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聴覚障害者留学
 
 このブログは、2004年度より特定非営利活動法人(NPO)日本ASL協会が日本財団の助成の下実施しております「日本財団聴覚障害者海外奨学金事業」の奨学生がアメリカ留学の様子および帰国後の活動などについてお届けするものです。
 コメントでいただくご質問はブログに書かれている内容の範囲のみでお願いします。それ以外の留学に関するご質問は日本ASL協会の留学担当にお問い合わせ下さい。
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2020年1月生活記録【第13期生 橋本重人】[2020年02月08日(Sat)]
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ギャロデット大学のフィールド

こんにちは、2020年も2月になりましたね。去年の今頃は雪が降っており、気温も低くて家にこもってばかりいましたが、ここ数日は雪すら降らないばかりか逆に気温が15〜18度もあり、なんだか変な感じです。でも、来週あたりから気温は低くなるそうです。ここでは、インフルエンザがかなり流行っているため、手洗いとうがいをこまめにするようにしています。

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最近、発見したことがあります。大学構内のEly Centerを歩いていると、ある部屋のドアが開放されていて、たくさんのコートなどの衣服が並んでいる様子が見えました。なんだろうと気になりその部屋に入ってみると、衣類だけではなく壁際には食品が並んでいました。そこにいた学生に聞いてみると、食料や衣類の乏しい学生のために提供しているそうです。必要のなくなった衣類をHealth and Wellness Programsの職員やバイト学生に渡すと、担当者がそれらをチェックしてあの部屋に収め、最終的に必要な学生の手元に届きます。担当者に詳しく聞いてみると、ギャロデット大学の在学生の36%が食料や衣類に困っている、また、ノートや筆記用具など学校用品、歯磨き粉や洗剤などの日用品も受け入れているとのことでした。特にこのシーズンは、コートなどの厚手の上着を必要とする学生がたくさん求めに来るため、職員はその確認作業に忙しいと言っていました。後日、私もいくつかの日用品と食料を提供しました。「誰かの役に立ってくれるといいな」と思いながら職員に手渡しました。

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Health and Wellness Programsのフロントデスク


さて、いよいよギャロデット大学での最後の学期を迎えることになりました。最後の学期のクラスは4つ履修しています。

@Culture, Identity and the American Deaf Community(文化とアイデンティ、そして、アメリカのろうコミュニティ)
ADifferentiating Instruction(多彩な学習方法)
BAssessment of Deaf Students with Disabilities(ろう重複障害学生のアセスメント)
CIndependent Study(学生自主研究)

@のCulture, Identity and the American Deaf Communityのクラスはカウンセリング学部のクラスです。アメリカは多様性社会とも言われており、カウンセラーは様々なクライアントと出会うため、どのように対応すればいいかを臨機応変に考えなければいけません。クライアントの持つ背景、文化、そしてアイデンティティーを把握して、対応の仕方を先生や学生と議論しながら学習します。ろう発達障害といっても、それぞれの特徴、長所や短所、必要とする支援は多種多様です。私の探し求めていることにも当てはまるのではないかと思い、このクラスを履修しました。このクラスメートたちはメキシコ系、アフリカ系、ヨーロッパ系という人種、そしてろう学校育ち、デフファミリー出身、メインストリームで学んだ難聴、聴者とそれぞれの生育の背景が違います。手話のスキルにも差異があります。こういうところにも多様性の一端が垣間見えますね。

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クラス1日目には、ろうコミュニティに結び付けられるような人名(有名人など)や単語(大学、ろう、難聴、コーダなど)を出してはその語源や理由を学生同士で確認し合いました。知っている学生もいれば、知らない学生もいました。知らない学生にどのように説明するかも考察しなければなりません。どのような手段(インターネット、写真、指文字、英語など)で、どの順序(なぜ?いつ?誰が?)で説明したらいいかの練習になりました。このクラスで、背景も文化も違う学生同士でどんなことが得られるかが楽しみです。
Posted by 橋本 at 09:00 | 奨学生生活記録 | この記事のURL
2020年1月生活記録【第16期生 皆川愛】[2020年02月07日(Fri)]
今月はオーディズム”audism”についてです。
聴能至上主義とも訳せますが、今回はオーディズムを使うことにします。

