答えていました。ろう文化の概念を学び、ろう者が困難を抱えているのは、社会が手話を言語として承認せず、
それによる生活が保障されていないからだと批判し、角を立てていたように思います。
身体障害者手帳を持ち、行政からの障害というラベルを受け入れた上で、
手話通訳サービスを自己負担なしで依頼していたにも関わらずです。
今、当時の私の答えが間違っているとも、正しいとも言いません。
ただ、どの観点 “standpoint”に立つかで、上記の問いの答えは変化することを学びました。
そして、私の答えも多様に広がっていきました。
12月の生活記録でも書いたように、ろうの意味を何とするかがポイントとなってくると思います。
@障害の定義
まず、障害とは何か、二つの定義を見てみたいと思います。
1. 国際障害分類(ICIDH)
まず、国連下にある世界保健機関の国際障害分類では、障害のレベルを三つに分類しています。
この定義は、疾病⇒機能障害(能力低下)⇒社会的不利というように直線的に障害を捉える、
また障害を個人の問題に癒着しているというその考えに疑問が上がり、
人と環境との関係にも目を向け、かつ生活機能に着目しようという流れから、
WHOから新たに国際生活機能分類(ICF)が提唱されました。
2. 国際生活機能分類(ICF)の定義
活動・参加をゴールに、それを妨げているのは健康状態とそれに関連する心身機能だけでなく、
社会的に求められている活動や、環境、個人因子が複雑に絡み合っていると言います。
2001年にアップデートされた分類のコードを見ると、活動と参加のうちコミュニケーションの箇所に「公式手話によるメッセージの理解 “Communicating with receiving formal sign language messege”」と「公式手話によるメッセージの表出 ”Producing message in formal sign language”」が含まれていました。
しかし、心身機能のうち、音声と発話の機能では、音声言語の産生に焦点が当てられ、
手話による表出は含まれていません。まだまだ発展途上と言えるでしょう。
ですが、人々の生活の中にある活動として、手話が含まれているのは、大きな一歩だと思います。
この枠組みでは、参加が初歩的なゴールです。
例えば、アフリカのある地域で水汲みが日常的な活動として期待される場合、
歩行障害は、大きな制約となり命に関わる事象となりうります。
一方、アメリカにおいて、生活の中で多少の制約はありますが、
労働・雇用においてデスクワークなどの仕事の機会もあり、歩行障害はさほど問題にならないかもしれません(Wendell, 1997)。
ろう者に関してはどうでしょうか。
私は以前、ろう難聴者が利用者である老人ホームで働いていました。
そこでは手話によるコミュニケーションが中心で、建物も視覚的に優位なように設計されていました。
ろう職員の交渉によって、施設内の職員間の連絡方法にタブレットによるビデオ電話が取り入れられました。
そこでは当然、自身の聴覚障害を認識することはありませんでした。
しかし、大学病院への応募では、雇用の可能性はない、あるとしてもコミュニケーションがほぼルーティンでかつ少ない採血室でしか働かせられないと言われました。
前者と後者では、自分が感じる障壁はかなり違うものでした。
また、年代によって、障害というラベルによって経験されることも異なってきます。
1900年代後半のろう教育に見られた厳正な口話教育、手話の禁止は、現在ではかなり変化しています。
また、1950年をピークに実施されてきた強制不妊術は今日では禁止されています。
当事者といえども私が経験している現象は全てのろう者に当てはまるとは言えませんし、
ろう者は障害かと言われるとなんとも言えません。
ただし、
障害は社会的に構築されている=活動や参加の期待は社会的に構築されているといえます。
A障害にまつわる様々なモデル
次に、ろうに関する様々なモデルについても見ていきます。
1. 少数者モデル
アメリカでは、1960年代からマイノリティグループによる権利運動が、
女性→有色人種→性的少数者(LGBTQA)→障害者の順で行われてきました。
これらのグループは、身体のある特質を理由に正当化し、コントロールされてきました(Baynton, 2006)。
例えば、女性は「感情的」「非理性的」という特質を理由に選挙権を与えられませんでした。
有色人種は平均的に白人より「頭蓋骨が小さい」ことを理由に脳が発達していないものとして、
人種的に劣っているとして、奴隷として扱うといったことが行われました。
