今月は
オーディズム”audism”についてです。
聴能至上主義とも訳せますが、今回はオーディズムを使うことにします。
動画はこちらより
@〇〇ism(イズム)米国では〇〇ism(イズム)の言葉をよく見かけます。
人種主義 “racism” (=ある特定の人種が優れており、ある人種は劣っているとみなすこと)や、
健常者優越主義 “ableism”(=障害者を能力がない存在としてみなすこと)など、
権威ある者やマジョリティによって、ある特定の集団を排除したり、差別したりするようなニュアンスを含みます。
こうしたイズム提唱の流れを受けて、自身もろう者であるトム・ハンフリーズ氏はオーディズムを
「
聴覚障害や聞こえることが優れているという聴覚優生主義やそれに伴う差別行為や構造全般」
として定義づけました(Humpries, 1975)。
A反本質主義とオーディズムオーディズムを理解するために、本質主義 “essentialism”について考えてみます。
(オーディズムの種類を知りたいという方はBに飛んでください)
本質主義とは、
物事に普遍的な性質(=本質)があるとし、それによって正当化する考えです。
議論が起きそうですが、女性を説明するのに本質は何でしょうか。
昔、米国では、女性は感情的で非理性的ということを理由に、選挙権を与えなかった時代がありました。
こうした「
感情的」や「
非理性的」といった特質を脳神経学的にあたかも正当化し、
男性のみが政治権を握ってきました。
国や地域文化によって異なってきますが、
今の日本は
妊孕性(子どもを産み育てること)に未だに執着しているように思います。
だから、医学部入試で女子学生が不利になるといった事態が起きるのだと思います。
根底に、医者には生涯休みなく長く働いて貢献してほしい、
女性は出産育児で一時休職が発生するからといった思想が入り混じっていることは否定できません。
しかしながら、女性の本質は妊孕性という特性なのでしょうか。
今日、性というのは、生物学的な男女といった二項対立だけでは説明しきれません。
Edward Saidは、本質主義は
帝国主義の立場に基づき、権力を持つある特定の集団が社会の同意なしに決定したものであると指摘しています。
こうした伝統的な枠組み思想から脱出する立場を
反本質主義 “anti-essentialism”と言います。
ろう者学は、
反本質主義の観点でクリティークすることが常に求められています(Bauman, 2006)。
オーディズムは、能力を測定するにあたって「聴覚とそれに基づく行動が大前提」という本質主義に対抗するもので、
反本質主義の立場にあると言えます。
Bオーディズムの5つの次元現在、私が知る限り5つの種類のオーディズムが提唱されており、それぞれ紹介させてください。
はじめに、これらのオーディズムは重なり合っており、
独立して存在するものではないことを強調しておきます。
なお、ハンフリーズ氏が1975年に博士論文でオーディズムを提唱した当時、
世間にはあまり知られず、米国においてようやく広まったのは
1992年のハーラン・レイン氏「邦題:善意の仮面-聴能主義とろう文化の闘い(日本では2007年)」という本の出版がきっかけでした。
書籍というインパクトの大きさもあるかもしれませんが、
レイン氏が聴者であり、ハンフリーズ氏がろう者だから、
という影響も否定はできないと言われています。
その後、オーディズムを様々な次元、レベルで捉えようと、
現在、5つのオーディズムが提唱されています。
それぞれの次元からろう者に対する抑圧や差別を捉えることで、
抑圧に対抗したり、擁護したりするためのヒントを得られるのではないかという私の所見です。
1. 形而上学的オーディズム“metaphysical audism” 形而上学的な問いは、「
人間とは何か」から始まります。
Brueggemann(1999)は、西洋の観点から見た人間と、音声への異常な執着について、以下のようにまとめています。
人間にとって言語は不可欠であり、
その言語は音声で話されなければならない。
それゆえろう者は人間に等しくなく、ろうであることが問題となる。
人間にとって音声で話すということが本質という思想に基づいています。
これは、
10月の生活記録で取り上げたデリダ氏の音声優勢主義 “phonocentrism”と言えます。
言語は音声であるという言説、今日でもそう信じている人は多くいます。
こうした哲学的思想による言説を形而上学的と呼び、
それが日常生活の中に実践として見られると批判しています(Bauman, 2003)。
2. 個人的オーディズム “personal audism”個人の能力や成功が、聴者基準の言語や行動に基づいて判断されるという考えです(Humpries, 1975)。
手話より、音声で話すろう者の方が就職活動において優位というデータも出ており、
個人のろう者に対する態度・バイアスが大きく影響しています。
こうした現象は社会の中でたくさん見られると思います。