カチンコ動画はこちらより




@〇〇ism(イズム)

米国では〇〇ism(イズム)の言葉をよく見かけます。
人種主義 “racism” (=ある特定の人種が優れており、ある人種は劣っているとみなすこと)や、
健常者優越主義 “ableism”(=障害者を能力がない存在としてみなすこと)など、
権威ある者やマジョリティによって、ある特定の集団を排除したり、差別したりするようなニュアンスを含みます

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こうしたイズム提唱の流れを受けて、自身もろう者であるトム・ハンフリーズ氏はオーディズムを
聴覚障害や聞こえることが優れているという聴覚優生主義やそれに伴う差別行為や構造全般
として定義づけました(Humpries, 1975)。


A反本質主義とオーディズム
オーディズムを理解するために、本質主義 “essentialism”について考えてみます。
(オーディズムの種類を知りたいという方はBに飛んでください)

本質主義とは、物事に普遍的な性質(=本質)があるとし、それによって正当化する考えです。
議論が起きそうですが、女性を説明するのに本質は何でしょうか。
昔、米国では、女性は感情的で非理性的ということを理由に、選挙権を与えなかった時代がありました。
こうした「感情的」や「非理性的」といった特質を脳神経学的にあたかも正当化し、
男性のみが政治権を握ってきました。
国や地域文化によって異なってきますが、
今の日本は妊孕性(子どもを産み育てること)に未だに執着しているように思います。
だから、医学部入試で女子学生が不利になるといった事態が起きるのだと思います。
根底に、医者には生涯休みなく長く働いて貢献してほしい、
女性は出産育児で一時休職が発生するからといった思想が入り混じっていることは否定できません。

しかしながら、女性の本質は妊孕性という特性なのでしょうか。
今日、性というのは、生物学的な男女といった二項対立だけでは説明しきれません。
Edward Saidは、本質主義は帝国主義の立場に基づき、権力を持つある特定の集団が社会の同意なしに決定したものであると指摘しています。
こうした伝統的な枠組み思想から脱出する立場反本質主義 “anti-essentialism”と言います。
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ろう者学は、反本質主義の観点でクリティークすることが常に求められています(Bauman, 2006)。
オーディズムは、能力を測定するにあたって「聴覚とそれに基づく行動が大前提」という本質主義に対抗するもので、
反本質主義の立場にあると言えます。

Bオーディズムの5つの次元
現在、私が知る限り5つの種類のオーディズムが提唱されており、それぞれ紹介させてください。
はじめに、これらのオーディズムは重なり合っており、
独立して存在するものではないことを強調しておきます。

なお、ハンフリーズ氏が1975年に博士論文でオーディズムを提唱した当時、
世間にはあまり知られず、米国においてようやく広まったのは
1992年のハーラン・レイン氏「邦題:善意の仮面-聴能主義とろう文化の闘い(日本では2007年)」という本の出版がきっかけでした。
書籍というインパクトの大きさもあるかもしれませんが、
レイン氏が聴者であり、ハンフリーズ氏がろう者だから、
という影響も否定はできないと言われています。

その後、オーディズムを様々な次元、レベルで捉えようと、
現在、5つのオーディズムが提唱されています。
それぞれの次元からろう者に対する抑圧や差別を捉えることで、
抑圧に対抗したり、擁護したりするためのヒントを得られるのではないかという私の所見です。

1. 形而上学的オーディズム“metaphysical audism”
形而上学的な問いは、「人間とは何か」から始まります。
Brueggemann(1999)は、西洋の観点から見た人間と、音声への異常な執着について、以下のようにまとめています。

人間にとって言語は不可欠であり、
その言語は音声で話されなければならない。
それゆえろう者は人間に等しくなく、ろうであることが問題となる。

人間にとって音声で話すということが本質という思想に基づいています。
これは、10月の生活記録で取り上げたデリダ氏の音声優勢主義 “phonocentrism”と言えます。
言語は音声であるという言説、今日でもそう信じている人は多くいます。
こうした哲学的思想による言説を形而上学的と呼び、
それが日常生活の中に実践として見られると批判しています(Bauman, 2003)。