ある身体的特質をエビデンスとし、合理化し、マイノリティグループにある人たちを排除してきたことがあります。
特に、米国では、ろう者は民族/人種的少数者と主張することもできます。
民族モデル “Ethinicity model” は、身体的特質の差異からそれぞれ特有のコミュニティを形成し、
そこで言語や歴史が代々的に継承されてきたという点で、ろうコミュニティに共通するとは言えます(Baynton, 2007)
2. 文化モデル
その後、1980年代から、Padden&Humphries (1985)やLane (1996) によって、
ろう者特有のろう文化やアイデンティティが提唱され始めました。
障害と引き換えに、文化・言語的マイノリティであるという主張が出てきました。
身体的特質による差別化、障害というラベルは優生思想をはらみ、強制不妊術や口話教育を生み出しました。
こうした従来の障害の枠組みから離脱するための抵抗としては必要な過程だったとBaynton(2007)は言います。
アイデンティティを基盤に、自分たちの権利を主張する手段としてです。
ただし、文化モデル “Cultural model”は、手話や行動様式を前提としているため、
身体については触れていません。
かといってろう者は、身体的特質を抜きにして感覚体験などの違いについて説明するのは困難であると指摘しています。
また、誰かがろう者ではないと言ったように排除するのにも問題があります。
3. 障害モデルと少数者モデル
そして、Baynton(2007)は、ろう者を少数者として主張するのと、障害者と主張するのでは、
どちらの方が合理的か、という疑問を投げかけています。
米国の法的根拠に鑑みれば、後者の方が合理的配慮が受けられ、ベネフィットも多いだろうと指摘しています。
もし、ろう者が障害者のラベルを廃棄するのであれば、合理的配慮と言われるサービスが受けられなくなり、
ろう者の生活はさらに後退するであろうと主張しています。
4. ポストモダンとしての未開発モデル
Davis(2007)は、こうした枠組みとなる様々なモデルを踏まえ、新しい視点の必要性を唱えています。
男女の二項対立に固執していた従来の女性学はジェンダー学となって発展し、対象を広げています。ろう者学も伝統的な枠組みからの脱構築としてポストモダンの視点での発展が必要だと主張しています。
そうした流れを受けて、生物学的、文化的多様性の枠組みでろうを捉えるデフゲイン(Bauman & Murray, 2015)が提唱されたのだと私は理解しています。
障害は社会にとって何をもたらすのか、生物学的多様性のレンズでみると、
人間は凸凹、差異があるからこそ、社会が発展し、健全な社会に貢献できると言えるからです。
そこにヒエラルキーもありません。
Bまとめ
障害の定義、ろうに関する様々なモデルを概観すると、「ろう者は障害者か」という問いへの答えは簡単ではないと思います。
ろう者としての自分の立場をどう主張するか、どの観点に立つか、次第だとも言えると思います。
この機にみなさんも考えてみてください。
<参考文献>
Baynton, D. C. (2006). Disability and the justification of inequality in American history. In L. J. Davis (Ed.), The disability studies reader (p.17-34). Routledge.
Baynton, D. C. (2007). Beyond culture: Deaf Studies and Deaf body. In H-D. Bauman (Ed.), Open your eyes: Deaf studies talking (p.293-313). Mississippi, MI. University of Minnesota Press.
Davis, L. J. (2007). Postdefness. In H-D. Bauman (Ed.), Open your eyes: Deaf studies talking (p.314-325). Mississippi, MI. University of Minnesota Press.
Lane, H. (2002). Do Deaf people have a disability. Sign Language Studies, 2 (4). 356-379.
Wendell, S. (1997). The rejected body. New York: Routledge.