3. 制度・システム的オーディズム “institutional audism”レーン氏は、医療や教育などの制度や環境が聞こえるということに有利なようになっている状況を批判しました(Lane, 1992)。
ろう者(と診断され)として最初に出会うのが医療者であり、
彼らの多くは
聞こえることを前提とし、そのための訓練を正当化するという権威を持っていると言います。
そして、
口話という聴者基準の行動を追求するための訓練が
医学の枠を超え、ろう教育にも干渉されるようになりました。
こうした制度やシステムに抗うのは簡単なことではありません。
4. 自由競争主義オーディズム “Laissez-faire audism”いまの医療・教育制度においては、医学モデルに基づく訓練(口話訓練)と、
そのための補助具(補聴器や人工内耳など)に関わる費用を政府が援助しています。
そして、特に医療においては、それらの
開発が自由競争にあることで、
聞こえにまつわる資源が発展しながら生産されていくため、医学モデルが優位な状況を生んでいます(Eckert, 2010)。
それに対して、手話を学ぶ場は限られ、行政による予算も割り当てられていません。
5. 無意識的オーディズム “dysconsious audism”ろう者がこうしたオーディズムによる社会的弊害を受け続けることで、
次第にろう者自身も手話は音声より劣っており、話すことを身につけなければならないと思い込むようになる、
すなわち
ろう者自信がオーディズムを無意識のうちに内在化してしまうことを無意識的オーディズムと呼びます(Gertz, 2003)。
加えて、盲ろう者のClarkが自身のエッセイの中で
ディスタンシズム "Distancism”を提唱しています。
歴史的に、人間の感覚にとって聴覚と視覚の二つが世界を知覚するために最重要であり、
この二つの損失は社会参加を制限するとよく語られると言います。
盲ろう者にとって、世界と所属するに当たり、触れること”tactilehood”が重要ですが、
これが社会の中で軽視される傾向にあり、距離感覚が奪われていくことを指しています。
Cまとめオーディズム、ろう者を取り巻く抑圧や差別は、一つの要因だけで説明できるものではなく、
社会的に構築されてきた人間とは何かという形而上学的言説を根底に、
医療や教育システム、経済や政府の干渉などが
複雑に絡み合っています。
もぐらたたきではコンセントの行方がわかれば問題は即座に解決します。オーディズムにまつわる差別や抑圧では、なかなかそうはいきません。
ただ、その分、個々の認識や態度を変えるための専門職養成、政策作り、教育システムへの介入など、
様々なアプローチがあると思います。
日本で起こっているオーディズムを想起し、そのためのアプローチについて考えるヒントになれば幸いです。
<参考文献>Bauman, H-D. (2003). Audism: Exploring the metaphysics of oppression. Journal of Deaf Studies and Deaf Education, 9(2), 239-246.
Bauman, H-D. (2006). Toward a poetics of vision, space, and the body. In L. Davis (Ed.). The disability studies readers. New York, NY : Routledge.
Brueggemann, B. (1999). Lend me your ear: Rhetorical con- structions of deafness. Washington, DC: Gallaudet University Press.
Clark, J. L. (2019). Distancism. Retrieved from
https://johnleeclark.tumblr.com/post/163762970913/distantismEckert, R.C. (2010). Toward a Theory of Deaf Ethnos. Journal of Deaf Studies and Deaf Education 15(4):317–33.
Gertz, G. (2007). Dysconsious audism: a theoretical proposition. In H-D. Bauman (Ed.), Open your eyes: Deaf Studies talking (p.219-234). Mississippi, MI. University of Minnesota Press.
Humphries, T. (1975). Audism: The making of a word. Unpublished essay.
Lane, H. (1992). Masks of benevolence: Disabling the deaf community. New York: Alfred Knopf.