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2. 個人的オーディズム “personal audism”
個人の能力や成功が、聴者基準の言語や行動に基づいて判断されるという考えです(Humpries, 1975)。
手話より、音声で話すろう者の方が就職活動において優位というデータも出ており、
個人のろう者に対する態度・バイアスが大きく影響しています。
こうした現象は社会の中でたくさん見られると思います。

3. 制度・システム的オーディズム “institutional audism”
レーン氏は、医療や教育などの制度や環境が聞こえるということに有利なようになっている状況を批判しました(Lane, 1992)。
ろう者(と診断され)として最初に出会うのが医療者であり、
彼らの多くは聞こえることを前提とし、そのための訓練を正当化するという権威を持っていると言います。
そして、口話という聴者基準の行動を追求するための訓練が
医学の枠を超え、ろう教育にも干渉されるようになりまし
た。
こうした制度やシステムに抗うのは簡単なことではありません。
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4. 自由競争主義オーディズム “Laissez-faire audism”
いまの医療・教育制度においては、医学モデルに基づく訓練(口話訓練)と、
そのための補助具(補聴器や人工内耳など)に関わる費用を政府が援助しています。
そして、特に医療においては、それらの開発が自由競争にあることで、
聞こえにまつわる資源が発展しながら生産されていく
ため、医学モデルが優位な状況を生んでいます(Eckert, 2010)。
それに対して、手話を学ぶ場は限られ、行政による予算も割り当てられていません。

5. 無意識的オーディズム “dysconsious audism”
ろう者がこうしたオーディズムによる社会的弊害を受け続けることで、
次第にろう者自身も手話は音声より劣っており、話すことを身につけなければならないと思い込むようになる、
すなわちろう者自信がオーディズムを無意識のうちに内在化してしまうことを無意識的オーディズムと呼びます(Gertz, 2003)。
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加えて、盲ろう者のClarkが自身のエッセイの中でディスタンシズム "Distancism”を提唱しています。
歴史的に、人間の感覚にとって聴覚と視覚の二つが世界を知覚するために最重要であり、
この二つの損失は社会参加を制限するとよく語られると言います。
盲ろう者にとって、世界と所属するに当たり、触れること”tactilehood”が重要ですが、
これが社会の中で軽視される傾向にあり、距離感覚が奪われていくことを指しています。
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Cまとめ
オーディズム、ろう者を取り巻く抑圧や差別は、一つの要因だけで説明できるものではなく
社会的に構築されてきた人間とは何かという形而上学的言説を根底に、
医療や教育システム、経済や政府の干渉などが複雑に絡み合っています
もぐらたたきではコンセントの行方がわかれば問題は即座に解決します。
オーディズムにまつわる差別や抑圧では、なかなかそうはいきません。
ただ、その分、個々の認識や態度を変えるための専門職養成、政策作り、教育システムへの介入など、
様々なアプローチがあると思います。
日本で起こっているオーディズムを想起し、そのためのアプローチについて考えるヒントになれば幸いです。

<参考文献>
Bauman, H-D. (2003). Audism: Exploring the metaphysics of oppression. Journal of Deaf Studies and Deaf Education, 9(2), 239-246.

Bauman, H-D. (2006). Toward a poetics of vision, space, and the body. In L. Davis (Ed.). The disability studies readers. New York, NY : Routledge.

Brueggemann, B. (1999). Lend me your ear: Rhetorical con- structions of deafness. Washington, DC: Gallaudet University Press.

Clark, J. L. (2019). Distancism. Retrieved from https://johnleeclark.tumblr.com/post/163762970913/distantism

Eckert, R.C. (2010). Toward a Theory of Deaf Ethnos. Journal of Deaf Studies and Deaf Education 15(4):317–33.

Gertz, G. (2007). Dysconsious audism: a theoretical proposition. In H-D. Bauman (Ed.), Open your eyes: Deaf Studies talking (p.219-234). Mississippi, MI. University of Minnesota Press.

Humphries, T. (1975). Audism: The making of a word. Unpublished essay.