世界保健機構 (WHO). (2001). 国際生活機能分類. Retrieved March 7th, 2020 from https://apps.who.int/iris/bitstream/handle/10665/42407/9241545429-jpn.pdf?sequence=313&isAllowed=y
新型コロナウイルスに関する情報
こちらより
監修が母校である大学の堀成美先生で、ろう・難聴者へのサポート情報の欄もあります。
一部抜粋「今回の新型コロナウイルスの予防対応のように、多くの方がマスクをして過ごしている状況では、口元の動きを読んで話の内容を理解・予測することが難しくなります。こうした困りごとへのサポートとしては、筆談やスマートフォンにテキストを打つといった代替手段でのコミュニケーションを行うことが有効です。」
と書かれていますが、コミュニケーション方法が限定的ですね。
手話でのアクセスについても言及してもらえるように、メールしておきました。
↓
*3月21日現在、意見が反映され、
「今回の新型コロナウイルスの予防対応のように、多くの方がマスクをして過ごしている状況では、口元の動きを読んで話の内容を理解・予測することや、手話における非手指動作を見ることが難しくなります。
こうした困りごとへのサポートとしては、筆談やスマートフォンにテキストを打つといった代替手段でのコミュニケーションを行うことが有効です。ただし、手話を第一言語とする方の場合、テキストコミュニケーションの内容理解や表出が難しい場合があります。その場合は、その方の無理のないペースに合わせる、イラストや写真をあわせて見せる、身振り手振りを交えるといった工夫をしてみてください。」
と追加・修正していただきました。
特に様々な情報が溢れかえっている中で、
何が正しいのか、正しくないのか、結果的に混乱を呼んでいると思います。
末筆に情報が行き届きにくい方(子ども・外国語話者・視覚/聴覚障害など)を念頭に書かれており、
新型コロナウイルスの特徴、対処方法、予防法などの情報が網羅されていて、
信頼できる情報を掲載しておきます。(2020年3月7日時点)
今月のお題は、ろう者は障害者かです。
この議論はよくあるようで、しかしながら明確な答えはなく、無味乾燥かもしれませんが、
ろう者とは?障害とは?を考える契機になったので、取り上げることにしました。
動画はこちらより
(遅れて3/12にアップしました)
@はじめに(0:04)
A障害の定義(1:59)
Bろうに関する説明とモデル(5:55)
Cまとめ(11:52)
20代前半の私だったら、その問いに即座に「違う(=ろうは障害者ではない)」と答えていました。ろう文化の概念を学び、ろう者が困難を抱えているのは、社会が手話を言語として承認せず、
それによる生活が保障されていないからだと批判し、角を立てていたように思います。
身体障害者手帳を持ち、行政からの障害というラベルを受け入れた上で、
手話通訳サービスを自己負担なしで依頼していたにも関わらずです。
今、当時の私の答えが間違っているとも、正しいとも言いません。
ただ、どの観点 “standpoint”に立つかで、上記の問いの答えは変化することを学びました。
そして、私の答えも多様に広がっていきました。
12月の生活記録でも書いたように、ろうの意味を何とするかがポイントとなってくると思います。
@障害の定義
まず、障害とは何か、二つの定義を見てみたいと思います。
1. 国際障害分類(ICIDH)
まず、国連下にある世界保健機関の国際障害分類では、障害のレベルを三つに分類しています。
この定義は、疾病⇒機能障害(能力低下)⇒社会的不利というように直線的に障害を捉える、
また障害を個人の問題に癒着しているというその考えに疑問が上がり、
人と環境との関係にも目を向け、かつ生活機能に着目しようという流れから、
WHOから新たに国際生活機能分類(ICF)が提唱されました。
2. 国際生活機能分類(ICF)の定義
活動・参加をゴールに、それを妨げているのは健康状態とそれに関連する心身機能だけでなく、
社会的に求められている活動や、環境、個人因子が複雑に絡み合っていると言います。
2001年にアップデートされた分類のコードを見ると、活動と参加のうちコミュニケーションの箇所に「公式手話によるメッセージの理解 “Communicating with receiving formal sign language messege”」と「公式手話によるメッセージの表出 ”Producing message in formal sign language”」が含まれていました。
しかし、心身機能のうち、音声と発話の機能では、音声言語の産生に焦点が当てられ、
手話による表出は含まれていません。まだまだ発展途上と言えるでしょう。
ですが、人々の生活の中にある活動として、手話が含まれているのは、大きな一歩だと思います。
この枠組みでは、参加が初歩的なゴールです。
例えば、アフリカのある地域で水汲みが日常的な活動として期待される場合、
歩行障害は、大きな制約となり命に関わる事象となりうります。
一方、アメリカにおいて、生活の中で多少の制約はありますが、
労働・雇用においてデスクワークなどの仕事の機会もあり、歩行障害はさほど問題にならないかもしれません(Wendell, 1997)。
ろう者に関してはどうでしょうか。
私は以前、ろう難聴者が利用者である老人ホームで働いていました。
そこでは手話によるコミュニケーションが中心で、建物も視覚的に優位なように設計されていました。
ろう職員の交渉によって、施設内の職員間の連絡方法にタブレットによるビデオ電話が取り入れられました。
そこでは当然、自身の聴覚障害を認識することはありませんでした。
しかし、大学病院への応募では、雇用の可能性はない、あるとしてもコミュニケーションがほぼルーティンでかつ少ない採血室でしか働かせられないと言われました。
前者と後者では、自分が感じる障壁はかなり違うものでした。
また、年代によって、障害というラベルによって経験されることも異なってきます。
1900年代後半のろう教育に見られた厳正な口話教育、手話の禁止は、現在ではかなり変化しています。
また、1950年をピークに実施されてきた強制不妊術は今日では禁止されています。
当事者といえども私が経験している現象は全てのろう者に当てはまるとは言えませんし、
ろう者は障害かと言われるとなんとも言えません。
ただし、
障害は社会的に構築されている=活動や参加の期待は社会的に構築されているといえます。
A障害にまつわる様々なモデル
次に、ろうに関する様々なモデルについても見ていきます。
1. 少数者モデル
アメリカでは、1960年代からマイノリティグループによる権利運動が、
女性→有色人種→性的少数者(LGBTQA)→障害者の順で行われてきました。
これらのグループは、身体のある特質を理由に正当化し、コントロールされてきました(Baynton, 2006)。
例えば、女性は「感情的」「非理性的」という特質を理由に選挙権を与えられませんでした。
有色人種は平均的に白人より「頭蓋骨が小さい」ことを理由に脳が発達していないものとして、
人種的に劣っているとして、奴隷として扱うといったことが行われました。
ある身体的特質をエビデンスとし、合理化し、マイノリティグループにある人たちを排除してきたことがあります。
特に、米国では、ろう者は民族/人種的少数者と主張することもできます。
民族モデル “Ethinicity model” は、身体的特質の差異からそれぞれ特有のコミュニティを形成し、
そこで言語や歴史が代々的に継承されてきたという点で、ろうコミュニティに共通するとは言えます(Baynton, 2007)
2. 文化モデル
その後、1980年代から、Padden&Humphries (1985)やLane (1996) によって、
ろう者特有のろう文化やアイデンティティが提唱され始めました。
障害と引き換えに、文化・言語的マイノリティであるという主張が出てきました。
身体的特質による差別化、障害というラベルは優生思想をはらみ、強制不妊術や口話教育を生み出しました。
こうした従来の障害の枠組みから離脱するための抵抗としては必要な過程だったとBaynton(2007)は言います。
アイデンティティを基盤に、自分たちの権利を主張する手段としてです。
ただし、文化モデル “Cultural model”は、手話や行動様式を前提としているため、
身体については触れていません。
かといってろう者は、身体的特質を抜きにして感覚体験などの違いについて説明するのは困難であると指摘しています。
また、誰かがろう者ではないと言ったように排除するのにも問題があります。
3. 障害モデルと少数者モデル
そして、Baynton(2007)は、ろう者を少数者として主張するのと、障害者と主張するのでは、
どちらの方が合理的か、という疑問を投げかけています。
米国の法的根拠に鑑みれば、後者の方が合理的配慮が受けられ、ベネフィットも多いだろうと指摘しています。