Lane, H. (1992). Masks of benevolence: Disabling the deaf community. New York: Alfred Knopf.
Posted by 皆川 at 12:34 | 奨学生生活記録 | この記事のURL
2020年1月生活記録【第13期生 山田茉侑】[2020年02月03日(Mon)]
みなさまこんにちは、今月から実習のためテキサス州にいます。

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写真は、テキサス州立ろう学校の正門前。


こちら、冬なのに昼間は20度を超え、青々とした木々や草花が一面に生い茂り、アイスクリーム屋さんは毎日大行列を作り売り上げ絶好調なようです。インフルエンザの噂はまだ聞きません。
現在花粉症を発症中で、何かが間違っていると身体が叫んでいます。テキサス州に来てから季節感がおかしくなりそうです。





テキサス州は州自体が広いだけではなく、
なにもかもスケールが大きい!


スーパーにあるお肉コーナーは、歩いても歩いても終わりが見えません。
野菜も果物も大ぶりでとても安いです。玉ねぎも顔の大きさぐらいはありました。

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ろう学校は町の中心地にあり、アメリカで一番広いと言われています。寮と教室が北と南の果てにあるため、同じ敷居内なのに毎日往復30分ほど歩いています。学部によって建物が違うため、学部間の交流は生徒やスタッフ含めあまりなく「島状態」と例えられています。

テキサス州にあるろう学校は、テキサス州立ろう学校ただ一校だけなので、とても広い州のあちこちから子どもたちが集まってきています。幼稚部年長から小学部で179人の子どもが在籍しており、中学部と高等部はともに100人ほどの生徒がいます。あまりにも人数が多すぎるため、クラスが違うと関わりがないそうです。なので、同い年にも関わらず、ギャロデット大学で知り合った後で初めて同じろう学校出身だと知ることも珍しくないそうです。

子どもたちのデフファミリーの割合も多いらしく、わたしのクラスでは9人いる子どものうち7人はデフファミリーです。


テキサス州はなにもかも大きい!
(なのに、駅がなく、
実習の3ヶ月だけのために
車を購入した友人もいるほど。)



さて、今月から10週間ほど幼稚部の年長組で実習をすることになりました。
そして、最後の2週間はかねてから希望していた乳幼児教育相談にお世話になります。

こちらは幼稚部年長組の1日のスケジュール。
ビッシリしたスケジュールに、いまだに何時何分にどのクラスが始まるのかを覚え切れていません…。
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2週間ほど前から毎日いくつか授業をもつことになりました。
驚いたことにテキサス州では、学習指導要領をはじめ、指導案、活動のアイデアは全て州で指定されております。(アメリカ全土で使われているものは使用していません。)
テキサス州にいる限り、それに従って授業をすることになります。「テキサスは、州ではなく国だ」とも言われているのがここ教育にも影響しています。

また、テキサスろう学校の英語の指導は、全学年でボストン大学の先生が開発した指導法を使っているそうです。そのための教材やパワーポイントは全て共有されています。一から作り上げる手間は要らず、そして引き継ぎもスムーズだそうです。指導面ではかなり合理的なシステム化がされており、心から壮大な拍手を送る毎日です。

ただ、テキサス州が指定した指導案は、残念ながら音や発音に関する指導方法もかなり多いため、その都度ろうの子どもに合わせた教材を作っております。
全ての授業においてA S Lで指導をしていますが、英語はどの授業でも切り離せません。ただ幸いなことに、わたしにとって英語は第3言語なので、「なんでそういうルールなのか、どうやって覚えればいいか」を6歳児の子どもに伝授できるものが意外と多く、そのため教材作りもなかなか楽しいです。


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写真は、ボストン大学の友達からのお土産(鉛筆)。
ボストン大学の友人が、西海岸にある実習先の聾学校に行くために、現在アメリカ横断中です。その最中に会いにきてくれ、お土産をくれました。
「Texas Sized Pencil」
鉛筆の後ろにあるのは折り紙です。折り紙の大きさを想像していただければ、この鉛筆の大きさが想像しやすいかと思います。テキサス州はなにもかも大きい! そして、鉛筆は先生を象っています。つまりビッグな先生になれよ、ということでしょうか。お互いに元気で実習を乗り越え、笑顔で卒業式で再会することを誓い合いました。


大学院生活も、残り4ヶ月を切りました。1日1日を大切に、多くのことを学べるように頑張りたいと思います。みなさまもお身体にはお気をつけください。
それでは翌月にまたお会いしましょう。
Posted by 山田 at 05:30 | 奨学生生活記録 | この記事のURL