もし、ろう者が障害者のラベルを廃棄するのであれば、合理的配慮と言われるサービスが受けられなくなり、
ろう者の生活はさらに後退するであろうと主張しています。
4. ポストモダンとしての未開発モデル
Davis(2007)は、こうした枠組みとなる様々なモデルを踏まえ、新しい視点の必要性を唱えています。
男女の二項対立に固執していた従来の女性学はジェンダー学となって発展し、対象を広げています。ろう者学も伝統的な枠組みからの脱構築としてポストモダンの視点での発展が必要だと主張しています。
そうした流れを受けて、生物学的、文化的多様性の枠組みでろうを捉えるデフゲイン(Bauman & Murray, 2015)が提唱されたのだと私は理解しています。
障害は社会にとって何をもたらすのか、生物学的多様性のレンズでみると、
人間は凸凹、差異があるからこそ、社会が発展し、健全な社会に貢献できると言えるからです。
そこにヒエラルキーもありません。
Bまとめ
障害の定義、ろうに関する様々なモデルを概観すると、「ろう者は障害者か」という問いへの答えは簡単ではないと思います。
ろう者としての自分の立場をどう主張するか、どの観点に立つか、次第だとも言えると思います。
この機にみなさんも考えてみてください。
<参考文献>
Baynton, D. C. (2006). Disability and the justification of inequality in American history. In L. J. Davis (Ed.), The disability studies reader (p.17-34). Routledge.
Baynton, D. C. (2007). Beyond culture: Deaf Studies and Deaf body. In H-D. Bauman (Ed.), Open your eyes: Deaf studies talking (p.293-313). Mississippi, MI. University of Minnesota Press.
Davis, L. J. (2007). Postdefness. In H-D. Bauman (Ed.), Open your eyes: Deaf studies talking (p.314-325). Mississippi, MI. University of Minnesota Press.
Lane, H. (2002). Do Deaf people have a disability. Sign Language Studies, 2 (4). 356-379.
Wendell, S. (1997). The rejected body. New York: Routledge.
世界保健機構 (WHO). (2001). 国際生活機能分類. Retrieved March 7th, 2020 from https://apps.who.int/iris/bitstream/handle/10665/42407/9241545429-jpn.pdf?sequence=313&isAllowed=y
新型コロナウイルスに関する情報
こちらより
監修が母校である大学の堀成美先生で、ろう・難聴者へのサポート情報の欄もあります。
一部抜粋「今回の新型コロナウイルスの予防対応のように、多くの方がマスクをして過ごしている状況では、口元の動きを読んで話の内容を理解・予測することが難しくなります。こうした困りごとへのサポートとしては、筆談やスマートフォンにテキストを打つといった代替手段でのコミュニケーションを行うことが有効です。」
と書かれていますが、コミュニケーション方法が限定的ですね。
手話でのアクセスについても言及してもらえるように、メールしておきました。
↓
*3月21日現在、意見が反映され、
「今回の新型コロナウイルスの予防対応のように、多くの方がマスクをして過ごしている状況では、口元の動きを読んで話の内容を理解・予測することや、手話における非手指動作を見ることが難しくなります。
こうした困りごとへのサポートとしては、筆談やスマートフォンにテキストを打つといった代替手段でのコミュニケーションを行うことが有効です。ただし、手話を第一言語とする方の場合、テキストコミュニケーションの内容理解や表出が難しい場合があります。その場合は、その方の無理のないペースに合わせる、イラストや写真をあわせて見せる、身振り手振りを交えるといった工夫をしてみてください。」
と追加・修正していただきました。